(36)ウッドストック余聞
[2019/9/6]

ウッドストックはウッドストックで開かれたのではない。ウッドストックで開催したフェスと思っている人は意外に多い。アメリカでも、ウッドストックの町にフェスの面影を求めて、やってくる人びとがあとを絶たないという。

9月3日と4日にわたってNHKBS1で『ウッドストック 〜伝説の音楽フェス 全記録〜』(前編後編)を見た。
2019年、アメリカの製作とある。さまざまな映像資料を集め、関係者の証言で構成したドキュメンタリーである。前編は1969年8月15日(金曜日)のウッドストック・フェスの初日まで。後編は16日(土曜日)の2日目から17日(日曜日)の3日目まで。しかし夕方大嵐が襲撃、実際に終了したのは、18日(月曜日)の午前11時10分、ジミ・ヘンドリックスのアメリカ国歌の演奏で終了する。これでウッドストックのすべてが終わった。祭典の後は悪臭と大量のゴミ。そして数年後、緑の牧草地に戻ったヤスガーの農場の画面で番組は終わる。
このドキュメンタリーはフェスの映像記録が時系列で構成され、それに関係者の証言がかぶる。ジョエル・マコーワーの『ウッドストック 1969年・夏の真実』(新宿書房、2001)の構成とある意味でよくにている。前編では開催予定日のわずか1カ月前にウォールキル(ニューヨーク州オレンジ郡)の町当局から5000人を超えるフェスはダメだと拒否されてから、急きょサリバン郡ベセルのマックス・ヤスガーの農場に決まる。そこからのフェス会場の急ピッチの建設の様子が記録されている。
また後編では、「ホッグ・ファームHog Farm」(アメリカでもっとも古い歴史をもつヒッピーのコミューン)のメンバー80人あまりが主催者から直前になって招集され、会場の交通整理、キャンプや食事の準備などを担当する。このホッグ・ファームの活躍なしにはウッドストックの成功はなかったようだ。創始者の一人であるウェイヴィ・グレイヴィも登場する。また、地元ベセルの人々も、観客に自宅の缶詰などを提供し、協力を惜しまなかった。
農場主ヤスガーがステージに登場し、観客に向かって挨拶するシーンもいい。

先日のコラムを書いた後、以下の本を読んだ。発行順に並べてみる。

1)『ウッドストック伝説―甦る”愛と平和”の60年代』(ジャック・カリー著、棚橋志行訳、NTT出版、1992年

2)『ウッドストックがやってくる』(エリオット・ダイバー/トム・モンテ著、矢口誠訳、河出書房新社、2009年)

3)『ウッドストックへの道―40年の時空を超えて主宰者が明かすリアル・ストーリー』(マイケル・ラング/ホリー・ジョージーウォーレン著、室矢憲治訳、小学館、2012年)

4)『‘67〜’69 ロックとカウンターカルチャー 激動の3年間―サマー・オブ・ラブからウッドストックまで』(室矢憲治著、河出書房新社、2017年)

1) の『ウッドストック伝説―甦る”愛と平和”の60年代』(原書は1989年刊)
は『ウッドストック―1969年・夏の真実』(原書は1989年刊、邦訳は2001年、新宿書房)の翌年に邦訳が出たことになる。インタビュー構成で〈オーラルヒストリー〉とうたっている『ウッドストック―1969年・夏の真実』に対し、同書はジャーナリストによる「どちらかといえば物語性を重視した作り」(「訳者あとがき」)となっている。

2)の『ウッドストックがやってくる』の著者のエリオット・タイバー(1935〜2016)の回想記だ。このタイバーは実際の会場となる600エイカーの農地を提供したマックス・ヤスガーと並んでウッドストック・フェス開催のキー・パーソンの一人だ。NYCでデザイナーとして仕事をしているタイバーは週末にはニューヨーク州サリバン郡にあるベセルのホワイト・レイクに行き、そこで両親の経営しているぼろぼろのモーテル(「エル・モナコ」)の手伝いをしていた。しかし、モーテルのあるこの町はかつての賑わいはなかった。地元の商工会の会長もしているタイバーはなにか地元の復興となるイベントがないかと、その糸口を探していた。
ちょうど、フェア開催まで1ヶ月前の7月15日、ウッドストック・ベンチャーズ社はウォールキルの町当局からフェスの開催を拒否された。それまでおよそ1ヶ月半にわたって、会場となる牧草地の整地や橋の建設をしていたマイケル・ラングたちの努力は無駄になり、開催のめどはまったくたたなくなってしまった。
そのとき、ある一本の電話がマイケルの事務所にかかってきた。
エリオット・タイバーはその朝、新聞でウッドストック・フェスのウォールキル開催が不可能になったことを知る。そこでかれはマイケル・ラングに直接電話をする。ラングはすぐさまその会場用地の提案に答えて、古いヘリコプターに仲間とともに飛び乗り、タイバーのモーテルに乗り込んでくる。時間もないが、空からフェスに向いている土地かどうかを瞬時に掴んでおきたかったのだろう。
タイバーの機転により、このべセルのマックス・ヤスガーの牧草地で「ウッドストック・ミュージック&アート・フェア」が開かれたのだ。
『ブロークバック・マウンテン』のアン・リー監督作品、『ウッドストックがやってくる』(2009年、日本公開2011年)の原作は、このエリオット・タイバーの本である。映画はウッドストックが開幕したところで終わる。

3) の『ウッドストックへの道―40年の時空を超えて主宰者が明かすリアル・
ストーリー』は2009年、つまり40周年の年に出版された。マイケル・ラング(1944〜)は、NYCに住んでいた子ども頃から、アルスター郡のウッドストックの土地に親しんでいた。ウッドストックの町はキャッツキル山地の中にあり、NYCの避暑地として古くから知られているリゾート地だった。多くの文化人、芸術家も住んでいて、画家の国吉康雄(1889〜1953)もその一人だった。マイケルらは当初ここに音楽スタジオをつくり、ビジネスを始めようと考えていた。
マイケルは「水瓶座博覧会」[アクアリアン・エクスポジション]というコピーを考えたが、他のスクェアの2人、ジョン・ロバーツとジョエル・ローゼンマンは気に入らなかった。ヒップなマイケルとアーティー・コーンは占星術に凝っていて「水瓶座の時代」もそこからきたという。


一度も使われなかった「水瓶座博覧会」のポスター

この日の朝、サリバン郡べセルのホワイト・レイクのあるモーテルからエリオット・タイバーが電話をかけてくる。べセルはウォールキルから北西に40マイル離れた町だ。またウッドストックからも60マイル離れている。
このタイバーは2016年に死去していることもあってか、先のNHKのドキュメンタリーにはまったく登場してこない。

ある読者の方からお便り(メール)をいただいた。
ご本人から了解をいただきましたので、ここに紹介します。

こんにちは、統合システム研究所の藤沼輝好と申します。
数年前に茨城県古河市の公民館を解体したときにそこの図書館にあった『ウッドストック 1969年・夏の真実』(ジョエル・マコーワー著、寺地五一訳、新宿書房)という本が捨てられる書籍の中にあって、自由にお持ちくださいということだったので妻が拾ってきてくれました。私は昔から視力が無いので読めないのですが、このウッドストックのあった1969年の中学生の時に覚えたあの高揚感は覚えています。私はオーディオファンですのであのウッドストックで使われたマイクや音響設備に大変興味があったのでこの本はそんな手がかりになるかと想っているのですが、まだ読んでいません。点字やテキストに直してくれるところもあるのですが本をバラバラにしてスキャナーにかけると言われたのでこんな貴重な本は頼めずにいます。
ふと50年たって今あのときの気分を思い起こしてみたいと想ってはいますが夏には間に合いませんでした。
歴史の中でこのようなインタビュー記事は重要さを増しているようにも想います。
それにしても本をばらすなんて、視覚障害者の読書の権利なんてあったもんじゃありません。
読み捨てられる本だけを我々は読んいでいるわけじゃないんですから。

*小社の本が藤沼さんによってサルベージされたこと、ほんとうにうれしいいです。
**藤沼さんのお仕事:
CiNii 論文 -  スクリーンリーダの詳細読みの理解に影響する要因の検討 : 構成の分類と児童を対象とした漢字想起実験
https://ci.nii.ac.jp/naid/110003203359

ウッドストックが終わった後、マックス・ヤスガーは近隣住民から自分たちの農地を荒らしたと訴訟を起こされた。和解が成立した後、ヤスガー夫妻は牧場を売ってフロリダに移住。マックスは1973年に心臓麻痺で他界。妻のミリアムはその後再婚、いまもフロリダに住んでいる。
このヤスガーの牧草地の周辺はいまは「アメリカ合衆国国家歴史登録財」に選ばれ、文化遺産になっている。