(61)骨の髄まで未来へ 新刊2冊
[2020/3/6]

美術館学芸員作業日誌 未来へ

岡村幸宣著『未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員作業日誌2011−2016』が、3月3日に配本された。3月11日、9年前のあの「3・11」から始まる、「日付と場所(トポス)のあるドキュメタリー・エッセイだ。本書のなかの「2015年10月30日 川越」には、出来上がったばかりの岡村さんの著書『〈原爆の図〉全国巡回―占領下、100万人が観た!』の見本を抱えて、お宅のある西武新宿線本川越駅まで届ける私が登場する。2015年には「原爆の図」米国巡回展(6月〜8月:ワシントンDC、9月〜10月:ボストン、11月〜12月:ニューヨーク)が東部の3都市で展開されたという、いわば本書のハイライトとなるところで、各巡回会場への事前交渉、搬入、オープニング、撤収ごとに渡米を繰り返していた岡村さん。この真っ只中に『〈原爆の図〉全国巡回』の執筆・編集・造本作業が同時に進行していたことになる。やはり、彼はランニング・キュレイター(走る学芸員)だ。


ニューヨーク、パイオニア・ワークス展初日

ここで紹介するのは、埼玉県飯能市にある自由の森学園高等学校の校長、新井達也先生が2019年3月10日の卒業式で新卒業生に向けて話されたお祝いのスピーチです。新井先生のこの「言葉」は、新刊『未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員作業日誌2011−2016』の旅立ちにもふさわしい「言葉」です。新井先生のことは岡村さんに教えてもらいました。

岡村さん、刊行、おめでとう。未来へ、いい旅を!Bon voyage!


2018年度 自由の森学園高等学校 卒業式 校長の言葉

卒業生のみなさん 卒業おめでとうございます。
保護者のみなさん、お子さんの卒業おめでとうございます。
そして、これまでの学園に対するご支援とご協力に感謝申し上げます。
3年前の入学式の時、私はこの会場に野菜をもってきて、埼玉県小川町の有機農業グループの化学肥料や農薬に頼らない土作り・堆肥づくりの話とつなげて、自由の森の点数や競争原理に頼らない「学び」のお話をしました。みなさん、覚えていますか?
今日はみなさんの卒業にあたって、小川町の近くの東松山市、都幾川のほとりにある小さな美術館のお話をします。
その美術館は「原爆の図丸木美術館」です。
画家の丸木位里さんと丸木俊さんご夫妻が共同で制作した「原爆の図」を展示するために開いた小さな美術館です。一昨年50周年を迎えたそうです。
画家同士の二人が結婚したのは1941年7月、アジア太平洋戦争開戦の半年前でした。その後、戦況がしだいに厳しくなり南浦和に疎開しているとき、広島に新型爆弾が落ちたことを知ります。広島出身の位里さんはすぐに広島に向かい、原爆が投下されてから3日後の8月9日に到着します。やがて俊さんも駆けつけ、二人はしばらくの間広島で過ごしたそうです。
敗戦から3年の1948年、二人は「原爆を描こう」と決意しました。それから 34年かけて「原爆の図」十五部作を描き上げていくのです。
これがその絵の一部です。実際はかなり大きな作品で、縦1.8m × 横7.2m 屏風8枚が1つの作品です。
「人間の痛みを描く」というこの原爆の図、どの作品にもたくさんの人間が描かれています。ある作品では焼けて剥けた肌を引きずりさまよっているような人々、炎に焼かれてもだえ苦しむ人々や、多くの屍の山としての人々も描かれています。この「人間の痛み」に向き合い続けた丸木夫妻は、原爆の図だけでなく、南京、水俣、アウシュビッツ、沖縄などの絵を、その生涯をかけて描き続けました。
丸木夫妻が自らの「痛みへの想像力」を広げ深めて描いた作品の前に立つとき、私たち自身も「痛みへの想像力」をもって受けとめようとします。映像や写真、文章とまた違った形で胸に迫ってくるものを感じた人は少なからずいるのではないでしょうか。
この他者の「痛みへの想像力」、今を生きる私たちにとって最も重要な「ちから」の1つだと私は思っています。
丸木美術館で長年学芸員をされている岡村幸宣さんはその著書*の中で「痛みへの想像力」について次のように綴っています。
「戦争だけでなく、かたちを変えた暴力は、いつの時代も存在します。公害や原発事故、貧困、差別、偏見…。私たちの社会は、そんな構造的な暴力の上に成り立っていると言えるでしょう。人は誰でも、自分の痛みには敏感になります。けれども他人の痛みを感じることは難しく、遠い国の人の苦しみは、忘れてしまうこともあります。だからこそ、最も弱い立場の人の痛みに、想像力を広げる必要があるのだろう、とも思います。」
現在、日本においても世界においても「自分さえよければいい」「自分の国さえよければいい」とする、利己主義、自国中心主義(自国第一主義)の風潮が広がっていると言っていいでしょう。
これは決して他人事ではありません。
全国の公立小中学校の保護者を対象に調査したところ、「経済的に豊かな家庭の子どもほど、よりよい教育を受けられるのは『当然だ』『やむをえない』と答えた人は62.3%に達した」との報道がありました。6割以上の人がこうした教育格差を容認しているとのことです。
世界を見渡しても、自国第一主義が台頭し、人権や民主主義、国際協調といった言葉が後回しにされているように思います。社会そして世界において「分断」が進んでいると言ってもいいかもしれません。
創立者の遠藤豊さんは生徒を目の前にして「自由の森学園の教育とは、自由と自立への意志を持ち、人間らしい人間として育つことを助ける教育」だと語っていました。
この「人間らしい人間」とは「痛みへの想像力」を持ち続けようとする人だと私は思っています。人間は他者の「痛みへの想像力」をもっているからこそ、人と人が支え合ったり助け合ったりしながら社会をつくってきたのだと思うからです。
丸木美術館の岡村さんはこのようにも綴っています。
「真の現実を覆い隠そうとする『現実』の皮を引き剥がし、一見変わらない光景に潜む取り返しのつかない変化を暴き出す想像力こそ、私たちに必要とされているのかもしれません。」
「痛みへの想像力」は「見えないものをみようとする力」「真実を見抜く力」へとつながっていくのだと私も思っています。
さあ、いよいよ卒業です。
今日、みなさんはこの自由の森学園から旅立ち、それぞれの道を進んでいくことになります。思い通りにいかないことや、困難なことにも出会うことがあるかもしれません。そんなときにも「 痛みへの想像力 」を持つ人間の可能性を信じ、また、自らも「 人間らしい人間 」としてあり続けるために学ぶことを続けていってほしいと思っています。
卒業おめでとう。みなさんの健闘を祈ります。
*『《原爆の図》のある美術館ー丸木位里、丸木俊の世界を伝える』(岩波ブックレット、2017)
** 新井先生の「言葉」は、自由の森学園「自由の森日記」より


骨の髄までとどくか

3月4日は甲斐啓二郎写真集『骨の髄Down to the Bone』の発売は10日に決まった。『骨の髄』はスポーツの始原、格闘のプロトタイプを求めて、写真家の甲斐さんが世界の5つの祭事(イングランド、秋田、ボリビア、長野、ジョージア[グルジア])を廻った写真集だ。雑誌『日本カメラ』の最新3月号の口絵には、ボリビアの祭事「Charanga」が6ページにわたって7点の作品が掲載されている。

同誌の「口絵ノート」には甲斐さんのコメントがあるのでここで紹介しよう。

この作品「Charanga」は、ボリビアのマチャという街で行われている祭事Tinku(ティンク)を撮影したものである。Tinkuは死者も出ることもあるほどの激しいけんか祭りであり、隣村同士が血の出るまで素手で殴り合い、その地を母なる大地の神パチャママに捧げ、豊作を願う祭事である。今まで撮ってきた格闘的な祭事で、偶発的に怒る殴り合いは目にしてきたが、素手で顔面を殴るという行為は人の倫理としてそうそう起こるものではなかった。ただ、Tinkuに関しては殴り殴られ、血を流すことが良しとされる。そこで闘う彼らは、生きること以上の意味など必要としない人間、つまり、「倫理以前に人間」に変貌していくのである。

格闘する祭り、けんか祭りを求めて世界各地を巡礼する写真家。これらの写真が、本書の収録された哲学者の近藤和敬さんによる解説と、『百年泥』で芥川賞を受賞した作家の石井遊佳さんと写真家の甲斐さんとの対談によって、さらに見る者の心に骨の髄まで肉薄して突き刺さる。

写真集『骨の髄』の刊行を記念して、ソウル、東京、大阪で写真展が開催される。

韓国・ソウル甲斐啓二郎写真展「Shrove Tuesday & Opens and Stands Up」
YARTGALLERY
ソウル特別市 瑞草區 良才洞 97-4 B1
2020年 3月 6日 (金) 〜2020年 3月26日(木) 10:00 〜19:00(日曜日休廊)
甲斐啓二郎写真展「骨の髄 Down to the Bone」

東京
銀座ニコンサロン
2020年4月 8日(水) 〜 2020年4月21日(火) 日曜休館
10:30~18:30(最終日は15:00まで)

大阪
大阪ニコンサロン
2020年4月30日(木) 〜 2020年5月13日(水) 日曜休館、5月3日(日)~5月6日(水)休館
10:30~18:30(最終日は15:00まで)