(17)樹を見て風を聞く、静寂と清涼、戦後編集者、泰という国
[2019/4/12]

最近、いただいた本から。

1)『樹(き)の人 瀧口政満作品集』(瀧口政満著、北海道新聞社、2019年4月)A4判変型、並製、208頁、定価3000円+税。

瀧口夕美さん(作家・黒川創夫人)から。

木彫作家の瀧口政満(たきぐち・まさみつ 1941~2017)は旧満州生まれ。1965年、十勝出身のアイヌの女性、山田ユリ子と暮らしはじめ、67年に阿寒湖畔のアイヌ・コタン(集落)は移り住む。71年、そのアイヌ・コタンの一角に、初めて自分たちの店(イチンゲの店:イチンゲはアイヌ語で亀)を持つ。アカダモの木目がやさしく、温かい。阿寒の自然の中に置かれた作品が美しい(撮影=酒井広司)。収録された木彫作品(一部ブロンズ像などあり)は294点。作品解説エッセイ4編を娘の瀧口夕美が、評伝を黒川創が執筆。

本書は『樹のなかの音』(クレイン、2001)につづく、第2作品集。そして、瀧口夕美が明治学院大学の大岩圭之介(辻信一)のゼミ生であったこと、政満は同ゼミの研修旅行に娘たち学生に同行、カナダ西海岸の群島、ハイダ・グアイのハイダ族を訪問したことを、本書で知る(同書「北米のカムイ」から)

瀧口夕美の『民族衣装を着なかったアイヌ―北の女たちから伝えられたこと』(編集グループSURE、2013)を引っ張り出して、母・瀧口ユリ子の項を読み直す。

  


2)『御嶽巡歴 長見有方 写真集』(長見有方著、榕樹書林、2019年3月)A4判変型ヨコドリ、112頁、上製、定価2700円+税。

長見有方(おさみ・ありかた 1947〜)さんから。長見さんは北海道生まれの写真家、現在は千歳市に在住。106点の写真はすべて沖縄の御嶽(うたき)の風景。御嶽の森のほかには、ひとひとり写っていない。「森以外に目を向けない、森に取り憑かれたかのような長見氏のあり方は、決して奇矯でなく・・・」(同書の岡谷公二の序文から)。岡谷の最近刊には『沖縄の聖地 御嶽』(平凡社新書)がある。

長見の父親は作家の長見義三(おさみ・ぎぞう 1908〜1994)。1939年、短篇「姫樽」で第9回芥川賞候補に。著書には『アイヌの学校』(大観堂、1942、恒文社、1993)、『色丹島記』(新宿書房、1998、増補新版2005)、『水仙』(新宿書房、1999)など。

版元の榕樹(ようじゅ)書林は沖縄県宜野湾市にある。印刷も那覇市の、でいご印刷。スミを盛った印刷が御嶽の陰影と静寂を増す。

  


3)『いま、言わねば―戦後編集者として』(松本昌次著、一葉社、2019年3月)四六判、並製、192頁、定価1800円+税。

松本昌次(まつもと・まさつぐ 1927~2019)は編集者。1953年から83年まで未来社に勤務。同年、影書房を創業、2015年に同社を退く。2019年1月15日に亡くなった。亨年91。

本書は、去る4月6日に行われた「松本昌次さんを語る会」(東京・文京区民センター、会費3000円)で、軽食のサンドイッチ2ヶと一緒に渡された。

戦後編集者・松本さんの最後の本、文字通り遺言書である。本書「あとがきに代えて」で版元の方がこの本の誕生のきっかけを綴っている。「松本さんが亡くなるちょうど一カ月前の二〇一八年十二月十五日、〈最後の本〉をつくりたいとの連絡があり、ご自宅に伺った。そこで、収録予定のほとんどの原稿とともに、本書の構成・目次立てや書名から体裁・仕様、発行部数、定価、販売方法に至るまで、こと細かい指示が書かれたメモを渡された」

最期の最期まで、まさに全身編集者・松本昌次ですね。

当日の「語る会」の参加者180人余。私はもう1冊、知り合いのために買った。松本さん、よかったね、たぶん200冊近く、それも定価(税別)で売れました!シナリオ通り、製作費は回収できましたよ。

圧倒的な知を持ち、いつも真顔で全身で怒っていた人。たえず遠いところから私に、「変な本を出すなよ、出すことも必要だが、本を出さない(出させない)ことも大切だよ」と言いつづけていた人。私にはその重しが取れた解放感より、いまは喪失感のほうがもちろん大きい。

表紙の絵は『戦後文学エッセイ選』(全13巻、影書房)の「花田清輝集」の表紙に使った、アンリ・ルソーの『カーニヴァルの夕べ』(1886)。最終頁に「松本昌次の著・編著」のリストがある。松本さんの最初の単著は『朝鮮の旅』(すずさわ書店、1975)。田村義也風の装丁(もちろん田村装丁ではない)の表紙。その時代状況はあるにしても、やはり気になる本である。小田光雄は自らのブログでこの間の出版事情を冷静に綴っている。 松本さんは零細出版の苦しさを愚痴ることもなく、最後まで社会に向かって大声で発言しつづけた。




4)『戦争・言語文化・記憶―植民地教育史研究の視点から』(田中寛著、私家版、2019年3月)B5判、並製、430頁

古くからの友人で大東文化大学教授の田中寛(たなか・ひろし 1950~)さんが、先週に来社、この私家本をいただいた。本書の第2章の第1論考は2017年に発表された論文で、昨年出版した『村山新治、上野発五時三五分』のなかで参考・引用させてもらった、「大東亜共栄圏下のタイにおける文化映画工作」が収録されている。戦後、太泉映画撮影所長、東映東京撮影所長、京都撮影所長等を歴任した山崎真一郎。その山崎が戦時中は昭南市(シンガポール)日本映画社(日映)南方総支社長をしていたことや当時の映画雑誌での発言記事などを教えてくれたのが、この田中さんの論文だ(同書、p.109~110)。

本論文は、2本の国策文化映画『泰国の全貌』(1941[昭和16]年8月公開、讀売映画部)『立ち上る泰』(同前、大毎・東日映画部)について、当時の新聞広告、新聞関連記事、雑誌『映画評論』『映画旬報』の映画評記事、上映宣伝広告チラシなどを引用して、文化映画工作を克明に追った論文である。

しかし、田中さん、実はこの2本の映画を見ていない、いや見ることができない。実写フィル厶をいまだに発見できないのだ。論文発表後も、いろいろ探したが、さらに2年が過ぎたという。

そこで私は知り合いの岡田秀則さんに聞いてみた。岡田さんは国立映画アーカイブの主任研究員。アーキビストとして映画フィル厶の保存・収集の専門家だ。彼からすぐに返事がきた。「『泰国の全貌』『立ち上る泰』ともにフィル厶はなく、スチル写真のみ所蔵しております」やはり、ここにもないのだ。念のため、讀売映画部、その後の読売映画社、現・イカロスにも問い合せたところ、やはり「弊社の保管リストにはありませんでした」との返事がきた。さて、この2本の映画、日本の、あるいはタイのどこに眠っているのだろうか。