(42)銭湯のペンキ絵
[2019/10/19]

10月10日は何の日? ご存知の方はどのくらいらっしゃるだろうか。日本記念日協会という団体もあるようなので、ほぼ毎日がなにかの記念日であるにちがいない。
10月10日は「銭湯の日」だそうだ。銭湯、そうあの公衆浴場だ。1010だから「せんとう」と語呂合わせからとの俗説もある。実はこの10月10日は、1964年に東京オリンピックが開催された日。スポーツの後にお風呂で汗を流し、湯船に浸かってリラックスしようと、東京の公衆浴場商業協同組合が提案したという。
ところで、今月10月1日から東京都の銭湯の入浴料金が5年ぶりに10円値上げとなった。大人(12歳以上)は470 円(税込、以下同じ)。ちなみに中人(6歳以上12歳未満[小学生])は180円、小人(6歳未満[未就学児])80円である。都内の入浴料金はどのように推移したかを調べると、1970年(昭和45)は38円、75年に100円、81年に220円、1990年に310円、2000年に400円までに値上がりしてきた。この背景には銭湯の利用者の減少、それにともなう銭湯数の減少があることは間違いがないだろう。全国の家風呂(内風呂)の普及率は、1963年に59.1パーセントだったのが、2008年には95.1パーセントに達している。
1960年代後半には東京都内には約2700軒の銭湯があったが、2019年10月現在には2割弱のわずか519軒となった。全国では1965年には約2万2000軒あったのが、2019年10月現在2264軒とわずか1割になっている。

(サイト)
東京の公衆浴場の現況:
https://www.shouhiseikatu.metro.tokyo.jp/chousa/yokujyo/genjo.html
東京銭湯マップ:
https://www.1010.or.jp/map/archives/meta/wallpainting
全国銭湯リスト
https://yuru-to.net/1010.php

ここにきて東京の銭湯に変化の兆しありと分析する人がいる。まず、銭湯の減少のペースがややゆるやかになり、また1日Ⅰ浴場当たりの平均入浴者数が上向きに転じたという。銭湯は家族経営といわれるが店主の世代交代により、リニューアルが進み、新しいタイプの銭湯が増えてきているという。また銭湯をコミュニティーの拠点にし、さまざまなイベントを開催したりしている。
(サイト)https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/080800041/

そのような銭湯の動きに対して、私には気になる存在がある。「銭湯のペンキ絵 である。リニューアルの流れのなかで、あの富士山などが描かれるペンキ絵のかわりにアーティストの作品が掲示されることが多くなったという。ペンキ絵の居場所はなくなるのか。
昔、この銭湯のペンキ絵(浴場背景画)とペンキ絵師(銭湯背景絵師)のことを調べたことがある。これは石子順造著『ガラクタ百科――身辺のことばとそのイメージ』(平凡社、1978年)に収録されている。銭湯のペンキ絵の始まりは1912年(大正元)東京の神田猿楽町の銭湯「キカイ(機械)湯」だった。ペンキ絵師は浴場主から絵の代金はもらわず、代わりに絵の下に展示する広告の権利を得て、ここから広告代を得ていたという。さらに銭湯と絵師の間を広告業者(背景広告社など)が介在したこともあった。



いま、ペンキ絵師は3人いるという。丸山清人(84)、中島盛夫(74)、そして田中みずき(36)だ。丸山清人は叔父のペンキ絵師丸山喜久雄に弟子入り、中島盛夫は19歳の時に丸山喜久雄に師事。つまりふたりは兄弟弟子ということになる。そして田中みずきは中島盛夫の弟子だ。
丸山清人さんにインタビューした「ほぼ日」や「東京銭湯」の記事が面白い。映画『テルマエ・マロエ』(12)で阿部寛が古代ローマから銭湯にタイムスリップして湯船から出てくるシーン、その背景にあるペンキ絵は丸山さんが描いたものだそうだ。
(ほぼ日ウェブ)
https://www.1101.com/21c_working/kiyohito_maruyama/index.html
(東京銭湯のインタビュー)
https://www.1010.or.jp/mag-suki-maruyama/

堀ミチヨさんの『女湯に浮かんでみれば』(新宿書房、2009年)は東京の銭湯小話を綴ったものだ。女湯世界の出逢いと事件の遊楽エッセイだ。堀さんは、東京の銭湯組合のイベントに熱心に参加し、銭湯を本当に愛していた。その後、勤め先の喫茶店「ミロンガ」の日常を描写した『神保町 タンゴ喫茶劇場』(新宿書房、2011年)を出版した翌年5月に、38歳の若さで亡くなった。

銭湯ペンキ絵研究の開拓者、石子順造(1928~77)の著書『ガラクタ百科』は石子さんの死後、PR誌『月刊百科』の連載を編集担当者の私が代わりに書き継いで、出版することができた。また、石子さんの仕事の全体を俯瞰した展覧会が2011年12月に府中市美術館で開催され、図録『石子順造的世界――美術発・マンガ経由・キッチュ行』が刊行された。