(123)自由映画人とは何者か?

[2021/5/22]

前回のコラムで紹介した児童劇映画『白い機関車』(55)のスタッフは以下のようだった。

製作=機関車労働組合
原作=小野春夫
脚本・監督=野村企鋒
撮影監督=仲沢半次郎
撮影=小松浩
助監督=馬場英太郎
製作協力=自由映画人連合会 他

この最後に出てくる「自由映画人連合会」という団体がずっと気になっていた。「自由映画人」とはなんだろう?敗戦直後の雰囲気をとても感じさせる名称でもある。すこし調べてみると、この「自由映画人連合会」という表記のほかに、「自由映画人集団」や「自由映画人連盟」というのも出てくる。これらは、みな同じ団体なのだろうか。手元の貧しい蔵書から映画本をいろいろ出してみる。ある大百科事典の総索引も調べてみた。「自由映画運動」という索引項目を発見したときは、色めき立った。すぐさま該当する巻数にある項目をみると、なんと「自主映画運動」だった。大誤植だ!自主映画運動とは、大手の映画に対抗した独立プロの自主製作、自主上映の運動を指す言葉だ。
そして最初に出会ったのは、高橋新太郎(1932〜2003)の「文学者の戦争責任論ノート(七)」だ。この人は国文学者で学習院女子大学名誉教授だった。没後に残された膨大な蔵書・資料類は「高橋新太郎文庫」となって保管されている。古書界では『彷書月刊(ほうしょげっかん)』に「集書日誌」を長く連載(1993年〜99年まで80回)した筆者として知られているという。
 参考サイト:高橋新太郎関連
 https://noracomi.co.jp/takahashi/
 http://fd10.blog.fc2.com/blog-entry-261.html
 https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php...

この「文学者の戦争責任論ノート」(1997年発表)は寺島珠雄編の岡本潤の日記(1945〜46)からの引用から始まっている。なんと『釜ヶ崎語彙集1972―1973』(新宿書房、2013)の編著者の、あの寺島珠雄(1925〜99)さんなのだ。寺島珠雄編『時代(とき)の底から――岡本潤戦後日記』(風媒社、1983)からの引用なのだろう。ここから「今日(1946年3月20日)の『朝日新聞』が自由映画人集団であげた戦犯リストを発表されていた」ことがわかる。また「自由映画人集団は批評家ジャーナリストをも含んだ、映画芸術の民主的向上を目的とした組織で、この年(1946年)2月10日に結成され、書記長に岩崎昶が選ばれていた」とある。そこで、岩崎昶さんの本を何冊か(『日本映画私史』『映画にみる戦後世相史』など)を図書館から借りてみる。しかし、「自由映画人集団」の用語は出てこない。
わが平野共余子さんのデビュー作『天皇と接吻――アメリカ占領下の日本映画検閲』(草思社、1998)と平野さんも筆者として参加している『占領下の映画――解放と検閲』(岩本憲児編、森話社、2009年)を開いてみる。『天皇と接吻』の索引項目には「自由映画人集団」が4箇所もあったが、カッコで(戦後に発足した左翼系の映画人の団体)と説明があるだけだった。
しかし、『占領下の映画――解放と検閲』は大収穫だった。岩本の「占領初期の日本映画界」の中の「4 映画人たちの終戦――当時の言説から」には以下のことが引用されている。

*「自由映画人集団で戦犯該当者を摘発」(『キネマ旬報』再建2号、1946年5月)
*自由映画人集団「映画戦争責任者の解明」(『映画製作』創刊号、1946年7月)内容は『キネマ旬報』再建2号と同じで、記者のコメントはないという。
このタイトルは国会図書館サーチでは、「"解放"と民主主義 戦争責任の追及 映画戦争責任者の解明(自由映画人集団)」になっていた。これは、『現代日本映画論体系1(戦後映画の出発)』(冬樹社、1971)にも収録されているようだ。
*伊丹万作「戦争責任者の問題」(『映画春秋』創刊号、1946年8月)戦争協力を強制した者と強制された者、騙した者と騙された者、前者のみを糾弾すべきかどうか。国民全体的文化的無気力、無自覚、無反省、無責任があった。誰に他人を裁く権利があろうか。
この伊丹万作の全文は「青空文庫」で読むことができる。この伊丹の文には「自由映画人集団」と「自由映画人連盟」の両方の表記が出ている。

岩本さんの上の論考から『映画製作』と『映画春秋』の2つの映画雑誌のことを知る。
『映画製作』自由映画人集団・機関誌(1946年7月1日創刊号 編集人=青山敏夫、発行人=橘弘一郎、発行=映画世界社)
『映画春秋』(1946年8月15日創刊号 編集・発行人=早田秀雄 発行=映画春秋社)


上段右が創刊号


創刊号の目次

そして先日、神保町の古書店・手塚書房に『映画製作』の創刊号があることがわかった(売値1100円)。しかし、現在の緊急事態宣言で神保町の古書店はすべて閉店中だ。ご主人の手塚さんに電話し、在庫を確かめた。ようやく「自由映画人」の姿がわかるかと期待して待っていた。しかし今日、電話があり、残念です、売約済みでしたと言う。

いつか、コロナの晴れた日、国会図書館か早稲田の演博に行こう。それまで「自由映画人」を探し求める旅は、とりあえず今回はこれで終わりとする。最後にオマケ。『文化年鑑』1949年版を国会図書館サーチで調べてみると、「自由映画人集団」があり、これが日本民主主義文化連盟の加盟団体の一つであることがわかる。この「自由映画人集団」から、「自由映画人連盟」そして1955年の映画『白い機関車』に出てくる「自由映画人連合会」になるまでには、さまざまな人々の出入りや主張の変化などがあったにちがいない。