(115) 平野甲賀さんが残した描き文字

[2021/3/27]

3月24日各紙の朝刊にデザイナー・装丁家・平野甲賀さん(1938〜2021)の訃報が載った。3月22日に肺炎のため死去、82歳。葬儀・告別式は近親者で行い、喪主は妻の公子さん、とあった。
平野さんに装丁を1冊、お願いしたことがある。作家・黒川創さん(1961〜)による日高六郎との対話をまとめた本である。黒川さんは平野さんととても親しかった。2012年に夏頃に、3人で当時神楽坂にあった日本出版クラブの喫茶店でお会いした。
いまあらためて、出来上がった本を手にとり、忘れていた日々を思いおこす。
わたしが黒川さんに最初に会ったのは、1984年のことだ。日高六郎さん(1917〜2018)の紹介で、当時九段南にあった新宿書房の編集室にやってきた。京都の大学を出たばかりで、23歳だったろうか。新宿書房は彼を雇う余裕もなかったが、「日高六郎さんの自叙伝を聞き書きでまとめないか」と仕事を振ってみた。当時、日高さんは67歳だった。わたしは、70年代に平凡社百科年鑑編集部にいたころ、編集顧問の日高さんにはいろいろお世話になった。鎌倉(当時)のお宅に原稿を取りに行ったこともあった。学者でもあったが、市民運動家でもある日高さんの存在そのものに興味があった。
それから黒川さんは時間があれば週末に、新幹線で京都の日高先生宅へ通い、インタビューを重ねる。テープを起こし、整理し、清書(!)した、優に本一冊分になる原稿を先生に託して、チェックと加筆を待った。ところがしばらくすると、日高さんからは、意外というか、いや真っ当な、というべき返事がきた。「あの原稿、目を通したんだけどね、やっぱり、自分の筆で最初から書き直したいんだ。だから、その参考のために預からせてもらっておくよ」結局、この企画はそのまま立ち消えになった。それから20年が過ぎて、次の機会がやってくる。
それが、『日高六郎・95歳のポレトレ 対話をとおして』(黒川創、新宿書房、2012)だ。
本書は2006年、2007年の3回にわたる新たなる対話を通して生まれた、日高六郎の肖像(ポルトレ)である。2007年、日高さんは90歳を迎えていた。

カバーの天には、スケッチブックのバインダーの穴が置かれ、画用紙をイメージしている。日高六郎の後にくる中黒(なかぐろ ・)が、あえて2行目の頭に。そして、「対話をとおして」をサブタイトルにせず、同格にした平野甲賀さんの描き文字の3行。日高六郎の存在と著者・黒川創の役割と存在(聞き手の腕のさえ)をしめす装丁だ。

2011年の東日本大震災のあと、平野甲賀・公子さん夫妻は東京から小豆島へ移住、そして甲賀さんの没地となった四国の高松市に。この10年間、平野ご夫妻は「平野甲賀作品」の整理と保存(アーカイブ)を続けてきたように思う。そして、すべてをリセットして「その船にのって」、新しい旅を始めていた。その船跡(ふなあと)の年譜をつくってみた。

2005年 新宿区神楽坂・岩戸町に「シアター・イワト」開設(〜2012)
2006年「コウガグロテスク(06)」(描き文字フォント)発売
2006年『もじを描く』ソフトカバー・トレペ包装(188×130 60P )SUREの本だ。

2007年「モジもじ文字」展 3人展 武蔵野市立吉祥寺美術館 2012.7.28〜9.9

2008年 平野・黒川『ブックデザインの構想――チェコのイラストレーションからチラシ・描き文字まで』これもSUREの本だ。
(2011年 3・11 東日本大震災)
2011年3月 『アイデア』No.345 特集「平野甲賀の文字と運動
2012年11月『日高六郎・95歳のポレトレ 対話をとおして』(黒川創、新宿書房)
2012年 千代田区西神田に「スタジオイワト」開設(〜2013)
2012年「平野甲賀 ビラとポスター展・1964―2012」11.4〜8 西神田スタジオイワト

2013年 「平野甲賀の仕事 1964―2013展」10.21〜12.21 武蔵野美術大学美術館・図書館

母校での回顧展。ここには詳細な年譜が収録されている。
2014年 小豆島に移住
2017年「平野甲賀と晶文社展」2017.9.14〜10.24 京都dddギャラリー

2019年 高松市に引っ越し
2020年 『平野甲賀と』刊行(10.1)
2021年 『本の雑誌』4月号 特集「津野海太郎の眼力」平野甲賀「あの頃」
この雑誌のことは先日、本コラム(113)で紹介した。小沢信男さんと同じように、平野さんのエッセイも遺稿となるのだろうか。同誌の中の「津野海太郎がつくった本25冊+3」は、津野と平野甲賀の同時代史となっている。晶文社に入った二十代半ばの津野がはじめてつくった本、それはまた平野甲賀がはじめて装丁した本でもあった。『ウェスカー三部作』(木村光一訳)だ。津野と平野は同じ歳でもあった。そして、これ以後、平野は晶文社のほとんどの本の装丁を手がけることになる。

参考サイト:
https://www.asahi.com/articles/ASP1677LFNDRPTLC024.html....
「その船にのって」:
https://sonofune.themedia.jp/posts/categories/2855545/page/...
https://www.voyager.co.jp/info/detail/?id=ly-e4aij9r83

参考文献:
『装丁時代』(臼田捷治、晶文社、1999)
臼田は11人のデザイナーを取り上げ、「6 平野甲賀――書き文字の存在感」と「7 田村義也――手づくりの重厚な触感」をならべて論じている。「装幀の確とした存在感において、平野と双璧をなすのが田村義也である」とも。