(129)日本橋川から遡って妙正寺川へ

[2021/7/10]

6月末に事務所を九段下から中野区の鷺ノ宮に移した。旧事務所の契約最終日の30日の昼過ぎに、旧メンバー4人が九段北に集まり、近くのお店でお別れのコーヒーを飲んだ。それからガランとした旧事務所のフロアーに戻り、みなで最終チェックをし、残っていた電線コードやゴミ類をまとめた。そして最後にそのビルの上に住む家主を呼んで、部屋の鍵を返し、解散となった。
この日はいつもように近くのホテルの地下駐車場に車を入れた。ここは九段下界隈で最安値に近い駐車料金なので、よく利用した。ところが駐車場の入り口には本日は午後5時に閉めると表示してある。そうだ、このホテルグランドパレスもこの日、30日をもって廃業するのだ。1972年2月2日に開業したというから、およそ50年間の営業に幕を下ろしたことになる。社員(ホテルマン、ホテルウーマン)やOB社員と思しき人々がロビーを埋め、まるで同窓会のように嬉々として記念撮影に忙しい。帰宅して夕刊(『朝日新聞』「Photo Story」)の一面下を見ると、「歴史の現場に幕」と題する写真コラム記事があった。1973年8月8日、このホテルから韓国の野党指導者・金大中(キム・デジュン1925〜2009)がKCIA(韓国中央情報部)の工作員によって拉致された事件のことに触れていた。この歴史的な舞台の場所からも、我々は去ることになった。
旧事務所の近くを流れる日本橋川。四谷三栄町から九段下に引っ越してまもなく、出版仲間に誘われて千代田区役所裏手にあった日本橋川河畔の船着場からクルーズ船に乗り、水道橋、御茶ノ水、隅田川、日本橋、九段下まで廻るコースを楽しんだことがあった。水道橋近くの神田川との分岐点から東に向きを変え、しばらく進むとJR御茶ノ水駅を真下から仰ぎ見るポイントに着く。いつも総武線の車窓からみていた風景とはまるで違う光景が展開されていた。
ところで、神田川を水道橋から上流に遡ってみよう。飯田橋、大曲、江戸川橋、高田馬場、そして落合へと進む。ここで井の頭池を源流とする神田川と妙正寺川は合流(落合)する。右手の妙正寺川を遡ると、江古田(えごた)、沼袋、野方、鷺ノ宮を通りすぎ、水源地の杉並区清水町にある妙正寺池にたどり着く。今度の新事務所は杉並区とも近く、この妙正寺川沿いから歩いて数分のところにある。九段下から鷺ノ宮は川の水でつながっているのだ。

この数ヶ月、引越の準備、作業に追われた。その間にも何冊のかの本や新聞・雑誌をいただいた。そのお礼を兼ねて、簡単な紹介をしたい。

●平野共余子著『天皇と接吻――アメリカ占領下の日本映画検閲(草思社文庫、2021年6月)が著者から。初版は1998年1月、草思社刊。24年ぶり同じ版元からの文庫化であり、この本は幸せものだ。
解説者はフィルムアーキビストの「とちぎあきら」さん。題して「隠されてきた映画史の真実を、次代に手渡す」。しかし、とちぎさんの名前は目次にもそして帯にもない。解説では、本書で触れられてない「ナトコ映画」への言及がされている。これは占領軍のCIE(民間情報教育部)が推進した、日本国民への啓蒙を目的とした教育映画をさす。1948年3月、CIEより文部省へ、16ミリフィルム用のサウンド映写機1300台が無償で貸与された。映写機は米国製「ナショナル・カンパニーNational Company」製のもので、「ナトコ(Natco)」と呼ばれ、その名をとった通称「ナトコ映画」は全国の各地で盛んに上映された。
同文庫には「お詫びと訂正」の短冊が投げ込まれていた。1946年8月14日『読売新聞』の「接吻映画」(『はたちの青春』松竹、46)への読者アンケート結果の数字だ。賛成73パーセント、反対27パーセント。実際の数字は真逆で、初版の原本を見ても同じだった。本書が接吻映画の研究、内容が内容だけにかなり大きなミスとなる。著者の平野さんも是非とも、訂正短冊を挟み込んでほしかったのだろう。


カバー写真の右上は映画『はたちの青春』の一場面

●小野民樹さんから同人雑誌『同時代』(創刊号〜第3号)が。表紙の装丁は坂口顕さん。第2号では坂口さんも「人・言葉・自分史断章」というエッセイを寄せている。坂口(元常務・装丁家)、小野(編集者)と、元岩波書店のふたりが参加している同人誌だ。


第3次創刊号の表紙

『痴報 籠屋新聞』(籠屋新聞社、44号(2021.2.10)45号(2021.5.25)社主:稲垣尚友)稲垣尚友さん(いながき・なおとも1942〜)は千葉県鴨川に住む、竹細工職人・竹大工・民俗研究家・トカラ塾塾頭。すでに20冊をこえる著作がある。手書き新聞の風合いがいい。

  

●石塚純一さんから『エディターシップ』vol.6(編集・発行=日本編集者学会、発売=田畑書店)。特集は「追悼 長谷川郁夫」。「小沢書店全刊行目録」は、目が眩むようなリストだ。インタビュー「小沢書店をめぐって」が面白い。長谷川さんがなぜ「小沢書店」という名にしたのか?実は創業した1972年の「二冊目くらいまで小沢恒夫君という同級生がいた」ので、小沢書店が誕生したという。「長谷川個人年譜」がほしい。

宇多滋樹(うだ・しげき1946〜)さんから 宇江敏勝『狸の腹鼓』への手書き原稿書評(著者の宇江さんへあてたもの)のコピー。そして『大獅子通信』(沖縄の彫刻家 金城実を支える会、33号、2021年3月10日)が。同通信には、金城実「読谷村のアトリエから」、宇多滋樹「浜比嘉島だより その1 奈良から沖縄へ」などが掲載されている。宇多さんの文章を読むと、なぜ奈良から沖縄に移住したかの訳がわかる。いま、宇多さんは40年来付き合ってきた彫刻家・金城実(きんじょう・みのる1939〜)さんの半生記を書く準備をしているという。封筒の中には、『ミッチアマヤーおじさん』(金城実、宇多出版企画、1993)という、宇多さんが出版した書籍も入っていた。同書の裏帯には「沖縄には踊りがある。唄がある。・・・・」から始まる、丸木俊さん(1912〜2000)の帯文が入っている。

  

『VIKING』(879号)。前号878号で日高由仁さんの「川辺の家」が5回で完結。今号では同人の宇江敏勝さんが、雑記「小栗街道、雪の日に」を寄せている。宇江さんは、再起動をしている。
『大道芸アジア月報』7月号(発行=浅草雑芸団)
編集・発行人の上島敏昭さんの前口上だ。
「みなさま
大道芸アジア月報7月号、送ります。
2003年の大道芸年表を載せました。
不景気ながら、大道芸は盛んだったと懐かしんでいます。
今週、9日に浅草雑芸団、木馬亭公演を
開催します。ぜひお越しください。
このコロナ禍、オリンピック禍、政権禍の三禍での
催しとして、画期的な催しとなるはずです。
おいで頂ければ幸いです。」