(128)さらば九段下、また会おう

[2021/7/3]

すでにHPでお知らせしたように、新宿書房の本社事務所は、6月30日をもって千代田区の九段下から中野区の鷺宮に移転した。
2006年9月9日のコラム「三栄町路地裏だより」のVol.63「新宿四谷から九段下」を見ると、同年8月28日から九段下の事務所を始業していることがわかる。この15年、なんとか本を作り続けることができた。そして、たくさんの人が九段下を訪れてくれた。

そこで独断で「九段下で生まれた本のベスト5」を選んでみた(順不同)。
アニカ・トールの「ステッフィとネッリの物語」(全4巻、2006〜2009)の翻訳完結と原著者の来日と講演旅行。同行した翻訳者の菱木晃子さんと編集者の塩田敦士さんの大活躍を思い出す。
❷宇江敏勝さんの本の出版を続けることが出来た。ノンフィクション作品の集大成「宇江敏勝の本」(全12巻完結、1996〜2009)。このうちの第2期の3巻〜6巻が九段下で生まれている。そして2011年から始まった「民俗伝奇小説集」(全10巻完結、2011〜2020)が、1年に1冊、10年をかけてシリーズが完結した。
❸久木綾子さんの『見残しの塔―周防国五重塔縁起』(2008年9月)、『禊の塔―羽黒山五重塔仄聞』(2010年7月)を出版。『見残しの塔』は久木さん(1919〜2020)89歳のデビュー作だ。刊行後の売れ行きはまあまあという程度だったが、刊行の翌2009年3月1日と2日の『ラジオ深夜便』「こころの時代―瑠璃光寺五重塔に魅せられて」(聞き手=佐野剛平)に著者が出演したことで世界が変わる。久木さんのお声やお話がリスナーの心を掴んだのだ。3日の朝から事務所の電話は注文で鳴りっぱなしとなり、新宿書房では異例のベストセラーとなった。山口の瑠璃光寺や山形の羽黒山での『ラジオ深夜便』ファンの集いが懐かしい。
❹尾崎俊介さんと岡村幸宣さんの本。まず、尾崎さんの『S先生のこと』(2013年2月)。スタロイン、オコナー、フォークナー、メルヴィルなどの訳業で知られるアメリカ文学者・須山(すやま)静夫の生き様と仕事を愛弟子がつづった。師弟の間に流れる静かな時間、重奏しながら遡る、喪失の記憶。本書は第61回(2013年)日本エッセイストクラブ賞受賞作となる。
丸木位里・丸木俊夫妻の「原爆の図丸木美術館」の学芸員を務める岡村幸宣さんの本が2冊。
『《原爆の図》全国巡回―占領下、100万人が観た!』(2015年10月)は、1950年の占領下で生まれた「原爆の図」が約4年間、市井の人々の手によって全国170カ所を巡回、約170万の人々が観たという、そのドキュメント。本書は2016年、平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞を受賞。次作『未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員作業日誌2011―2016』(2020年3月)は、2011年「3・11」からはじまる、小さな美術館の学芸員の日常の物語だ。
❺2冊の映画本。『そっちやない、こっちや―映画監督・柳澤壽男の世界』(岡田秀則+浦辻宏昌編著、2018年2月)は、巨匠ドキュメンタリスト・柳澤壽男(やなぎさわ・ひさお1916〜99)の全体像を明らかにした。『村山新治、上野発五時三五分―私が関わった映画、その時代』(村山新治、2018年5月)は、東映東京の揺籃期から爛熟期まで、プログラムピクチャーの職人監督として生きた村山新治(1922〜2021)の回想記。両書は戦後映画史の貴重な資料として評価され、キネマ旬報の「映画本大賞2018」で、第2位(『村山新治、上野発五時三五分』)、第9位(『そっちやない、こっちや』)に輝く。

今回の引越しでは予定されている新事務所のスペースのため、多くの資料・図書(ほとんどが死蔵品だが)を処分せざるをえなかった。事務所をシェアしてくれたHさん、Kさんも随分本を捨てた。その中で、いくつかの貴重な資料が新たな受け入れ先に旅立ったのは本当にうれしいことだった。
●[田村義也装丁作品の活版色印刷の原版]
元・岩波書店の編集者にして装丁家(編集装丁家)として知られる、故・田村義也さん(1923〜2003)。その田村さんが装丁された書籍カバーの活版色印刷の原版(鉛板)の5点をKさんが大事に保管していた。貴重な田村義也関係の資料として、印刷所(精興社)から譲り受けたものだ。
1)加藤周一著『夕陽妄語 Ⅵ』(朝日新聞社刊)……カバーと本扉
2)安岡章太郎著『僕の昭和史』Ⅰ(講談社刊)……カバー
3)安岡章太郎著『僕の昭和史』Ⅱ(講談社刊)……カバー
4)安岡章太郎著『僕の昭和史』Ⅲ(講談社刊)……カバー
5)安岡章太郎著『対談・僕の昭和史』安岡章太郎対談集(講談社刊)……カバー
これらの重い鉛板は、文京区水道にある、印刷博物館が引き受けてくれた。


上が鉛板

●[銀座伊東屋百年史]
坪内祐三が「平成の社史ベスト1は『銀座伊東屋百年史』です」と言った社史だ。2004年11月刊行、編集=新宿書房、造本=中垣信夫。書棚の下から、完全梱包された20冊が出てきた。中垣さんに電話して、氏の運営する「ミームデザイン学校」 の教材として使ってくださることになった。


「三栄町路地裏だより」Vol.60を参照。

●[斎藤たまさんの生原稿]
斎藤たまさんは「もののけ」シリーズや『ことばの旅』『鶏の鳴く東』『ベロベロカベロ』を小社から出版した。わたしが預かっていた、たまさんの原稿がダンボール一箱あった。これは台東区上野公園にある、東京文化財研究所無形文化遺産部のIさんが引き受けてくれることになった。

さらば、九段下。来年の桜のころに遊びに行こう。