(90)『大地のうた』のこと
[2020/9/26]

永井保さんのことを思い出した。永井さんは新宿書房から2冊のインド文学の本を翻訳してくれた。『大地のうた』と『えび』である。永井保(筆名=林良久)さんが亡くなって、まもなく20年がたつ。2000年10月13日の47歳の誕生日に亡くなった。自死だった。
ある日、永井さんは、『大地のうた』の原稿を持って、当時九段南にあった新宿書房に現れた。あのサタジット・レイ監督の名作映画の原作だという。岩波ホールで上映された『大地のうた』からはじまるこの3部作が大好きだった。すぐにわたしの心は動いた。しかし永井さんはなかなか一筋縄でいかない翻訳者だった。編集作業が始まると、永井さんは、訳文にこだわり、編集者の注文や校正者の指摘になかなか応じない人であることがわかった。最後に本が出来上がる直前に翻訳者名を本名から「林良久」にすると言い出した。しかも出来上がった本には「訳者略歴」もない、不思議な本になった。マスコミからの書評のインタビューにも応じてくれなかった。訳者の正体を明らかにすることをひどく嫌った。このあたりことは、私は渡辺建夫さんの本の中でもお話している(渡辺『つい昨日のインド 1968〜1988』)。

以下、本と映画の『大地のうた』の関連年表を書き出してみる。

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1894 原作者のビブティション・ボンドパッダェがインドのベンガルで生まれる(〜1950)。
『大地のうた』(1929)原題は『道のうた』『道の物語』という意味だそうだ。
『オポラジト(不屈)』→前半が映画『大河のうた』、後半が映画『大樹のうた』原作になる。ほかに『遠い雷鳴』、『森林にて』(1939)などの作品がある。
1953 永井保(筆名:林良久)三重県に生まれる
1955 サタジット・レイ『大地のうた』1956年カンヌ国際映画祭ヒューマン・ドキュメンタリー賞、日本公開1966.10.11。1966年のキネマ旬報ベスト・テン[外国映画]第1位。音楽:ラビ・シャンカール 配給:東和=ATG(ポスター:檜垣紀六)

ちなみに第2位はオーソン・ウェルズ『市民ケーン』(1942)。
1956 サタジット・レイ『大河のうた』(1957年ベネチア国際映画祭金獅子賞、日本公開1970.11.28 配給:ATG)
1958 サタジット・レイ『大樹のうた』(日本公開1974.2.12 配給:エキプド・シネマ)
1973 サタジット・レイ『遠い雷鳴』(ベルリン国際映画祭金熊賞、日本公開:1978.4.8配給:エキプド・シネマ)
1974 サタジット・レイ『大樹のうた』の上映のため、岩波ホール支配人の高野悦子が東和の川喜多かしこと組んで、「エキプ・ド・シネマ」(映画の仲間)を立ち上げる。2月12日から、同ホールで『大樹のうた』の上映が始まる。
1976 ベンガル文学の同人誌『コッラニ——インドの人と文化』創刊(終刊は2000年の第16号、永井も同人に)この『コッラニ』の第1号から8号に『大地のうた』の前半部分を連載。もちろん、「永井保」の名前で。ちなみに「コッラニ」とは「幸せをもたらす吉祥の女性」の意味だそうだ。
1978 永井保、カルカッタ(現・コルカタ)留学。1981年12月まで?
1981 下北沢・インド音楽ライブハウス「あしゅん」オープン。佐倉永治、栗原健二、大西咲子の3人で経営。「あしゅん」はベンガル語で「いらっしゃい」の意味。1987年9月19日閉店。最後まで残っていた大西咲子は神戸に帰る。三宮で1994年7月から2003年までインド音楽と食事の店「あしゅん」を経営。
1984 林良久訳『大地のうた』刊行(8月、新宿書房)。「双書・アジアの村から町から2」として。装丁=中垣信夫+早瀬芳文。
1984 11月11日、大月の伊藤昭宅での『大地のうた』出版記念の会(新装・新版の付録最終頁参照)。
1988 林良久訳『えび——ケーララの悲恋物語』刊行(5月、新宿書房)。「双書・アジアの村から町から6」として。原作は1950年代のケーララのベストセラー小説で、ケーララの地方語のマラヤラム語だったが、ベンガル語から重訳した。装丁=中垣信夫。本書でも訳者略歴はない。
2000 10月13 日、永井保(林良久)死去。享年47。
2004 渡辺建夫『つい昨日(きのう)のインド 1968〜1988』(4月、木犀社)。「夢醒めぬまま逝った友への鎮魂歌」(帯文から)。永井保を横軸に、めくるめく「インドの時代」を生きた若者たちの記録。
2008 林良久訳『大地のうた』、24年ぶりに復刊(新装・新版、2月、新宿書房)。装丁=中垣信夫+井川祥子。本文は、理想社の最後の活版印刷(2007年12月)で印刷。編集者仲間で工場に見学に行く。

   
2冊の『大地のうた』

2016.12〜2017.3 大西咲子「インド音楽ライブハウス あしゅん」『VIKING』 (792号〜795号まで4回連載)

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上の年譜に出てくる下北沢の「あしゅん」。ここに閉店まで足繁く通ったお客の一人が永井保さんだった。そのオーナーの大西咲子さんと、後年不思議な出会いを持つ。新宿書房で刊行中の「宇江敏勝民俗伝奇小説集」、いま最終の10巻目の『狸の腹鼓』の編集の真っ最中だ。この大西咲子さんは、宇江さんと同じ文学同人誌仲間、『VIKING』の仲間だ。大西さんは、この「宇江敏勝民俗伝奇小説集」の7巻『熊野木遣節』(2017)の投げ込み月報に原稿を寄せてくださった。

永井保(林良久)さんを思い出すきっかけは、ベトナム文学の翻訳者・加藤栄(かとう・さかえ)さんから先日、新刊の『幼い頃に戻る切符をください』(グエン・ニャット・アイン著、伊藤宏美訳・加藤栄監訳、大同生命国際文化基金、2020)をいただいたことによる。
大同生命国際文化基金による「アジア諸国の現代文芸作品の日本語翻訳出版 アジアの現代文芸」シリーズという翻訳出版プロジェクトがある。
この翻訳出版は1986年3月よりスタート、本書で75冊目。ベトナムの作品としは、5冊目になるという。同書には2編の作品が収録されている。表題作の「幼い頃に戻る切符をください」(伊藤宏美訳)と「菊の花に別れを告げて」(加藤栄訳)である。
グエン・ニャット・アインはベトナムを代表するベストセラー作家であり、現代児童文学(ヤングアダルト)の第一人者。「幼い頃に戻る切符をください」は2010年アセアン文学賞を受賞している。本書だけでなく、この大同生命国際基金による「アジアの現代文芸」シリーズの本には、定価もISBNコードも記載されてない。つまり市販されておらず、すべて日本各地の図書館、大学図書館などに寄贈しているという。一生命保険会社による、すばらしい出版活動だと思う。
加藤栄さんからのお便りは本当にひさしぶりだ。加藤さんは新宿書房から2冊のベトナム文学の作品を翻訳出版されている。
新宿書房のシリーズに、「双書・アジアに村から町から」というのがあった。1983年から1994年までに14冊を刊行している。アジア各国の暮らしと文化を描いた記録を出版しよう、なかでも各国の出版物はその国の言語から直接に翻訳していこうというシリーズだった。結局14冊で終わったいわば未完のシリーズだ。
これらの翻訳書のうち、9冊がトヨタ財団のプログラム「隣人をよく知ろう」に応募した出版だった。同プログラムでは翻訳者へ(出版社へ、ではない!)翻訳原稿料が支払われた。翻訳者(研究者)はどうしても出したいが、いままで翻訳出版の道がなかった、しかしたいへん貴重な本であると出版社に相談してきたが、出版社には、結果としてほんとうに厳しい「売れない企画」だった。加藤さんの翻訳本『流れ星の光——現代ベトナム短編小説集』(1988)『夏の雨——現代ベトナム長編小説』(1992)のうち、『夏の雨』はプログラム「隣人をよく知ろう」に応募している。

未完に終わったこの「双書・アジアに村から町から」。ある時、友人から慰められたことがあった。「このシリーズ、タイトルだけは良かったね」と。まあ、新宿書房(村山)への心やさしい、いやふさわしい、厳しいエールだった。