(103)2020年に亡くなった方々から……

[2020/12/26]

久木綾子(ひさぎ・あやこ 1919〜2020)
7月13日、享年100。『見残しの塔』(2008)、『禊の塔』(2010)の著者である。
久木さんと著書の思い出は、本コラム(80)でふれた。
実は、『禊の塔』の刊行の後、宇江敏勝さんの作品を愛する久木さんのたっての希望で、宇江―久木ふたり短編連作集の企画が立ち上がった。それは毎月編集部に双方から原稿を送る、それも最後まで相手の作品を読まない、知らないという面白い仕掛けだった。宇江さんが2作品を送ってきたところで、久木さんはギブアップ、結局この企画はそのままに終わった。宇江さんには、ほんとうに失礼なことをしてしまった。

パル(Murayama Pal 2006〜2020)ラブラドール・リトリバー イエロー 男の子
4月14日、享年13。2008年5月、盲導犬訓練所のアイメイト協会(東京・練馬)から「不適格犬」として、我が家にやってきた。パルのことは、本コラム(67)(69)でふれた。
ここで秘蔵品を公開!パル7歳の時、NHK Eテレ『まる得マガジン シニア犬のケアと介護』(2013年7月〜8月)に出演、同時にテレビテキスト(NHK出版)も出版された。大型犬は7歳以上がシニア犬とされる。この時、パルは人間の年齢に換算すると(いろいろな換算方法があるが)43歳だった。とすると、死んだ時の年齢は満14歳の誕生日の目前、なんと78歳、シニア高齢期だったことがわかる。(そうか、パルはほんとうに長生きしてくれたんだと、自分を慰める)

戸田ツトム(とだ・つとむ 1951〜2020)グラフィック・デザイナー
7月21日、享年69。『ユリイカ』(青土社)の2021年1月臨時増刊号「総特集=戸田ツトム」が出るようだ。
その中に、インタビュー「虚を見る/赤崎正一 聞き手=鈴木一誌」がある。戸田、赤崎、鈴木の3人は神戸芸術工科大学の教員仲間でもある。

坪内祐三(つぼうち・ゆうぞう 1958〜2020)評論家・エッセイスト
1月13日、享年61。坪内さんのことは、本コラム(78)で書いたことがある。そういえば『みすず』の「読書アンケート特集」(1・2月号、2020年2月1日発行)をまだ読んでいなかったなと思い、近くの図書館から借りてきた。結果的に亡くなる直前の原稿のひとつなのだろうか。ここに坪内さんのアンケート文が掲載されている。
彼が挙げている本は1冊のみ。『内閣調査室秘録――戦後思想を動かした男』(志垣民郎著、岸俊光編、文春新書、2019)だ。新書版だが、344頁の大著だ。これも早速、図書館から借りた。著者・志垣民郎(しがき・みんろう)は1952年から78年まで内閣総理大臣官房調査室(内閣調査室、内調[ないちょう]とも言う)に勤務。内調の組織は6部制で、志垣は第5部(学者)、第3部(広報関係)、第1部(治安・労働・経済)主幹を歴任した。この内調については、映画『新聞記者』やTVドラマ『相棒』などでご存知の方が多いにちがいない。
「読書アンケート」で坪内は言う。「2019年に刊行された本の中でベストと言える1冊です。内閣調査室は一般にアメリカCIAとの関係によってスパイ(謀略機関)だと思われていました。志垣民郎(大正11・1922年生まれ)のおそるべき記憶力と克明なメモによってその実体が明らかになりました。」同書の「委託研究を担った人々」の章で開陳される学者との接触、会合(飲食)の詳細な記録はすさまじい。新書の小さな字の2段組で168頁もあり、なんと127人の学者が登場する。
興味深いのは「委託費を受けなかった人々」の章だ。その中に「内調が渡したパージ研究の資料」という見出しで、1956年6月に鶴見俊輔(1922〜2015)、横山貞子(のちの鶴見夫人 1931〜)の二人にパージ(追放)の訴願資料を提供したというくだりがある。思想の科学研究会内の「転向研究会」が始まったのが1954年。執筆・編集が大幅に遅れ、1959年1月にようやく平凡社から『共同研究 転向』(上巻、戦前編)を刊行し、1960年2月に中巻(戦中編)を刊行、そして下巻(戦後編)を刊行したのが1962年7月だった。62年6月の初めに、志垣は鶴見夫人から出来上がったばかりの『共同研究 転向』の下巻をもらう。さきの追放(パージ)の訴願資料が下巻になんらかの形で反映されたようだ。
このあたり、『鶴見俊輔伝』(黒川創著、新潮社、2018)はどう描いているのだろうか(同書p203〜204)。志垣記録と言い回しが微妙にちがうが、米占領下に公職追放された人々の弁明書などの大量資料が「転向研究」に使われたのは事実のようだ。本コラムの(52)も参照。
『内閣調査室秘録』の関係者が2020年に亡くなっている。著者の志垣民郎は2020年5月4日、享年97。民郎の父は志垣寛(ひろし 1889〜1965)といい、生活綴方運動の指導者のひとりだ。下中弥三郎らとともに、1924年(大正13)4月に、大正自由教育運動を代表する学校のひとつとなった「池袋児童の村小学校」を創立している。民郎の妹の息子が俳優の志垣太郎だという。
そしてもう一人。志垣らの内調の情報収集活動の「若手のキーパースンは山崎正和と粕谷一希」(坪内祐三)だそうだ。その山崎正和(劇作家・評論家 1934〜2020)が亡くなったのも、今年の8月18日のことだ。

秋山祐徳太子(あきやま・ゆうとくたいし 1935〜2020)

4月3日、享年85。秋山さんのことは、本コラム(66)でふれた。いま銀座で回顧展が開かれている。
秋山さんが創設からずっと支えてきてくれた見世物学会
2020年の総会はコロナで中止となった。上島敏昭さんが毎月配信している『大道芸アジア月報』でもおわかりのように、2020年見世物・大道芸の世界は大変な状況となった。見世物学会の総務局長で飴細工師の坂入尚文さんは、とうとう「あめや廃業宣言」をした。(本コラム(94)参照)