(53)梅宮辰夫と村山新治
[2020/1/10]

梅宮辰夫と村山新治。この二人を並べてすぐさまその関係がわかる人はそういないだろう。
2019年の暮、12月21日に梅宮辰夫が死んだ。1938年3月生まれだから、享年81だった。梅宮は、村山新治の東映監督作品に脇役・主演も入れて14作品も出ている。村山新治(1922〜)の東映での映画監督作品は、全部で44作品だから、梅宮は実に村山作品の3割に出ていることになる。以下、その作品を並べてみよう。
*『村山新治、上野発五時三五分』(新宿書房、2018)の「村山新治フィルモグラフィー」から。
1)『海軍』(63)
2)『孤独の賭け』(65)
3)『いろ 夜の青春シリーズ2』(65)
4)『おんな番外地 鎖の牝犬』(65)
5)『夜の悪女 夜の青春シリーズ5』(65)
6)『夜の牝犬 夜の青春シリーズ6』(66)
7)『遊侠三代』(66)
8)『赤い夜光虫 夜の青春シリーズ7』(66)
9)『男度胸で勝負する』(66)
10)『ボスは俺の拳銃で』(66)
11)『柳ヶ瀬ブルース』(67)
12)『夜の手配師』(68)
13)『㊙トルコ風呂』(68)
14)『伊勢佐木町ブルース 夜の歌謡シリーズ』(68)
二人の作品での関係は1965年から68年までに集中しており、特に65年、66年では梅宮は村山作品のすべてに出演している。
梅宮は死ぬ直前に双葉社から回想集『不良役者 梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒潭』を刊行している。奥付の発行日は12月22日、双葉社のHPによると発売は20日となっている。梅宮が死んだのは翌21日だから、絶妙なタイミングである。同書によれば、この回想集は双葉社の『週刊大衆』に、2018年1月から19年10月にかけて連載した『番長「銀幕夢物語」』を加筆修正したものとある。

同書の巻末にある「梅宮辰夫 劇場公開映画出演作品リスト」はなかなかの力作である。梅宮のデビューした1959年(昭和34)から2016年(平成28)までの、全245作品を網羅している。梅宮のデビュー作は小林恒夫監督の『母と娘の瞳』であり、村山新治は、この2年前の1957年8月に『警視庁物語 上野発五時三五分』で監督デビューしている。
さっそく、書店に行き、この『不良役者』を購入する。梅宮が村山新治について何を語っているか、期待して読んでみる。
しかし、本文では村山新治の名前は最後まで一度も出てこない。
同書の第一章「番長銀幕人生」の第一節「俺の代表作は『不良番長』でも『仁義なき戦い』でもない」のくだりで、梅宮はこう語る。
「俺の答えは違う。『不良番長』が始まる前年に撮った『花札渡世』、これだね。今までに出た中では一番気に入っている。『花札渡世』というタイトルを聞いて、ピンとくる人は相当の映画通。たいていの人は見たことがないんじゃないかな。公開は1967年。監督は成澤昌茂(なるさわ・まさしげ)さん。成澤さんと言えば、もともとは脚本家で、世界的に評価の高い名匠・溝口健二監督の弟子だった人だよ。溝口監督の晩年の(大映)映画、『噂の女』(54年)『楊貴妃』『新・平家物語』(ともに55年)では共同で脚本を執筆している。溝口監督の遺作となった『赤線地帯』(56年)では単独で脚本を任されているからね。つまり、脚本家としての実力は超一流。東映に移籍後は『ひも』『いろ』(ともに65年)といった俺の主演作の脚本も担当。監督としても何本か映画を撮ったんだけど、そのうちの1本が、やはり俺が主演した『花札渡世』だった」
『ひも』で始まる「夜の青春シリーズ」は梅宮辰夫・緑魔子コンビで全7作が作られた。シリーズのうち、『ひも』、第3作の『ダニ』、第4作の『かも』は関川秀雄が監督をし、残り4作品は村山新治が監督をしている。キャメラはすべて仲沢半次郎、脚本は『ダニ』(65)の下飯坂菊馬をのぞき、すべて成澤昌茂である。
梅宮から村山新治の名前が出てこないのは、村山新治自身の「かなりの皮肉屋で、役者を可愛がらない、役者をほめない」気質からかもしれない(笑)。
『村山新治、上野発五時三五分』の中の「インタビュー 自作を語る」で、村山は『いろ』と『遊侠三代』を取り上げている。『いろ』では「これがわりに風俗映画として話題になったもんだからね。あとは続けて何本かやったのだけど、くわしくは覚えていない。週刊誌ネタかなんかでやっているから、結局ロクなものができなかったわけですね」と、冷たい。
『遊侠三代』のところでは「主役の梅宮辰夫は、まあ好人物だね。(笑)わりと人のいいやつでね」とさらりと言う。
ちなみに『いろ』は脚本家の白坂依志夫に「今年のベスト・スリーに入る傑作だった」と激賞されている。
昨年末の28日、村山新治宅を久しぶりに訪ねた。今年7月には98歳になる叔父は変わらず元気で、梅宮辰夫が死にましたねと、話を向けても、「ああ、そうだね」と、ここでもあまり反応はしなかった。
村山新治は1974年の『実録飛車角 狼どもの仁義』を最後に、完全にテレビドラマの監督に移る。そして梅宮との最後の作品から16年後の1984年、久しぶりに劇場公開映画を撮る。それが『きみは風のように』(配給=綜芸新社)だ。これに梅宮辰夫が出ているのだ。二人にはやはりなにか縁があったのかもしれない。


『いろ』完成記念写真。1965年(昭和40)6月2日。バンザイするのは梅宮辰夫。
後列中央に村山(『村山新治、上野発五時三五分』の後ろ見返し写真より)