(12)映画『よあけの焚き火』
[2019/3/7]

子供のころから火をおこすことが得意だった。母の実家は大きな農家だった。その台所には大きな竈(かまど)があったし、わが家では昭和30年代までだったろうか、風呂は家の外にある焚き口から薪を入れて湯をわかした。炭火の七輪で秋刀魚を焼く、庭の落ち葉を集めて焚き火をする、キャンプファイヤーで火をおこす。いつから、どれもしなくなったんだろうか。
前のコラムで宇江敏勝さんの新宿書房での最初の本、『山に棲むなり』を相談する時、果無山に登った話を書いた。篠つく雨のなか、宇江さんの力強く歩む足許を追いながら、頂上を目指した。山頂で高野山側から登ってくる仲間たちのために、宇江さんは照葉樹林の枝を集めて焚き火をおこそうとするが、ぐっしょりと濡れた落ち葉や枯れ枝にはなかなか火がつかない。とっさに私は宇江さんのお母さんが朝作ってくれた握り飯の包みをあけ、5、6人分の割りばしを取りだし、適当に折って、火を付けた。なんとか火はつき、煙りと炎が上った。宇江さんを見ると「おぬし、やるな」という顔をした。いや私にはそう思えた。

前置きが長くなった。これからお話するのは、映画『よあけの焚き火』のことである。3月2日からポレポレ東中野で上映が始まっている。実はこの映画の製作・配給をしている桜映画社と新宿書房は浅からぬ縁があり、そんなこともあって、この映画の28頁のパンフレットの編集・校正のお手伝いした。
「よあけ」あるいは「夜明け」というと、島崎藤村の作品をすぐに思い浮かべるし、同様のタイトルには150本を超える映画作品があるという。また「焚き火」「焚火」とくれば、スイス映画の名作『山の焚火』(85)だ。はたしてこの二つのタイトルを組み合わせた『よあけの焚き火』とはどんな映画なんだろう。

1年間で公開される映画(邦画)はいったい何本あるのだろうか。日本映画製作者連盟によれば、2018年だけでなんと613本もあり、2000年の282本に比べると、たいへんな増加である。「デジタル化が小規模作品の製作・上映を可能にしている」といわれる。映画館で1回、1日でも公開上映されることをすべての製作者、監督は目指す。本作は土井康一監督の初の劇場映画であり、しかも桜映画社の自主製作・配給というから、たいへんラッキーなデビューである。

しかし、小さな単館での上映は、それはそれは厳しい。公開に先立って行われた何回かの試写会があったので、知り合いに声を掛けた。何人かの方が、メールや手紙で映画の感想を送ってきてくれた。

「たくさんの自然の中の印象的な風景が集められていました。かなり長い期間に断続的に撮るのだろうと思っていましたが、撮影期間がわずか1週間位だと聞いて、大変驚きました。」(女性/ピアノ調律師)
「坂田学の音楽、信州の冬の風景。これだけで満足です。」(男性/ドッグトレイナー)
「きっちりと作られた爽やかな映画でした。狂言師の芸の伝承に、現在の家族の問題をからませて、蓼科の自然のなかで展開させたのは、うまい設定ですね。効果的にはさまれる風景がドラマをうきたたせています。ただ私は、抽象性を押し通すか、味噌汁のシーンのような、やや滑稽な感じを深めるか、もう少し腰を据えるかしたほうがよかったかなと思いました。女の子の存在が曖昧なのかもしれません。しかし第一作とは思えない、落ちついたいい映画でした。」(男性/元編集者・大学教授)
「慎ましやかな美しい映画だと思いました。丸池納氏は、いい選択で、今時珍しく(?)、ハッタリがましいところのない素晴らしいカメラマンですよね。作品の意図(監督の意図)を、見事に生かしているのではないでしょうか。電車の中で、パンフを読んだら、萩原朔美氏のコメントが素晴らしい!これを超えるコメントは私には到底無理でありまして!(笑)それにしても、興行で何を売りにしましょうか?あえて言えば 、“狂言は艶(なま)めかしい!”」(男性/映画評論家)

さて、最後に紹介するのは、東京・杉並にあるキリスト教会で牧師をされている松元保羅さんの映画感想文である。松元さんのご了解を得て、全文を掲載させていただく。

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二つの家族の交差が生み出す温かな世界
——映画『よあけの焚き火』を観て          松元保羅

家族を喪失した少女が「はじめの一歩」を踏み出す勇気と力が内から生まれるように、傍に立って優しくそっと背中を押してあげたい、そう願っているのが、この映画を製作した監督自身であることに深い頷きを覚える映画である。

少女の名は「咲子」。咲子は主役ではない。脇役である。映画の主役はあくまで能楽師狂言方である大藏基誠、康誠の父子である。

この映画において、大藏父子は、真ん中に位置し、力強く存在し、息づく。650年の恐ろしいまでの長き伝統を継承し、狂言の粋をその定型において正確に受け渡すべきことを、その身に受け、次世代に受け渡していく宿命を負った大藏家の父と子。親子ではあるが、この伝統を受け継ぐという点において「対等な立場」に立った父と子の間には緊張感が漲(みなぎ)っている。

美しい雪原のなかで、父は子とはしゃぎ合う。稽古場の緊張感を、この遊びと笑いの交歓を通して解していこうとする。愛情を子に惜しみなく注ぐ父。雪原に遊びながら狂言の所作、定型の言葉を交わし合う父と子の姿は、目的と使命を共有しあう信頼に満ちている。その振る舞いは明るく、自信と誇りに満ち、その関係の安定感を強める。

ここに「家族を超えた家族」を見る。決して「平凡な」家族ではありえない家族の父子、母子の関係が幸いなものとなっていることを、監督はまっすぐに描く。

狂言という継承すべき伝統に息づく生の家族を描くことで十分と思われるのだが、そこに少女「咲子」を登場させる。ここに監督のもう一つの意図がある。

少女は家族を喪失している。理由は明らかにされない(映画のシーンでは、「あんな事故」そして「あの子(咲子)ね、復興支援で狂言を見たらしくて」というセリフがあるが、咲子自身が東日本大震災の被災者とは表現されていない)。現代の家族が直面する厳しい現実を少女に体現させているのだ。伝統を継承する家族の強い絆を一方で描き、他方で崩壊した家族の今を生きる少女を登場させ、両者を交差させる。ここにこの映画の要(かなめ)を見たいと思う。

少女側から始まるおずおずとした出会い。淡い接点が次第に濃くなっていく。狂言世界という未知の世界への少女の関心がそれを強くする。少女を、門戸を開き受け入れる父。それによって接点が生じる子と少女。

「わたしも狂言、やってみたいな。」という少女の一言。この一言があの「はじめの一歩」だったのだ。やがて、少女を交えた3人の稽古が始まる。狂言の所作としての「犬の鳴き声」。はじめは自信なげな小さな声。「もっと大きな声で!」と叱咤する父。さらに「もっともっと大きな声で!」。次第に大きな声、大きな身振りとなる。大きな声を出すことが少女の心を解放させていく。子も少女の顔にも解放された笑みが浮かび、溢れるシーンは穏やかであり圧巻である。「こうなればしめたもの」と、そう観る者を思わせずにはおかないシーンである。

子と少女が連れ立って残雪の雑木林の奥に見出したもの。大きな岩を腹に抱え込む巨大な老木の前に静かに立つ二人。生きる世界がまったく違う二人が岩を抱えてなお生きる老木とその根元の獣の骨を見つめる。「死と生」。二人は死を超えゆく生命力を同じように感じたに違いないと。これも監督の思いであろうか。

最後の別れのシーンで、咲子が子からプレゼントされた小さな鐘を取り出し、再びポケットに入れ 握りしめる姿は、「鐘がものをいふ 霧だ霧だと 鐘がものをいふ 生きろ生きろと」という、霧ヶ峰高原の霧鐘塔に刻まれた、ある作家のことばを心にしかと刻んだ姿であろう。

狂言方の父は、少女が辛い現実を一人胸に抱えて閉じこもり我が身を守る世界から、一歩外に出て生きる勇気と力を回復させる「はじめの一歩」を踏み出せるよう、わが子との「家族を超えた家族」の強い絆を後ろ盾のようにして咲子を支えているかのようである。この強く結ばれた「他者としての家族」を支えに、少女咲子は独り立つ勇気を与えられていく。これがなければ「初めの一歩」を踏み出すことはできなかったかもしれない。

寄り添って静かに、暖かいまなざしを少女咲子に注ぐ大藏父子の姿に、「家族の力」を見る思いがする。その意味で、この映画は家族を喪失した少女への、監督そして観る者たちからの温かなエールであろう。

狂言という伝統を受け継ぐべく確かな絆をもつ家族。そしてその子。家族を喪失して一人の残された少女。この二人の淡い出会いと交差から紡ぎ出される「家族」への深いまなざしと希望が、土井康一監督によって映画としてここに結実し、完成したのである。

静謐な冬の蓼科を舞台とした二つの家族の交差が生み出した温かな世界を美しく描いた映像は、いつまでも心に残る。

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●著者紹介 

松元保羅(マツモト・ポウロ)西荻南イエス・キリストの教会協力牧師

訳書:D.M.ロイドジョンズ著『キリスト者の一致』(上巻1991年 、下巻1992年、いのちのことば社)、同著『神との和解、人との平和』(2000年、 いのちのことば社)、H.ネットランド著『どんな宗教でも救われるか』(1993年、いのちのことば社)