(122)1本の映画から、白い機関車に乗って

[2021/5/15]

村山新治の追悼記事などを何人かの知り合いに送ったところ、新潟県長岡市在住の映画監督の小林茂さんからもメールをいただいた。小林さんは柳澤壽男監督のドキュメンタリー映画『そっちやない、こっちや——コミュニティ・ケアへの道』(82)でスチールを、『風とゆききし』(89)では助監督を、それぞれ務めた人だ。そして、『そっちやない、こっちや——映画監督・柳澤壽男の世界』(新宿書房、2018)の編集・製作では大変お世話になった(同書「インタビュー[何かをみつけること、それが記録映画]」◉小林茂)などを参照)。
小林さんとは電話でも話をした。長岡市は村山新治監督の『故郷は緑なりき』のロケ地として知られているが、『故郷・・・』はいまや鉄道映画の名作になっている。2015年2月には小林さんも関係されている地元の「長岡アジア映画祭」で、同映画は上映された。この長岡映画祭のサイトでは、心温まるていねいな村山新治の訃報が掲示されている。
小林さんは、地元長岡で撮影された映画の中には、児童劇映画『白い機関車』(55)という鉄道映画もあるんだよ、と話す。彼は子供の時に、現・三条市にあった生まれ故郷の村から長岡市に移り住むようになる。「私が長岡に養子にきてみると、祖父と叔父が蒸気機関車の機関士をやっていたのです。雪が降ると夜中にラッセル車を動かしました。その操作場があの映画の場面にある場所で、私の家から数分のところにあります。」
その『白い機関車』とは、どんな映画なのだろうか。過去、2回行われた上映会のことがわかった。2019年12月の「NPO法人働く文化ネット」主催の労働映画鑑賞会《こどもたちの夢と雪の機関車》での上映と、2019年12月の神戸映画資料館での、《収蔵フィルムで辿る組合映画史》の上映会だ。

参考サイト:
NPO法人働く文化ネット
https://drive.google.com/file/d/1uHa9hrn4_7MD92Our-...
https://hatarakubunka-net.hateblo.jp/entry/20181217/1545023467
神戸映画資料館
http://kobe-eiga.net/program/2019/05/4692/

映画『白い機関車』のスタッフは、整理すると以下のようだ。
製作=機関車労働組合
原作=小野春夫
脚本・監督=野村企鋒
撮影監督=仲沢半次郎
撮影=小松浩
助監督=馬場英太郎
製作協力=自由映画人連合会 他
まず、機関車労働組合。略称「機労」といい、国労から別れて、機関士を中心にして結成された職能別組合(職業別組合)だ。機労の歴史はこのようになっている*。
1947年6月:国鉄労働組合(略称:国労)結成
1951年5月:日本国有鉄道機関車労働組合(略称:機労)結成
1959年7月:国鉄動力車労働組合(略称は動力車、1975年ごろから略称を「動労」に)
機労はその後、『雪と闘う機関車』(58)と『稲と機関車』(59)の2作品を制作している⁑。いずれも、監修=岩佐氏寿、構成=谷恭介、撮影=林建樹となっている。

さて、以下は鈴木不二一による『白い機関車』のあらすじだ。
「この作品は雪国新潟を舞台に,機関助士を兄に持ち、機関士になることを夢見る少年の目を通して、蒸気機関車に寄せる人々の思いを表象化しようとしている。タイトルになっている『白い機関車』とは,地域で毎年開催される「雪のコンクール」への参加作品として主人公の少年が提案した機関車の雪像のことである。クラス全員が総出で完成した「白い機関車」の上で手を ふる子供たちの前を、「雪のコンクール」審査員の1人である少年の姉を乗せて、その婚約者の機関士、機関助士の兄が運転する蒸気機関車が通り過ぎるシーンで映画は終わる。」
映画では長岡市内のいくつかの小学校の生徒たちが出演している。

わたしが驚いたのは、この映画『白い機関車』を作ったスタッフだ。ここのいる映画人の名を見ると、ほんとうに小さな集まりだが、実はここから豊かな人脈が流れ出してきているのが、私の少ない知識からもわかる。
原作の小野春夫さんは、戦前の芸術映画社(GES)に関係している。今泉善珠監督の名作『機関車C57』(40)を生んだ映画会社だ。ここにはかつて父の村山英治や叔父の村山新治も在籍していた。小野春夫さんは、後に父の桜映画社で『伸びゆく国有林』(69)という産業映画の脚本を担当している。ちなみに、小野春夫さんの息子・小野民樹は『撮影監督』(キネマ旬報社、2005)という本を書いている。映画キャメラマンの団体「日本映画撮影協会」の季刊誌『映画撮影』において足掛け18年にわたって連載されたインタビューの記録だ。ここでは50人を超えるキャメラマンが登場する。小野民樹は岩波書店の元編集者で、岩波では『講座・日本映画』など、多くの映画関係の書籍編集を担当してきた。
監督・脚本の野村企鋒については、木全(きまた)公彦さんのブログに譲るが、野村はこの『白い機関車』で監督デビューした⁂。野村は戦後、大映時代にレッドパージを受け、会社を追われる。東映時代などに春原(すのはら)政久、小石栄一監督のもとで助監督を経験している。ここで村山新治と重なる。その野村もやはり桜映画社で、教育映画『妻と夫がけんかした話』(57)の演出と脚本(共同)を担当している。
撮影監督の仲沢半次郎は後に東映に入り、同社を代表する映画キャメラマンとなった。村山新治とは『七つの弾丸』(59)『東京アンタッチャブル』(62)『いろ』(65)『あゝ予科練』(68)など、たくさんの作品でタッグを組んでいる。
撮影の小松浩も桜映画社と縁がある。『アメリカの家庭生活』(三部作、64)の長期海外ロケに参加している。
最後に助監督の馬場英太郎。この馬場も芸術映画社のメンバー。在籍時に、浅野辰雄(戦後になり『号笛なりやまず』(49)を監督。村山新治はその助監督)や加藤泰らと満映に出向した。馬場は芸術映画社などが統合してできた朝日映画社で、村山新治と『戦災者の声』(46)の共同監督をしているのだ。

映画の国は小さな村なのだろうか。国籍・学歴を問わず、またレッドパージされたものなど、すべてを受け入れ、ひとつに溶け込んでいる無縁の社会、アジールなのだろうか。どこかで皆がつながっている。私には感慨深い。

*この知識は、かつて編集を手伝った『松崎明著作集』(全8巻、『松崎明著作集』刊行委員会、2015〜2016)から学んだ。この著作集の制作をしたのが、古くから友人の星川浩(編集工房エベンノ主宰)だが、その星川は2018年2月に死去した。
⁑この2作品もNPO法人働く文化ネットによって、2015年に上映されている。
https://hatarakubunka-net.hateblo.jp/entry/20150129/1422513297
⁂ 劇場映画のデビューは『真昼の惨劇』(58)

参考文献:
川村潤
「機関車労働組合の歴史」
http://www.jigyou-kyoukai.org/publics/index/30/
鈴木不二一
「1950年代の労働映画が示唆するもの」
http://www.jigyou-kyoukai.org/publics/index/36/
「1950年代の労働映画と労働組合文化運動」
https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/707・708_03.pdf