(58)九段下・耳袋 其のじゅう
[2020/2/14]

横浜ボートシアターの遠藤啄郎さん

横浜ボートシアター代表で劇作家の遠藤啄郎(えんどう・たくろう)さんが、2月7日に亡くなった。享年91。新宿書房では遠藤さんの本、『仮面の聲 [横浜ボートシアター]仮面劇集』(1988)を出版している。遠藤さんご本人は本書を「脚本集」と名付けている。









ここに収録してあるのは、「仮面劇 小栗判官・照手姫」「仮面音楽劇 夕やけぐるみの歌」「仮面劇 マハーバーラタ第一部 若きアビマニュの死」の3作品。造本は杉浦康平・谷村彰彦・佐藤篤司。本文のレイアウトがすばらしい。本文のマージンには、音の波長のようなパターンの図柄が各頁見開き随所に消長し、ときにセリフの脚注がその下に置かれる。一冊の本が天、小口、地と総身彫り物のように刻まれている。
遠藤さんは1981年に、横浜・石川町近くの運河・中川に浮かぶ廃船の木造船を劇場にして、横浜ボートシアターを結成。この船劇場に乗船し、何回か芝居を観たことが、今やほんとうに懐かしい。

50年代の「原爆の図」全国巡回ポスター・補遺

前回のコラム(57)でふれることができなかったことがあった。先日、丸木美術館の岡村幸宣さんから提供してもらった画像のうち、紹介しなかったポスターが2点あったのだ。
1) 1952年8月6日〜10日 東京・吉祥寺・井の頭公園・平山博物館

主催は東京都平和会議。ポスターのタイトルが「原爆美術展」、右下に「純一 画」と読める署名が入っているが、岡本さんはこれがだれのことか、わからないと言う。この巡回展については岡村さんの前著『《原爆の図》全国巡回』(新宿書房、2015)のp172-173に詳述してある。平山博物館は別名「平山昆虫博物館」とも呼ばれ、昆虫学者・平山修次郎のコレクションで知られる博物館だった。しかし、同館はこの巡回展から3年後の1955年には閉館している。賛同者には地元在住のたくさんの文化人が名を連ねている。入場料金は10円。入場者数はのべ1万1000人だったという。
2) 1956年4月 広島焼津原爆被災者を囲む懇談会
ポスターからは日付は不明。主催は横須賀市三浦原水爆禁止懇談会。絵は丸木俊。

このポスターと、前回紹介した「1956年4月21日〜23日 横須賀市・横須賀市商工会議所講堂」は連動しているのだろうか。岡村さんに聞いたところ、さっそく調べてくれた。神奈川県立図書館からの回答によれば、この二つのポスターは連動した企画に間違いないそうだ。同図書館には、主催者の横須賀市三浦原水爆禁止懇談会がまとめた『世界のすみずみまで 被爆者を囲む懇談会と原爆展の記録』(1956)という記録集が残っている。これによれば、広島から3名の被爆者が遠路到着し、4月19日から22日までの4日間、懇談会が開かれたという。参加したのはのべ1000人あまりだった。
1953年3月、ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験でマグロ漁船・第五福竜丸が被爆する(ビキニ事件)、55年には丸木位里・丸木俊が第9部《焼津》を、そして56年には第10部《署名》を制作した時期の後の巡回展ということになる。

2月9日の『東京新聞』の朝刊一面に「第五福竜丸館 五輪パラ期間・前後休館」という大きな記事が出ていた。東京・江東区の夢の島公園にはビキニ事件で被爆した第五福竜丸が1976年に開館した展示館(都立第五福竜丸展示館)に保存されている。同館の南側にある陸上競技場が、東京五輪・パラリンピックのアーチェリーの本選・予選会場となるため、7月3日から9月7日まで休館するという。核廃絶に取り組む市民からは、たくさんのオリンピック観光客が同展示館を通りすぎるなか、「核の悲劇を国内外に伝える絶好の機会が失われる」と惜しむ声が上がっている。