(31)九段下・耳袋 其のいち
[2019/7/27]

映画『グリーンブック』余聞

この映画の重要な脇役はあの大きなキャデラックとその室内の空間であると、前号のコラムで書いた。もうひとつの重要な脇役が道路である。
黒人旅行ガイドブック『グリーン・ブック』がNYで創刊されたのが1936年だが、この10年前の1926年に、アメリカの国道(USハイウェイ)が誕生している。このUSハイウェイの整備が進んだことも、黒人自身の遠距離の自動車旅行がさらに盛んになることへのあと押しとなった。
そのハイウェイの一つが「USハイウェイ66」(通称「ルート66」)だ。このルート66はイリノイ州のシカゴとカリフォルニア州のサンタモニカを結ぶハイウェイで、総延長は4000キロだった。1938年には全線舗装されたという。*

日本でもヒットしたテレビドラマ『ルート66』(1960~64)は、この国道「ルート66」を舞台に旅するふたりの若者が演じる物語だ。その時期はちょうど映画『グリーンブック』のシャーリーとトニーのツアーの時期と重なる。彼らは、インディアナ州ハノーバーからアイオワ州シーダー・ラピッズに向い、そして今度はそこからケンタッキー州ルイビルまで南下する。つまり、2度にわたってルート66を横切るか、走っていることになる。
しかし、このルート66も、その後建設されたインターステイト(州間高速道路)によって、他の国道同様に寸断され、あるいはバイパスに成り下がる。ルート66は1985年には廃線となり、ついにレジェンドの道(ロード)になった。**
しかし、黒人(旅行者)にとって、このルート66は忌まわしい記憶の中にありつづけた。ルート66が横断する8つの州の89の郡の半数が、日没後の黒人の外出を禁止した、いわゆる「サンダウン・タウンsundown town」だった。ガイドブック『グリーン・ブック』はこのルート66の沿道の都市についても旅行情報を記載していたという。

1939年に『怒りの葡萄』を発表した作家のジョン・スタインベックは、同作品でオクラホマからルート66を使ってカリフォルニアに逃げ出す移住貧民たち(オーキーと呼ばれた)を描いた。この作品で、スタインベックはルート66を「マザーロード」、「アメリカの背骨」(バックボーン・オブ・アメリカ)と呼んだ。
58歳になったスタインベックは1960年9月に小型トラックを改造したキャンピングカー「ロシナンテ」号を運転してアメリカ一周の旅に出る。お供は黒のスタンダード・プードル。全米38州、行程16000キロのアメリカを求めての、4ヶ月間の旅だ。
旅の後半の11月のある日、スタインベックはルイジアナ州ニューオーリンズで「チアリーダーズ事件」に遭遇する。ここの白人の児童だけだった小学校にふたりの黒人の子供が通うことになる。これに反対して、登校するふたりの子供たちに向かって、あらんかぎりの罵声を浴びせかける中年の女性集団(チアリーダーズ)が、連日のように全米中に報道されていた。スタインベックはこのチアリーダーズの行動を目の当たりにし、大変なショックを受ける。この旅の記録は『チャーリーとの旅——アメリカを求めて』となり、1962年に刊行された。邦訳は64年に出ている。

映画『グリーンブック』の主人公のふたりがアメリカの南部へむけて始めたツアーと、1950年代から60年代にかけて、黒人たちが公民権の適用と人種差別の解消を求めて行なった大衆運動が高揚した時期が重なること、シャーリーの南部ツアーの目的がなんであったのかが、あらためて理解できる。

*東理夫著『ルート66——アメリカ・マザーロードの歴史と旅』(丸善ライブラリー、1997)
**東理夫著、菅原千代志写真『荒野をめざす——魂のハイウェイ・ルート66』(研究社、1994)

絵地図師・散歩屋 高橋美江さん

ご存じ『新版 絵地図師・美江さんの東京下町散歩』『続 絵地図師・美江さんの東京下町散歩』の高橋美江さんの「街歩きマップ」の画像が拡大プリントされて掲示された。時は6月30日から7月7日まで、ところは東京銀座の伊東屋本店地下1階の多目的ホール。これは東京都中央区が高橋美江さんに依頼して製作した「街歩きマップ」の中の英語版アプリを改訂したもの。手書き地図のアート性が一段と増し、銀ブラする外人の耳目を集めたようだ。

  

吉見俊哉と如月小春

吉見俊哉さん(東京大学情報学環教授)の新刊『アフター・カルチュラル・スタディーズ』
を版元からいただいた。本書の最終章には「エピローグ 劇つくりの越境者——追悼・如月小春」が掲載されている。これは、如月小春は広場だった——六〇人が語る如月小春(西堂行人+外岡尚美+渡辺弘、楫屋一之編、新宿書房、2001)に掲載された回想文の再録である。小社では如月小春(1956〜2000)さんの最初の作品集『如月小春戯曲集』(1982)以来、数多くの如月さんの戯曲を出版してきた。如月本の装丁はすべて赤崎正一さん。いま、『如月小春戯曲集』の保存本を取り出してみる。同書には「家、世の果ての・・・・・・」と「ANOTHER」の2本の戯曲が収録されている。上演記録をみると、1980年6月に駒場小劇場で公演した「家、世の果ての・・・・・・」のスタッフに「舞台監督 吉見俊哉」の名前があった。吉見教授(1957〜)、23歳の時だ。