(98) 山の作家が歩いてきた道

[2020/11/21]

本日、宇江さんの新刊『狸(たぬき)の腹鼓(はらつづみ)』の見本30部が出来あがってきた。

10年をかけてとうとう完結だ。この「民俗伝奇小説シリーズ」の第1弾『山人伝』が刊行されたのが、2011年6月、そうあの東日本大震災の[3・11]から3ヶ月後のことだ。宇江さん、ほんとうにご苦労様でした。83歳をすぎていまなお現役、熊野在住の山の作家の最新刊は、すべて書き下ろしの4作品を収録している。

4作のあらすじを書きたいところだが、ネタバレになる恐れがあるのでやめておこう。
ただこの4作品をあわせて読むと、まさに「熊野百年物語」となる。
そして7巻の『熊野木遣節』から恒例となった付録の月報が今巻にも投げ込まれている。今回の執筆者は、田寺敦彦、桐村英一郎、佐々木康彦の各氏に、著者の宇江敏勝さんの4人。どうぞお楽しみに。

宇江さんが著作活動を始めたのが22歳の1959年(昭和34)のことだろうか。それからの60年、宇江さんが歩いてきた道がこの「民俗伝奇小説シリーズ」を創り出してきたのだ。
簡単な「宇江敏勝年譜」を書き出してみた。

1937年(昭和12)三重県尾鷲町(現・尾鷲市)九鬼に炭焼き職人の子として生まれる。
1933年(昭和18)さまざまな山中の炭焼き小屋に住んだ後、和歌山県西牟婁郡近野村大字野中長井地区にあった沖平に父親が家を建てる。
1950年(昭和25)近野中学校に入学。
1953年(昭和28)西牟婁郡上富田(かみとんだ)町の県立熊野高校(普通科)に入学。寄宿舎生活をする。両親は県道沿いの中古の家を買って山を下りて移住、衣料品店を営むが、うまくいかず炭焼き生活に戻る。経済的な理由で1年間休学。
1957年(昭和32)高校卒業後、田辺市の地方新聞社の見習記者になるが数ヶ月で辞め、再び山に戻り、林業の現場で働き始める。
1958年(昭和33)近野森林組合青年作業班に入り、植林作業に従事。
1959年(昭和34)富士正晴主宰の文芸同人誌『VIKING(ヴァイキング)』(神戸)に加わり、詩や雑文を投稿する。
1971年(昭和56)『VIKING』239号(1970年11月)に掲載された「牧歌は途絶えた」が『文学界』(文藝春秋)4月号に転載される。
1980年(昭和55)『山びとの記』(中公新書)刊行。林業労働者としての現役は引退し、執筆活動に専念する。

さて、私が宇江さんと手紙のやりとりを始めたのが、1982年の1月あたりだろうか。そして初めて中辺路のお宅に行ったのが、5月の連休だ。このことは、今回の月報に田寺さんがお書きになっている。また、新宿書房の最初の宇江さんの本、『山に棲むなり』の「新芽の日記」の章にも私の名前(村山恒夫)が登場する。当時、雑誌『望星』(東海教育研究所)において、宇江さんは「山に棲むなり」を連載していた。中公新書『山びとの記』ですっかり宇江ファンになった私は『望星』の編集部に行って、この連載がまだどの出版社からも単行本になる計画がないことを確認し、さらに宇江宅の住所までも教えてもらったのだ。

以下、新宿書房の宇江本の出版史を整理してみる。

1983年(昭和58)『山に棲むなり』(*は「宇江敏勝の本 全12巻」に収録されている)装丁=吉田カツヨ
1984年(昭和59)『山の木のひとりごと』*(A5変判)装丁=吉田カツヨ
1988年(昭和63)『炭焼日記』*装丁=田村義也
1989年(昭和64)『木の国紀聞』装丁=田村義也
1995年(平成7)『樹木と生きる』*(『山の木のひとりごと』を四六判にし、かつ改題) 装丁=吉田カツヨ
1996年(平成8)『森をゆく旅』宇江敏勝の本第1期① 装丁=田村義也
         『炭焼日記』宇江敏勝の本第1期②

1998年(平成10)『山びとの動物誌』宇江敏勝の本第1期③
2000年(平成12)『森の語り部』装丁=田村義也
2001年(平成13)『山に棲むなり』宇江敏勝の本第1期④
         『樹木と生きる』宇江敏勝の本第1期⑤
         『若葉は萌えて』宇江敏勝の本第1期⑥

2004年(平成16)『熊野修験の森』宇江敏勝の本第2期① 装丁=桂川潤
  同年(同)  『世界遺産|熊野古道』装丁=吉田カツヨ
2006年(平成18)『山びとの記』宇江敏勝の本第2期②
  同年(同)  『森のめぐみ』宇江敏勝の本第2期③
2007年(平成19)『熊野川』宇江敏勝の本第2期④
2008年(平成20)『森とわたしの歳月』宇江敏勝の本第2期⑤
2009年(平成21)『山河微笑』宇江敏勝の本第2期⑥

2011年(平成23)『山人伝』宇江敏勝 民俗伝奇小説集① 装丁=鈴木一誌
2012年(平成24)『幽鬼伝』宇江敏勝 民俗伝奇小説集②
2013年(平成25)『鹿笛』宇江敏勝 民俗伝奇小説集③
2014年(平成26)『鬼の哭く山』宇江敏勝 民俗伝奇小説集④
2015年(平成27)『黄金色の夜』宇江敏勝 民俗伝奇小説集⑤
2016年(平成28)『流れ施餓鬼』宇江敏勝 民俗伝奇小説集⑥
2017年(平成29)『熊野木遣節』宇江敏勝 民俗伝奇小説集⑦
2018年(平成30)『呪い釘』宇江敏勝 民俗伝奇小説集⑧
2019年(令和1)『牛鬼の滝』宇江敏勝 民俗伝奇小説集⑨
2020年(令和2)『狸の腹鼓』宇江敏勝 民俗伝奇小説集⑩

新宿書房の宇江本の出版史をみても、ノンフィクションから文学へと大きく舵を切ってきたことがよくわかる。
『VIKING』でのデビューは1954年(昭和34)。当初宇江さんは、詩や小説を目指していた。『VIKING』に発表した長編小説が東京の大手出版社の文芸雑誌に載ったこともあった。そしてある日、同人誌の主宰者・富士正晴に声をかけられる。その後のことは前回のコラムで紹介した。ノンフィクションの宇江ワールドの道が始まり、1980年の『山びとの記』の大ヒットでそれは決定的となった。それから、30年。熊野の山、日本の山も大きく変わり(荒れ)、山人(山びと)の暮らしが消え、それを記録することがいまや難しくなったのだろう。里人になった宇江さんは、自分の体に残る記憶・記録を駆使して、山の文学の再創造への道をあらたに歩み出したのだと思う。それが、この「民俗伝奇小説集」の始まりだ。

「民俗伝奇小説集」の既刊本から、『怪異十三』(三津田信三編、原書房、2018)に収録されている作品がある。それは第1巻『山人伝』に収録されている「蟇(ひき)」 (初出=『VIKING』1972年2月、第259号)だ。その「蟇」が「ほんとうにぞっとした話」 十三篇のひとつに選ばれのだ。同書での三津田さんの「蟇」への解説がとてもいい。以下引用する。
「(前略)宇江の著作は大きく二つに分かれる。一つは自叙伝『山びとの記 木の国果無山脈』(1980)のように、自らの体験と知識に基づいて山人たちの労働と生活を記録した、民俗学的資料価値が極めて高い本で、もう一つが彼の強みを活かして書かれた民俗伝奇小説になる。
参考文献という意味では、僕は前者に興味を覚えた。だが個人的により惹かれたのは、何と言っても後者である。奥深い山村や河川を舞台に、民俗色が豊かな怪奇的または幻想的な世界が展開される一連の作品は、これまでに『山人伝』『幽鬼伝』『鹿笛』『鬼の哭く山』『黄金色の夜』『流れ施餓鬼』『熊野木遣節』と纏められてきた。そこでは山中に潜む魔物や妖怪が、当たり前ように顔を出す。仮に同じ題材を他の作家が扱っても、こうは上手く表現できない。この特有の妖しさは、宇江作品ならではだろう。
そういった怪奇と幻想を描きながらも、身体の不自由な少女の一生、一つの村や峠の茶屋の栄枯盛衰、伝馬船の船頭や猟師や筏師や炭焼き男の生活、善根宿や山の郵便配達夫や栗の壺杓子屋の仕事などを、宇江は叙情的に活写する。作品によっては、ほとんど怪異が顔を覗かせない場合もある。とはいえ少しも不満を感じないのは、お話の面白さ故だろう。」
そして取り上げた「蟇」について、こう解説する。
「そんな宇江作品の中で、一番短いにも拘らず圧倒的に怖かったのが、本作になる。岡本綺堂の怪談に通じる戦慄に、一読して僕は震え上がった。やっぱり〈本物〉ほど恐ろしいものはないのである。」