(14)正誤表 『訂正人語』 昭和天皇実録
[2019/3/23]

「正誤表」という言葉は、われわれ編集者には、いつも気になる存在である。できれば、避けていきたいし、そんなものを前提に編集・校正の仕事をしているわけではない。限られたわずかな時間のなかで、最大限の努力と人員をかけて、内容に誤りないもの(と確信して)を出版する。その過程では「正誤表」ということは考えない。出版物を刊行した途端に「正誤表」というものが姿を現わす。おずおずと担当編集者自身から、著者・訳者、編者から、そして読者から「読者カード」、手紙、メールで「誤植、誤字、印刷ミス、汚れ、その他」など次々と指摘される。

出版社には「訂正原本」とよばれる本が保存されている。初版本の1冊をつぶして、本文の訂正箇所に赤字を入れ、頁の天に付箋をつけて、重版の機会を待つのである。本によっては、色のついた付箋が文字通り林立する。そして、2刷、3刷と重版のたびにこれらの赤字はなくなっていく(はずである)。本文頁に挟む正誤表の短冊は、今後重版の予定が期待されない本や、誤植の程度(?)により、作るかどうかの判断が下されることが多い。それと、どの段階で、どのような誤植が発見されるかによって、対応策が決定される。

① 最後の刷版の面付け確認作業の「白焼き」で発見→当然、訂正し、白焼き再校。
② 刷り出し(あるいは製本する前の見本、一部抜き)で発見→該当の折りを刷り直し。
③ 製本見本ができ、取次見本の前に発見→カバーの定価・バーコードの間違い、表紙などの人名誤植等のかなり高度(?)な誤植→必要な見本冊数に訂正シールを貼って取次に出し、当面の危機を回避する→製本所で残りの本に訂正シールを貼ってもらい、配本に間に合わせる。カバーを刷り直すこともある。

ということで、正誤表が作られる場合は、上記の緊急対応とは違い、時間的に間に合う場合だ。正誤表をつくり、製本所で配本前に投げ込んでもらう。また配本後に正誤表を作る場合は、追加注文のたびに倉庫で投げ込んでもらうことが多い。しかし、正誤表には様々な政治学が働き、著者側の強い抗議がある場合や誤植そのもののレベルにより、それらを考慮して作製される。正誤表はできれば1頁に収まる短冊状であることが望まれ、そこに本文の該当頁と誤の語と正の語が並列される。これが短冊1枚に収まらないなら、訂正原本に記載されることはあったとしても、さらに総合的判断で正誤表に載せる事項の数が、ある程度整理され、いわば重大戦犯の誤植のみが告知されることとなる。近年は、自社のHPで正誤表を掲載することで、取りあえずは済ますことも多くなった。

書籍は、長い期間にわたって売られる商品であり、新刊委託・返品・カバー・帯の改装のサイクルのなかで流通するので、正誤表はその流れの中で作られ、投げ込まれていく。

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新聞、雑誌の場合は正誤表という短冊はない。「お詫びと訂正」は、新聞の場合は後日の紙面(第2社会面とか)で、雑誌の場合は次号で編集後記のあたりで告知される。

前回のコラムで岡留安則編集長と月刊雑誌『噂の眞相』のことを紹介したが、同誌は毎号「おわびア・ラ・カルト」というコラムで、新聞・雑誌の「お詫びと訂正」を掲載してきた。そして、10年間の連載をまとめて単行本化している。『訂正人語 おわびスペシャル』(噂の眞相・編集部編、テイ・アイ・エス、1998年)である。

編集部で購読している新聞・雑誌から「スタッフがメディアの中に掲載されたお詫びを見つけしだい、切り抜いて〈おわび入れ箱〉に入れておくのである。毎月20日の〆切り日になれば、大量のお詫びの中から面白そうなものを選択して辛口コメントをつける作業に入るのである」(同書から)。もちろん、書名は『朝日新聞』の第1面コラム「天声人語」をもじったものである。

「メディアに幻想をもつな!メディアも疑ってかかれ!」というのが、出版の動機だという。いまよりも新聞・雑誌が巨大な力をもっていた時代だからこそありえた企画だが、それにしても貴重なメディアの記録となった。

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先日、壮大な「正誤表」が近く発表される話を聞いた。3月16日にマスコミの各メディアが報じた、「『昭和天皇実録』誤り5000ヶ所、正誤表公表へ」というニュースである。

新聞各紙の報道から、まとめてみると、以下のようになる。
① 『昭和天皇実録(しょうわてんのうじつろく)は昭和天皇(1901〜1989)の生涯をまとめた公式記録集。1990年(平成2)から編さんが始まり、24年5ヶ月をかけて、2014年9月9日に発表された。全61冊、1万2000頁。
② 宮内庁書陵部の職員計112人が作業に関わり、昭和天皇の元側近ら約50人に聞き取り調査、日本全国ほか、海外に出張。関係者の日誌、外国の公文書など約3000点資料を集めた。
③ この経費(人件費を除く)は約2億3000万円。
④ 『昭和天皇実録』の和綴本は2014年9月9日に天皇・皇后、皇族へ奉呈され、同時にこの奉呈本の電子データは報道機関や報道機関や研究者に提供され、以後、記事や論文に引用されてきた。
⑤公刊本は出版社の東京書籍から2015年3月から全19巻として順次発売されていて、今年3月28日に最終の19巻(人名索引・年譜)が発売される。
⑥ この公刊本の出版過程で「人名」「日時」などの誤字脱字、資料の誤用が判明、公刊本ではほとんどが修正された。その結果、原本に5000ヶ所の間違いがあったことは明らかになった。およそ2頁半に1ヶ所。しかし、公刊本にもまだ数十ヶ所の誤りがあった。

『昭和天皇実録』がどんな本なのかを確かめるために、近くの区立図書館で、第1(巻)、9(巻)、18(巻)を借りてみた。それぞれ、712頁、946頁、776頁、そして箱入りで立派だ。本体定価はどれも一律1890円、たいへん安い。内容はまったくの天皇の365日の公務報告。この内容では記録、資料、証言のファクト・チェックがかなり必要だろう。原本がどのようなワークフローで編集をしたのか、あるいは校閲・校正はどのようなスタッフが参加したのかが明らかになっていないので、なんとも言えないが、テキストを起こす際に誤植が多数発生したのか、あるいは元資料の裏取りのファクト・チェックを怠ったのか。

私たちの経験からいえば、全頁が確定してからの最後の索引取り、年譜作りで、誤植・誤記を発見したり、本書内での表記の不一致・乱れなどに気づくことが実に多い。今回発表された5000ヶ所の誤りの発見は、実は公刊本各巻の編集・刊行時だけでなく、これはまったく私の憶測だが、実は最終巻の「索引・年譜」作成時に、その多くが発見されたのではないだろうか。

この本がどういう経緯で東京書籍から発売されるようになったのか、また同社でどういう体制で編集作業が行われたかは不明だが、今は情報公開の時代である。宮内庁の公式サイトで、次の公示を見る事ができる。

http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/chotatsu/kokoku/chotatu26-084.html
    公募(使用許可相手方選定)結果の公示
  次のとおり公示します。
  平成26年10月10日
  [掲載順序]
  ①件名 ②使用許可相手方選定日 ③使用許可相手方の氏名及び住所
  ④平均予定販売定価 ⑤平均予定発行部数 ⑥公募公告日 ⑦応募者数

  ①「昭和天皇実録」公刊本の製作・出版業務 ②26.10.10
  ③東京書籍株式会社(東京都北区堀船2-17-1)
  ④1,890円   ⑤16,100部     ⑥26.9.12   ⑦14者

平均発行部数は1万6100部、この公募に応募した業者は14社であることがわかる。

「ひとり出版社」の雄、わが友人の岩田書院の岩田博さんは、公刊本が刊行された当時、自らのブログでこんなことを呟いている。

  No.914(2015.05)
  【昭和天皇実録】
『昭和天皇実録』全19冊が刊行され始めた。4月16日付の業界紙『新文化』の記事によると「3月27日に東京書籍から刊行された『昭和天皇実録 第一』、『同 第二』(本体 各1890円)は、予想に違わぬ伸びを見せ、現在3刷、2冊合わせた累計が9万部に達している。」という。
 この本、どこから出版されるのだろうか、と思っていた。まず考えられるのは、歴史書出版の老舗で『明治天皇紀』『昭憲皇太后実録』も出版している吉川弘文館だろう。しかし、入札の結果、東京書籍に決定。この本、1冊700頁くらいある。さすがの吉川弘文館も、1冊の定価が2000円の見積りは出せないだろう。買う立場にたてば定価は安いほうがいい。ということで、1か月たたないで2冊で9万部か…。
 でも、完結まで順調にいって4年、最後まで買う人って、どのくらいだろうか。図書館などの定期も入れて1万部か。2000円×1万部=2000万円。それで充分、利益が出るのか。ふ~ん、岩田書院には無縁の世界だな。

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日本の近現代史の、まさに頂点を生き抜いた昭和天皇の公務記録がこのような編さんをされていいのだろうか。実録の誤字、脱字、人名、日時、役職名の誤りなどが、どうして「史実に大きな影響をあたえるような致命的なミスはない」とまで言えるのだろうか。いま求められるのは、5000ヶ所の正誤表の速やかな公表と同時に、それらの誤りを更新した電子データの一般公開ではないだろうか。

『昭和天皇実録』について、原武史、半藤一利、栗原俊雄、保坂正康氏らが、さまざまな解説書を出しているが、今回の宮内庁発表のコメントについての各氏の反応を聞きたいものだ。

そして、あの岡留安則がもし生きていたなら、『噂の眞相』でどんな記事を書くだろうか?『訂正人語』の追補はあるのだろうか。