(93)九段下・耳袋 其のじゅうご
[2020/10/16]

東京無人午前三時

先週のコラム(TOKYO NOBODY 東京無人)に対して中野正貴さんからコメントをいただいた。加納さんにその一部を見せてもらう。その中に興味深いくだりがあった。
「2011年に日経BPコンサルティング社から出た、東京の24時間を20人の写真家がリアルタイムで撮影する写真集がありました。僕の担当時間が午前3時でした。コラムを読んで何か不思議な縁を感じました。」
一体どういう写真集なんだろうか。調べてみると確かに出版されている。もちろん、国会図書館(NDL)にも納本されている。ここNDLもこの写真集の書名表記には、かなり苦労している節がうかがえる。→国会図書館の該当ページ
写真本1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24
これが写真集のタイトルだ。なんと読むかというと、「しゃしんぼん にじゅうよんえいち」と読む。つまり、「写真本24H」というわけだ。

いくつかのサイトではこんな説明をみる。
「時代を代表する21人の写真家が見た、2010年東京のある1日。1時間ごとに一人の写真家が撮影を担当し、東京のそれぞれの場所で撮影された断片の写真をつなぎ合わせるという、変わった趣向のもとに出版された写真集。合計24枚で24時間。実際の時間にシャッターを切った写真をつなぎあわせることで、架空の1日を形成しています。昼と夜、時計をイメージした装幀も非常にユニーク。印刷は通常印刷の175線に対し、16倍の700線のきめ細かさを持つ高精細印刷を採用。」
「撮影はすべて該当時間帯に忠実に行っています。写真とはどこかにかすかな時間、時代、場所の情報を内包するもの。この本に掲載されているそれぞれの写真は、写真家による私的な時間表現ですが、時が経つにつれ、その時間性が徐々に浮き出し、いつか読者自身の2010年のある日のイメージに重なるのではないか。そんな実験的な楽しみもある一冊です。 」
「本書は、日本を代表する写真家によって撮影された図版によって構成されており、テーマは[ある日、東京で]。時代を代表するフォトグラファーが見た2010年の時間の記憶。その断片である作品をつなぎ合わせることで、架空の1日を構成したというユニークな企画。すべての写真は実際の時間に東京で撮影されており、1時間毎の計24時間・24図版が収録されています。写真が内包する場所・時間・空間・・・。写真家の私的表現が私たちの実際の記憶にも重なりあうようなイメージによるビジュアル・コミュニケーション。」
参加している写真家のひとり、都築響一さんのコメントもあった。「メチャクチャなタイトルの本ですが(これで「シャシンボン ニジュウヨンエイチ」と読ませるそう)、サイズもLPよりでかい、ハードカバーの写真集。このご時世に、珍しいムチャな企画ですねー。出版元が日経BPというのも、驚きですが。・・・僕も午前2時の部を受け持たせてもらっています。」
キャストとスタッフは以下の人たちだ。
参加写真家=石川直樹/上田義彦/金村修/川内倫子/佐内正史/澁谷征司/高木こずえ/瀧本幹也/塚田直寛/都築響一/中野正貴/泰淳司/畠山直哉/本城直季/ホンマタカシ/宮本隆司/宮本敏明/森山大道/松江泰治/レスリー・キー/鷲尾和彦
アートディレクター=おおうちおさむ
プリンティング・ディレクター=平野維敏
印刷部数も凝っている。限定1124部。本体定価=3800円、ページ数は24 、サイズはH363×W363mm。写真集は2011年3月21日、あの東日本大震災の10日後に発売された。

今和次郎の「考現学」のような手法、いまでいえばフレデリック・ワイズマンの映画やテレビ番組『ドキュメント72時間』のような手法か。一度、国会図書館に行って、この『しゃしんぼん にじゅうよんえいち』を見てみたい。

ふたつの甲斐啓二郎写真展 「綺羅の晴れ着」と「骨の髄Down to the Bone」

骨の髄』の甲斐啓二郎さんが、ふたつの写真展を連続して開催する。
まず四谷のトーテムポールフォトギャラリーで開催中(10月13日〜10月25日)の「綺羅の晴れ着」を見に行く。昔あった「ホテル本陣」(もうだれも知らないだろうね)の近くの東長寺の真下、小さな公園に奥にある画廊だったのだが、地下鉄の曙橋駅を降りて、富久町から愛住町へ回ったのがよくなかった。つりニュース社が立派なガラス張りの新社屋になっている。「釣り文化資料館」もあるそうだ。
結局、新宿通りに出てしまった。写真展の案内ハガキの地図も悪い(八つ当たり)。近くにあったペットホテルのお店の女性に道を聞くと、親切にも一緒に歩いて案内してくれる。そしてある路地の入り口まで来ると、「不安になるかもしれないけど、この先ですから」と言って帰っていった。道はいよいよ狭くなり、人が通るのもやっとの道幅となり、確かに不安になる。その先にギャラリーはあった。甲斐さんはこの日、都合が悪いと言い、在廊してないことは前もってわかっている。ここに30分ぐらいいただろうか。だれもいないし、だれも来ない。まったくの無人。なぜかこの空気が展示されている写真に息を吹きかけ絵を動かす。いい雰囲気だ。

ハガキにも会場の個々の写真にも何の説明がないし、資料も置いてない。日本各地の裸祭りの写真だ。人間だけが写っている。三密の写真。あとで甲斐さんに聞いてみると、「西大寺、岩手の蘇民祭、三重の裸祭り」の写真だという。
ギャラリーには、唯一の説明文のプレートがあった。

「汗や体臭を放出する、ぬるっとした肌が触れた時の心地悪さは恐怖感をうむ。
集団で咆哮する声は、歌のように聞こえ、身体は踊っているようにも思える。現代のような歌や踊りではない。何かを追いやろうとするような、威嚇するような歌や踊りである。
不確かな未来を手繰り寄せるため、身体の動きやすさ、機能性を重視した結果が裸だと思っていたが、その場にいるとそれだけではないことがわかる。
裸であることは、何者にも変容していない。真に人間であることの証明なのだ。
集団で歌を歌い、踊り、解放された身体、放出する体臭は、何者かへ揺さぶりをかけている。」

甲斐さんはこの写真展の後に、杉並の西荻の書店「忘日舎」 で写真展「骨の髄Down to the Bone」(10月29日〜11月15日)を開く。

この写真は「手負いの熊」(長野県野沢温泉村)からの1枚だ。
さて、ここではどんな写真構成にしているのだろうか、とても楽しみだ。