(15)火を焚きなさい 宇江敏勝
[2019/3/29]

映画『よあけの焚き火』(土井康一監督、桜映画社)の東京での続映も3月29日で終了、5月からは長野県各地や神奈川、大分などでの上映が始まる。

焚き火で思い出したことがある。ぜひ、みなさんに読んでほしい、すばらしい詩がある。山尾三省(やまお・さんせい 1938〜2001)の詩だ。三省さんは1967年コミューン「部族」に参加、77年より鹿児島の屋久島・白川山(しらこやま)の里に移る。

1983年、宇江さんの『山に棲むなり』。84年、秩父に住む斎藤たまさんの『ことばの旅』、宇江さんの『山の木のひとりごと』、そして85年に、たまさんの『生ともののけ』と三省さんの本を出版した。宇江さん、たまさん、三省さん。熊野、秩父、屋久島。私の関心は東京(中央)から離れていた。

新宿書房では、2冊、正確には3冊の三省さんの本を出している。『縄文杉の木蔭にてー屋久島通信』(1985年、菊判変型 装丁=鈴木一誌、写真=日下田紀三、挿絵=山尾順子)。これを9年後、判型も四六判に変え、『増補新版 縄文杉の木蔭にてー屋久島通信』(1994年、装丁=吉田カツヨ、写真=大橋弘、さし絵=山尾順子)、そして3冊目となる『回帰する月々の記ー続・縄文杉の木蔭にて』(1990年、装丁=鈴木一誌、写真=山下大明)である。

どちらの『縄文杉の木蔭にて』にも「火を焚きなさい」というエッセイが収録されており、その中で同名の長篇詩が綴られている。この詩については、山尾三省さんが亡くなった2001年の「三栄町路地裏だより」 でふれたことがある。この詩をじっくり読んで、もういちど映画『よあけの焚き火』を見てみたい。


1月27日放送(再放送2月2日)のNHK Eテレ『こころの時代』「山の人生 山の文学」で作家・宇江敏勝(うえ・としかつ)さんが特集された。放送後の大変な反響を呼び、たくさんの方からお便りをいただき,すでに本コラ厶(10)では、平塚市の山岸道子さんのお便りを紹介した。

長年の熱烈な宇江ファンからだけでなく、初めて宇江さんのことをこの番組で知ったという方からも多くのお便りや注文をいただいた。販売力、宣伝力のない小さな版元店主としては、著者の宇江さんにはほんとうに申し訳ない気持ちだが、しかし新しい宇江愛読者をたくさん迎えた幸せを素直に喜んでいる。

詩人の林浩平さんもその新しい宇江ファンのひとり。ご自分のブログ「新饒舌三昧」で書かれたエッセイを、林さんの了解を得て、ここに再録させていただく。

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紀州熊野からはじまる・・・宇江敏勝、室野井洋子

林浩平

つい最近、その存在を知ったのですが、作家の宇江(うえ)敏勝さん、1937年生れの現役の小説家・エッセイストですが、経歴がとてもユニークです。三重県尾鷲の炭焼きの家に生まれ、熊野に育ちます。和歌山県の熊野高校を卒業したあとは、「山びと」として炭焼きや林業に従事しながら文筆活動を続けて、中公新書で『山びとの記』、岩波新書で『森のめぐみー熊野の四季を生きる』などを刊行、さらには熊野を舞台とした小説も多数発表していますね。

 先日に放送のあったNHKの「こころの時代」にその宇江敏勝さんが出演されました。いや、担当ディレクターの西世賢寿さんから「観てくださいよ」と案内があったので観たのですが、面白かった。現在のお住まいが、ちょうどこの正月に訪ねた紀州は田辺市の一画、中辺路町ですから、ご縁もあります。

 まずはその番組のシーンを紹介しましょう。(画像は省略)

 宇江さんの自宅の書斎で、西世ディレクターがインタビューする、という形式で進みます。宇江さん、81歳というのに肌の艶がよくてお元気、質問に答えて、山での暮らしや炭焼き経験、狸の話などを語ります。言葉遣いや話しかたが、こちらは三重県の出身の歌人の岡野弘彦さんにちょっと似ているな、と思いました。

 お話しのなかに、南紀の日置川で働いたということも出ましたが、おやおや、日置川町、ここは小生の父親の郷里なのですね。実父と母親は当方が6歳のときに協議離婚をして、小生は母親の林姓になりましたが、父親は小山といいました。晩年の父親とは親しい付き合いを続けたので、日置川町の小山家の菩提寺と墓所には何度も参拝しています。ちなみに、日置川町は、田辺市から20キロほど南にあって、また母方の郷里、すなわち小生の本籍地は、田辺市より60キロほど北の御坊市の祓井戸村です。旧ブログ「饒舌三昧」の2017年夏の記事では、本籍地の近所に有間皇子の古墳が、という話題とともに、御坊の町の紹介をしています。

 なんにしても、当方の郷里ともおおいにご縁のある地域の話です。これは宇江さんの小説を読まなくては、というので、新宿書房から出ている『熊野木遣節』を買って読んでみました。これがまた面白かった。確かに登場人物の科白「山の木の手入れはせんならんし」とか、「とくべつ美味いさかいのう」とかは、小生の郷里の方言のままです。昼飯に茶粥を食べる風習もそのまま。(祖母は、茶粥にサツマイモを入れて煮てくれたものです。)七つの短篇が収められています。中心は「七はぎの産着」でしょうが、最後の「いただきの女たち」が読後の余韻縹渺として、心に残りました。

 しかし、宇江敏勝さんとは、これはまったく偶然ですが、また違ったご縁がありました。『熊野木遣節』をはじめ、新宿書房から出ている宇江さんの著作を26冊も担当した編集者が、室野井洋子さんでした。ただ室野井さん、この『熊野木遣節』が手掛けた最後の本になってしまいます。というのも、2017年の7月3日にまだ60歳にもならないのに、病気で亡くなってしまったのです。室野井さん、実はただの編集者?ではなくて、舞踏系のダンサーであり、整体を学び、エッセイを綴っていました。

 笠井叡さんの門下生でもあったそうですから、僕もどこかで知り合っても良かったのですが、残念ながら存じ上げないまま、したがってその舞踏家としての舞台も観る機会はないままでした。それが、著者没後の遺稿集として、室野井さんの文章が一冊に収められ、『ダンサーは消える』(発行:ザリガニヤ 発売:新宿書房)というタイトルで昨年に刊行されたのですね。それを書評紙の『週刊読書人』が、僕に書評をするように、と誘ってくれたのです。

 ダンサーとしての身体論や舞踏についての所見などもありますが、身体を「内観」するという独自の視点から様々な話題に触れた随筆の文章が刺激的でした。拙文は、昨年2018年11月16日号に掲載されましたが、現在では、読書人ウェブで自由にご覧いただけます。 以下にそのURLを紹介します。

 https://dokushojin.com/article.html?i=4584

 これもまったくの偶然ですが、室野井さんの横浜での高校生時代の同級生に、僕がベース&ヴォーカルで参加しているロックバンドのギタリストで、フランス文学が専門の星埜守之氏がいて、高校時代から親しかったとか。さらに、こんなことは縁とも言えないほんの偶然、でしょうが、先日にお目にかかった詩人・映画監督の福間健二さんと喋っていたら、「室野井さんの本の書評、ありがとう」と言われたので、「?」でした。「いや、家内があの本の編集の仕事をしたので」とのこと。そうか、「編集」のクレジットに「福間恵子」さんのお名前がありますね。ともかくそんなことが重なったので、ここに報告させてください。

 室野井さんの経歴でユニークなのは、故矢川澄子さんと、他の何人かと一緒に杉並で共同生活を営んだ時期があった、というところですね。矢川さんはドイツ文学者で、透明感のある、しかし強い解析力を備えた文体のエッセイストでしたが(まあ元澁澤龍彦夫人だった、というのは言わずもがな、ですが)、自ら死を選びました。そんな矢川さんとの間に確かな絆を持っていた、というのが気になります。ダンサーでしたから、舞台を記録した映像などもあるそうですし、なんとも気にかかる存在です。西世さんには、「室野井洋子をドキュメンタリーで採りあげられませんか」とはお願いしています。まあいまのNHKの番組枠には、以前の「ETV特集」のような、文化系のテーマを自由に提案できるようなものがないのでなかなか難しいでしょうが、それこそ「こころの時代」でどうでしょうかね。

 お別れの「引用句」、その室野井さんの言葉から、としましょう。

「季節のからだから、おのずと湧きいづる動きがある。それは季節によってさまざまな形をなし、たとえ同じ軌跡をたどる動きであってもその気配はあきらかに変わってゆく。」
(室野井洋子『ダンサーは消える』)


林浩平(はやし・こうへい)プロフィール

1954年和歌山県生まれ。

詩人。評論家。文学・ロック・アート・コンテンポラリーダンスを対象に批評活動を行う。

恵泉女学園大学特任教授。日本近代文学会、昭和文学会、四季派学会に所属。学術研究の専攻は、萩原朔太郎・折口信夫・瀧口修造・三好達治他。

東京大学法学部卒業。NHKディレクターを経て、早稲田大学院で日本文学を学び博士課程単位取得退学。

主な著作に、詩集『心のどこにもうたが消えたときの哀歌』、『光の揺れる庭で』、『天使』(いずれも書肆山田)、評論集『折口信夫 霊性の思索者』(平凡社)、『裸形の言ノ葉・吉増剛造を読む』(書肆山田)、『テクストの思考・日本近現代文学を読む』(春風社)、『ブリティッシュ・ロック 思想・魂・哲学』(講談社)、『ロック天狗連』(彩流社)ほか。編著書に、『やさしい現代詩』(自作朗読CD付き)、『生きのびろ、ことば』(ともに小池昌代・吉田文憲との共編、三省堂)ほか。