(82)「はたちの頃に読んだ本」
[2020/7/31]

『彷書月刊(ほうしょげっかん)』という雑誌があった。古書と古書店をテーマにしていた月刊情報誌だ。創刊は1985年9月、2010年10月で廃刊になっている。
この雑誌の1992年1月号の特集は「はたちの頃に読んだ本」である。最近、必要があって、ネットで探し岡山市の古本屋さんから購入した。500円。なんと当時の税込定価と同じだ。実はこの号に私も書いている。
目次をみるとみんさんもご存知である多士済々のお名前が並んでいる。

二十歳前後に私が読んだ本の数々 渡辺啓助
あの頃読んでいた本 山口昌男
好詩集点々の時 伊藤信吉
帯の文字に 岡部伊都子
「お国のために」の時代に 家永三郎
水晶のように煌く美しい一篇 道浦母都子
記念の一冊 庄幸司郎
言葉の力 小川康彦
「学徒出陣」の頃 田村義也
出会った一冊 富士田元彦
今東光さんが「極道辻説法」と書いた色紙 河内家菊水丸
痛棒『映畫雑記』 米田義一
二十歳の教科書『白文萬葉集』 斎鹿逸郎
「そんな話、しなかったじゃない」 井上理津子
外骨さんに一目惚れ 松田哲夫
二十歳の頃の日記 加藤邦彦
多様な道を知る 有田嘉伸
心に風が吹いていた 唐澤俊一
逃避行としての読書 村山恒夫
読むことをすすめられた幾冊かの書物 川崎賢子
「そうや、男は容姿やない、心やな」 わかぎえふ

当時、私は45歳。編集者として馬齢を重ねてすでに20年が過ぎていた。しかし、ここにはいかにも場違いな執筆者である。これは、ひとえに編集装丁家の田村義也(よしや:1923〜2003)さんと『彷書月刊』の編集長・田村治芳(はるよし:1950〜2011)さんの二人のコネによる推挙があったからにちがいない。このふたりの田村さんは世田谷・九品仏の隣近所同士で、治芳さんの古本屋「なないろ文庫ふしぎ堂」は駅に近い踏切際にあり、義也邸はそこから歩いて数分の近さだった。

どんなことを書いたか、いささか恥ずかしい内容でもあり、そこは目をこらして画像をみていただくとして、ここでは私が何の本を読んだのか、そのあたりのことをお話ししたい。
取り上げた本は2冊。ポーランドの文学者、マレク・フラスコ(1934〜1969) の作品だ。
・『週の第八の日』(佐藤亮一訳、角川書店、1959年6月)長編小説で原書は1957年刊。
・『雲の中への第一歩』(工藤幸雄訳、角川書店、1959年11月)15作からなる短編集で原書は1956年刊。
訳者のひとり、佐藤亮一さん(1907〜1994)は戦前では毎日新聞の記者、戦後では数々の英米文学の名作の翻訳者として知られた人だ。もうひとりの工藤幸雄さん(1925〜2008)はポーランド文学、ロシア文学の翻訳者としてつとに知られている。工藤さんは自著の『ぼくの翻訳人生』(中公新書、2004年)の中で、このマレク・フラスコの『雲の中への第一歩』のことにふれている。それを読んで驚いたことが、ふたつあった。

「書名・作者名に、共にミスがある。Hlaskoの姓は、「フワスコ」と読むのが正しく、標題も『雲の中の第一歩』でなくてはならない。」と実にさりげなく書いている。工藤さんは共同通信社在職中にフルブライト奨学金でインディアナ大学大学院のスラブ学専攻に留学する。その間に本書の翻訳を始めた。ポーランド語の授業もまだ始まらない頃だったという。「生かじりのポーランド語による失態である。」「たねを明かせば、(中略)フランス語の訳本を頼りとした。カンニングに近い」とも書いている。
この訳者に怒る前に、私はすごいショックを受けた。私は「雲の中への第一歩」という表現に、不安に満ちた20歳の自分の青春放浪の歩みを形容したことばとして、愛していたのに(笑)。刊行から45年後に、こうあっさり告白し、居直られても、こまる。国会図書館をはじめとする書誌データはどうしてくれる。今もそのまま残っているのだ。
いたずらに翻訳無料サイトを使い、wikiの「フワスコ」の項から原題を探し、翻訳してもらうと、「雲の中での第一歩」と出た。これは、よりわかりやすい。

もう一つは、驚きというか、発見だ。この角川書店から出た2冊のマレク・フラスコ(フワスコ)の翻訳の編集担当者は須藤隆さんだった。この須藤隆さんはのちに英米のベストセラー作家の翻訳を量産した人気翻訳家・永井淳(1935〜2009)になる。
この「フワスコ」「雲の中の」問題、当時の編集者の須藤さんには責任がないだろう。しかし、フワスコの作品が英語版、フランス語版が出て、西側ヨーロッパで人気を博し、『マンチェスター・ガーディアン』(1959年『ガーディアン』と題号変更)では、「ポーランドの怒れる若者のひとり」と紹介され、その余勢をかって邦訳出版への道筋が作られてきたにちがいない。永井さんは英訳本を見ていたはずだ。となると、やはり少し責任がある。
さて、工藤さんの本で実はもうひとつ発見があった。著者は共同通信在職中の1964年、東欧六カ国を取材する。なんとチェコスロバキアのプラハでの通訳は、プラハ大学日本学科の女子大生、チハーコヴァーさん。『新版 プラハ幻景―東欧古都物語』(新宿書房、1987)の著者の若き日の彼女が登場するのだ。

わたしには、いまは時間がある。「怒れる若者たち Angry Young Men」と呼ばれた1950年代のイギリスの作家、アラン・シリトーやジョン・オズボーン、コリン・ウィルソンなどの作品を読み直し、トニー・リチャードソンの『長距離ランナーの孤独』やカレル・ライスの『土曜の夜と日曜日の朝』などの映画をもう一度見ようと思う。
また、「ポーランド派」と呼ばれた、イェジー・カワレロヴィッチの『影』やアンジェイ・ワイダの『地下水道』や『灰とダイヤモンド』の映画も今一度見てみたい。
そして、これらの歴史文化の文脈の中に我がマレク・フラスコの『雲の中への第一歩』をそっと置いて、じっくりと読み直してみたいものだ。