(26)ネイバーフッド・ライブラリー、ピープルズ・パレスのNYPL
[2019/6/21]

6月14日の金曜日夕方、出版仲間5人で、神保町の岩波ホールに行った。観たのはニューヨーク公共図書館(NYPL)を縦横に記録したフレデリック・ワイズマン監督の『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブス』(原題は、Ex LibrisーThe New York Public Libray)だ。2017年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭のインターナショナル・コンペティションでは、原題通りの『エクス・リブス ニューヨーク公共図書館』のタイトルで上映されている。アメリカの公開は同年10月、監督の地元ボストンから始まっている。205分、3時間25分の大長編のドキュメンタリー映画だ。前評判がよく、この日の6時15分からの回もほぼ満員だ。この長丁場に果たして肉体的にも生理的に持つか、やや心配だった。しかし、これは杞憂だった。あっという間の3時間余だった。

各新聞、メディアが絶賛する、ワイズマンの41作目の作品だ。

●民主主義を支える場としての図書館。主題は図書館を題材にしていることから想像されがちな「本」や「読書」ではない。あえてキーワードを挙げるとすれば、「コミニュティ」「文化」「デジタル」の三つ。あくまでも主役は人、人、人である。図書館(や書店)がもし民主主義の土台になりうるとすれば、それは本の力だけでなく、その場に関わるすべての人の力によるものだ。―マガジン航(中俣暁生、5月4日)
●高度の知識、一般市民に工夫凝らす姿勢に焦点。図書館所蔵品が市民生活にいかされるように、大がかりな講演会から学校の生徒を招いた勉強会まで、催しが企画される。みなさんお話がうまい。―毎日新聞(藤原帰一の映画愛、5月12日)
●世界最大ともいえる図書館の表裏をカメラで追いながら、市民生活に密着した実態を描き出している。映像は説明抜きのいつものワイズマン・スタイル。今回は多くの分館が市内に分散するため、外景シーンに道路標識が目立っているが、長尺ながら飽きさせない映像の冴えは監督の真骨頂。五つ★。今年有数の傑作。―日本経済新聞(村山匡一郎、5月17日夕刊)
●ワイズマン映画はデビュー作から本作に至るまで主人公は不在だ。あるのは対話、講演、指導といった活動の集積である。余韻として残るのは、このドラマなきドラマの爽快感だ。―朝日新聞(大久保清朗、5月17日夕刊)
●情報格差にも向き合う知の砦。途中からこれが図書館の映画であることを忘れてしまうほどの展開だった。それほど彼らの役目は多岐に渡り、地域住民がつながる“場所”としての求心力が印象的だ。―共同通信配信(coco.g、5月24日)
●活動を支える資金の半分は民間からの寄付である。公立でなく公共図書館なのだ。反知性主義や分断が広がるとされる米国だが、全く違う顔がある。―朝日新聞(天声人語、5月25日)
●司書も、誰しも平等に接するように訓練されている。金持ちだからといって特別な注意が払われることはないし、貧しいからといって注意されることもない。ここで働く人たちは献身と使命感を持っている。他者を助けるために自分たちはいるのだと自覚、実践している。―朝日新聞GLOBE+(ワイズマンへのインタビュー by 藤えりか、5月26日)
●図書館では情報、知識、機会を全ての人々に平等に確保すること。市民社会の礎であり、人民のための宮殿でなくてはならないのです。(キャリー・ウェルチ:映画にも出てくるNYPLの幹部)―読売新聞(6月4日)
●巨大図書館での活動が淡々と紹介される。図書館とは、未知の異なる考えや見方に出合い、世代を超え生涯をかけて学ぶ場、進化し続ける民主主義の学校だった。―毎日新聞(余録、6月16日)

わたしも好きな場面を思い出してみる。
冒頭の「午後の本」。だれであるかを後で知る。この人はリチャード・ドーキンス。よどみなく、モデレイターを相手にしゃべる。会場は本館の玄間を入ったすぐのところ、会議室や講堂ではない、一番最初に目に入る、いわば通路、そこで聴衆は「立ち見」でドーキンスの話を聴く。これはNYPLのうまい演出だ。「アメリカの宗教人口の最大を占めるのは無宗教だ」という言葉が耳に残る。

電話応対をする司書。この男性の実に丁寧な対応。質問を調べてすばやく答える見事さ。この場面には感動する。ほんとうにすばらしい。質問に答えてくれるこのスタッフたちのことを、映画パンフによれば「人力(人間)Google」というそうだ。調べてみると、このNYPLの「質問応答部署」は1967年にスタートした。俗に「Human Google」あるいは「Human power Google」「Human version Google」と呼ばれる司書は、いまNYPLに10人ほどいるという。NYPLでは面白かった質問は記録・保管している。電話番号9172756975にコールすると、この「人間Google」につながる。

ブロンクス分館での就職活動フェア。消防署、女性活動支援、起業家サポート、国境警備隊、軍隊などから人事担当者がきて就職案内をする。最近では、ファッションアイテムまでも貸し出すという。ネクタイ、ボウタイ、ブリーフケース、ハンドバックを各1回、3週間、無料で借りることが出来る。就職面接、結婚式、卒業パーティーなど特別な一日のために、図書館で服の準備が出来るのだ。これをWork Fashion Libraryと呼んでいる。

そして、舞台芸術図書館で登場する劇場の手話通訳者。シニアダンス教室。図書館ディナーの準備、ここでは結婚式、ファッションショーも開かれる。

今回の映画の封切りにあわせて、日本の図書館側の積極的な対応も目立つ。映画に登場するNYPLの渉外担当役員のキャリー・ウェルチさんが来日し、4月9日に東京・日比谷図書文化館でトークとパネルディスカッションが開催された。これには、早くからNYPLの活動を紹介してきた、岩波新書『未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告』(2003年)の著者で在米ジャーナリストの菅谷明子さんも参加。この日の記録の一部は『週刊読書人』や岩波ホールで販売している映画パンフに収録されている。
6月16日には大阪市立中央図書館、22日には名古屋鶴舞中央図書館でも予告編の上映とトークショーが開催された。本作が図書館サイドに向って少なからぬ風を起こしているのはまちがいない。
日本では2000年あたりから、「図書館=無料貸本屋」論争がおきている。1995年をピークに国内の出版販売額は右下がりに転じ、雑誌の不振が長期の出版不況をもたらしてきている。2013年には図書館の貸出部数が販売部数を上回る事態に。大手の出版界は、図書館が新刊の売れ筋の本を多数所有すること(これを「複本」という)を問題にしてきた。これも図書館を「本」と「読書」の空間としかとらえてこなかった日本の現状からきた論争だろう。
ぜひ、本作を見ての、出版人、作家側からの感想を聞きたい。

本作は「ダイレクト・シネマ」とか「観察映画」と呼ばれるワイズマン監督の作品の一つ。ナレーション、サブタイトル(字幕)、音楽(本作ではエンドロールにグレン・グールドのゴルトベルグ変奏曲が流れるが)、インタビューなどはない。ただ、NYPLは本館の下に4館の研究図書館、88館の地域分館をもつ大きな組織のため、映画評にもあったように、外景シーンに道路標識が映され、バックヤードに入るまえには「staff only」の名札がたびたび出てくる。そして幹部会議の場面は必ず、廊下のシーンから始まる。われわれを迷子にさせない演出か。
しかし、映画が始まると、われわれはもうNYPLの中を縦横に歩き回る。すべての人がまるで稽古を重ねたような、素晴しい話を繰り広げ、カメラの存在を忘れたようにふるまう。まさにワイズマンの映画だ。
本映画は2015年に撮影3ヶ月、事前準備2ヶ月、トランプが大統領選挙に勝利した2日後に完成したいう。
そして見終わって、不思議な気分になった。そのことを先に紹介した共同通信の記事がうまく表現してくれている。この3時間は「トランプ大統領に不安を抱く人にとって、〈まだアメリカは大丈夫〉という多少の安堵をもたらす時間でもある。」

NYPLのマンハッタンでの位置関係がなかなか頭にはいらない。先に紹介した菅谷明子さんの本、『未来をつくる図書館』の中の地図を見て、ようやく理解できた。
秋のニュヨークシティマラソンのフィニッシュはセントラルパークだが、NYPLの横がそのコース近くになっているそうだ。岩波ホールで隣席のおジイさん(たぶんわたしより若い)が「昨年、ここを走ったよ」と話かけてくる。
来日したキャリー・ウェルチさんが言う。「私たちの予算は年間およそ3億7000万ドル。そのうち約50パーセントがNY市から地域分館のために、また研究図書館のためにNY州からの2000万ドルをあて、残りは民間からの寄付です。」
調べてみると、NYPLの本館は別名「スティーブン・A・シュワルツマン・ビル」というらしい。2007年から2011年にかけて行われたNYPL本館の大規模な修復工事に、事業家で投資家のスティーブン・A・シュワルツマンが1億ドルを寄付したために、その名がついているようだ。このシュワルツマン氏はドナルド・トランプの古くからの友人で、トランプ政権ではある大統領諮問委員会の議長(2017年1月〜8月)を務めたそうで、これはまた皮肉な話である。

今朝、いつも使っている隣りの区の図書館に行ってきた。昨日、他の分館から取り寄せてもらった本が届いたと電話があったからだ。
この分館でも、朗読、映画の上映会、テーマをしぼったブックフェア、作家フェアなど工夫をこらした催しものをしている。先日は「教科書展示会」。
ある時から、相手をしてくれる図書館員が変わった。聞けば、図書館に納本をしている会社の派遣社員だという。みんな、その会社の名前の入ったユニフォームを着ている。「役所の人より、愛想がいい」という人もいる。岩波ホールの映画チラシをよく見ると、この派遣会社が上映の「協賛」会社になっていた。
ガンバレ、日本の図書館そして派遣労働者!NYPLははるか遠いけど。