(85)ある本の誕生まで—著者と編集者の往復書簡(その2)
[2020/8/21]

[前口上]
S先生のこと』(尾崎俊介著)を出版したのは、2013年2月20日である。
先日、著者の尾崎さんから、メールをいただいた。
「パソコンの機種を変えることになって、昔のメールを整理していたら、『S先生のこと』が生まれるまでのメールのやり取りが残っていました。これをつないでみたら、面白い読み物になりましたよ」
そこで、尾崎さんのご了解を得て、約1年間にわたるこの往復書簡を、何回かに分けて紹介したい。今回はその2回目となる。校正作業は進み、装丁の仕事も始まる。2013年の年末、本文が校了となった。

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企画:尾崎俊介
記録:尾崎俊介
出演:尾崎俊介+村山恒夫
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●村山さん!
やった! やった! やった!
実は今日一日、何度も何度もメールを確認し、良い知らせが来るのを待っていました。それで、なかなか村山さんからメールが届かないので、
「あーー、やっぱり駄目だったか・・・」
といささかガッカリしていたところ。
そうですか! やりましたね!
あの絵を選んだ杉山さゆりさんのセンスも良いんだよなあ・・・。
とにかく、報せを受けて、欣喜雀躍しております。
いい本になりそうです。私も、精一杯、販売促進に力を入れますよ。
絶対、赤字のままにはしませんよ。
もう一息、頑張りましょう!!

尾崎俊介


●尾崎さん
自宅からです。家族のPC経由でメールします。
ご返事は、新宿書房へ。
今日は、帯文案についてです。尾崎さんの意見を聞きたいのです。
これではどれもダメだというこことで、代案をだされても結構です。

須山さんの肩書;
アメリカ文学者
米文学者
アメリカ文学翻訳者
やはり、アメリカ文学者、でしょうね。
尾崎さんの企画書文はもちろん、
頭に入れての帯文です。
さて、火曜日には須山邸訪問です。
例のエレベーターは、is workingですか?

S先生のこと 帯文案
表1(オモテ)
諦観の果てに
満ちてくるもの

スタイロン、フォークナー、オコナー、メルヴィル―――
自身の運命に重ねて信仰を見つめたアメリカ(米)文学者、
須山静夫との間に流れた師弟の静かな時間。
重奏しながら遡る、喪失の記憶。


A)
ある米文学者の生涯と
師弟の物語
B)
アメリカ文学者、
須山静夫の生涯
C)
ある米文学者の
生涯を
教え子がつづる

表4(ウラ)
A)
須山先生は、フォークナーの
作品を訳しながら、彼の生み出した
リーナ・グローブという
登場人物の心の奥深くに入り込み、
いわばリーナになり切って、
彼女がこの瞬間に感じていたはずの
絶望感や無力感を共有している。
いや、そんな小賢しい言い方は止めましょう。
私が言いたいのは、須山先生の訳稿には
涙の染みがあると。だからそれは、誰が
何を言おうと、最高の訳なんだと。
――本書より

B)
須山先生が亡くなった後、先生の業績の中で、
最後まで残るのは一体何だろうかと、
ずっと考えてきました。となると、何が残るのか。
翻訳、だろうと思います。須山先生の生涯の
お仕事であった「研究」「創作」「翻訳」の
三部門の中で、おそらく一番長く後世に残るのは、
先生が残された数々の名訳ではないかと。
そして、そのことを誰よりも喜ばれるのは、
須山先生ご自身ではないかと私は思います。
何故なら須山先生にとって翻訳とは、峻厳な
研究の成果であり、また創作の結果でもあって、
須山先生の才能と努力が最も良い形で収斂する
場所であったと思うからです。
――本書より

C)
確かに、須山先生は私の傍らにすくっと立った
巨木のようなひとでありました。度重なる
嵐に大枝はもぎ取られ、山火事に腸を焼かれ、
芯のところには黒こげの大きな空洞が出来ていた
けれど、そうした幾多の艱難にも折れることなく
立ち続けた巨木。
たとえそれが「倒れる力」さえ
失っていたからだとしても、最期の最期まで
天の一点を凝視して
不動の姿勢をとり続けた巨木。
先生は強く、大きい人でした。
――本書より

D)
そもそも須山先生は寡黙でいらして、
しかも黙っておられると、
何せ「宮口精二」ですから、
その引き締まった御顔立ちとも相俟って
結構恐ろしそうに見える。
そんな「寄らば切るぞ」的な風貌の先生に
ピタリとくっついて遠慮なくペラペラ
しゃべりまくる私に、先生も内心、
「妙な奴だな……」と
閉口されていたかも知れません。
――本書から
村山


●新宿書房 村山(岡野純子方)様、
『S先生のこと』の尾崎です。お世話になっております。今後ともよろしくお願いいたします。
さて、お問い合わせの帯文案についてですが、一つずつ回答してみたいと思います。

1 オモテ
キャッチコピーとなるであろう「諦観の果てに 満ちてくるもの」ですが、カッコいいですね!
「絶望の果てに」の方が、意味的には合っているような気もしますが、そう言ってしまうと、ちょっと月並みな感じがします・・・よね?
そういうことも含め、私としては、このままでいいと思います。
そしてそれに続く部分ですが、

スタイロン、フォークナー、オコナー、メルヴィル―――
自身の運命に重ねて信仰を見つめたアメリカ(米)文学者、
須山静夫との間に流れた師弟の静かな時間。
重奏しながら遡る、喪失の記憶。

これもすごくステキです。
一か所だけ、上の一文の「アメリカ文学者」というか、「米文学者」というか、の選択に関しては、前者を推します。と言いますのは、先生のご葬儀の後、未亡人から参列者に送られてきた礼状の文頭に、次の一文があったからです。

「アメリカ文学です。」
仕事は何なのかという主治医の問いに答えた須山の声の明るさが、今も忘れられません。

須山先生ご自身は、「米文学」という言葉を使われなかった。
「アメリカ文学」と言われた。それを思いますと、「アメリカ文学者」と定義してあげたい気がします。

2 背
A案・B案・C案で言いますと、A案がいいと思います。B案ですと、普通の伝記と勘違いされそうな気がします。やはり狂言回しとして弟子が登場することで、読みやすいものになっていると思いますので、私はA案に一票を投じます。
ただ、A案にある「ある米文学者」は、上と同じ理由で、「あるアメリカ文学者」の方がいいかなと。とはいえ、文字数の点で無理なら「米文学者」でもいいです。

3 ウラ
A案・B案・C案・D案で言えば、A案に一票。C案の一文は、この本をすべて読んだ人だけに読んでもらいたいと思います。

ということなのですが、いかがでしょうか。優れた惹句を考えるのは、非常に重要で、かつ難しいと思いますが、拙著をよく読んでいただいた上で作っていただいているなあと、ありがたく思っております。

以上、どうぞよろしくお願いいたします。

それから、火曜日の須山先生邸ご訪問も、よろしくお願いいたします。
未亡人・須山名保子先生にも、どうぞよろしく。名保子先生は、お身体があまり丈夫ではありませんので、なるべくお疲れが出ませんよう、ご配慮いただければ幸いです。

尾崎俊介


●尾崎さん
素早い、的確なレスポンス。
ありがとうございました。
これで進めてみます。
須山邸訪問では、失礼のないように気をつけます。

村山


●村山さん、
再校の件、お待ちしております。初校の原稿が、直しのためにごちゃごちゃしていましたので、スッキリした形に整ったもので、もう一度、通して見直したいと思います。
須山先生宅訪問、よろしくお願いいたします。お嬢さんの暁子さんもご一緒なら、何かと助けて下さるでしょう。私からもお二人によろしくとお伝え下さい。
いい写真が撮れるといいですね。

尾崎俊介


●尾崎さん
再校は来週末を予定しています。
すっきりした形で見てください。
文献資料に注意です。
これで最後にしたいです(笑)。

来週の須山邸訪問、楽しみです。
道順もお聞きしました。

村山


●村山さん、
再校、お待ちしています。
それから、須山先生のお宅ですが、結構分かりにくいところにありますので、よーーく道順を確かめていってくださいね。
先生御存命の頃は、もう薪ストーブが据えられているはずですが、今はどうなっていますか・・・。

尾崎俊介


●尾崎さん
重ね重ねすみません。
大いに参考になります。
昨日(注:2012年12月2日)の笹子トンネル事故。
尾崎さんは使っていますか?
私は、先月23、25日に通ったばかりです。

村山恒夫


●村山さん、
なにせ私も東京と名古屋を結構な頻度でクルマに乗って往復するだけに、笹子トンネル事故は他人事じゃないですねえ・・・。
ま、普段は東名ユーザーなのですが、中央道で言うと、恵那山トンネルをよく使います。8キロに及ぶ長いトンネルですが、あれも笹子トンネルと同じ時期、同じ工法で作ってあるそうなので、かなりコワイ。
お互い、気をつけましょう。と言っても、いざ天井が崩れてきたら、どうしようもないですね!

尾崎俊介


●尾崎さん
まず、須山邸訪問リポート。
名保子未亡人、娘の暁子さん、それの2匹の犬に大歓迎されました。
雨上がりの冬の庭(English Garden風)、地下室。そし て、何回もあのエレベーターに乗りました。うまく撮れたようです。あとは杉山さんの腕を期待しましょう。
未亡人はなかなかユーモアのある方です。撮影中に、控えの私は未亡人、娘さんと交互によくお話しをしました。

「ふだんあまり話さない娘があんなに話をするのを見ました。ありがとうございました」「ずっと音楽に彷徨っていて、4年前から鍼灸師の道を選択したんです」

未亡人の旧姓は河辺です。お話を聞いて、帰ってから調べて、驚きました。お父様は河辺正三。元旧陸軍大将。1952年まで巣鴨プリズンに収容され、ある日突然電車賃を借りて帰宅してきたとのこと。その後は一切仕事につかず、一時、藤井日達と一緒に布教活動をしたそうです。
河辺正三の弟は河辺虎四郎。中将、参謀次長で終戦。戦後、GHQのウィロビーWilloughbyに取り入り、特務機関「河辺機関」を組織したひとです。
大変な家族史です。
河辺正三さんと須山先生は一度会っているそうです。

それと。たぶん、明日、再校をお送りできると思います。

村山


●村山さん、
そうでしたか、須山邸訪問、成功裏に終わったようですね!
暁子さんは東京外語大出の秀才ですし、人柄もいいものの、ちょっと変わったところもあって、扱いの難しい人でもあるのですが、今度、鍼灸師になられる(た?)のですね。名保子さんもようやく安心されたことでしょう。
それから、名保子様のご家族のことは、私もまったく存じませんでした。そんな名家の出だったのですね。びっくりですが、名保子様の物腰出で立ちを見れば、よほど教養のある方であろうと分かりますので、言われてみれば納得です。
あと、2匹の犬ですが、彼らもだいぶ年を取ったので、落ち着いてきましたが、7、8年前にあの家にやって来た当初は、野生の猛犬。暁子さんが連れて来たのですが、彼女は犬に対して躾ということをまったくしないので、小さなオオカミが2匹、家をわがもの顔に徘徊しているようでした。
いつだったか、私が先生のお宅に遊びに行った時、2匹のうちの1匹が脱走し、須山先生がその後を追いかけている間、私は残りの1匹と家に取り残されてしまい、私がほんの少しでも身体を動かすと、鋭い歯を剥き出しにして威嚇するので、ものの30分というもの、身動き一つできずに、その野犬とずっと対峙したものでした。あれは、私の一生の中でも、もっとも長い30分でした。

尾崎俊介
On 2012/12/06, at 12:43


●尾崎さん
> 村山さん、
> そうでしたか、須山邸訪問、成功裏に終わったようですね!
> 暁子さんは・・・今度、鍼灸師になられる(た?)のですね。名保子さんもようやく安心されたことでしょう。

なんでもお母さん情報ですと、鍼灸師の国家試験に合格されて、いまは修業の身とか。正式には「はり師国家試験」というのですね。
http://www.mhlw.go.jp/kouseiroudoushou/shikaku_shiken/harishi/
南の地下室には彼女の楽器類が所狭しと置かれていて、いまだに音楽の世界に彷徨っていらっしゃるようです。音楽にはタバコの煙が大敵だそうで、S先生のチェーンタバコをものすごく憎んでいたとか。

> あと、2匹の犬ですが、彼らもだいぶ年を取ったので、・・・

いまは、6歳をすぎ、だいぶ落ち着いています。
私にも触らしてくれます。

村山


●尾崎さん
ゲラがきれいになったところで、新宿書房から各出版社へ引用の再掲載願いを出して承諾書をもらおうと思っています。
あくまで、形式的ですが、該当箇所を示して、出します。
以下の所だけでいいかと思いますが、念のため、確認をお願いします。

1)P47~48:オコナー『秘義と習俗』上杉明訳、春秋社
2)P145~147:フォークナー『八月の光』須山静夫訳、冨山房
3)P152~154:スタイロン『闇の中に横たわりて』須山静夫訳、新潮社

ほかにございますか?
村山恒夫


●村山さん、
尾崎です。引用箇所としては、他に『航跡』や『英語青年』からのものがありますが、これらは別にかまわないのですよね?

尾崎俊介


●尾崎さん
ご本人の著作、雑誌、私家版、といった理由でいいのではないで しょうか。
出典明記しています。
すべて出版社の責任ですので、お任せください。

村山


●尾崎様
さきほど、お送りしました。
まっさらなゲラをじっくり、
そしてASAPで読んでください。
13日着払いでお返しくださると感謝感謝です。

村山


●村山さん、
8日午前中に再校ゲラが届きました。現在、大至急校正中。
10日月曜日午前中にはそちらに返送する手続きがとれると思います。到着は11日ですね。
ところで奥付に来年1月20日の出版日が記されていましたが、大体そのくらいの出版になりそうですか?

尾崎俊介


●尾崎さん
戻し、よろしくお願いします。
発行日のことですが、tentativeな日付です。
年末年始という最大の休暇期間があり、印刷製本も休みます。
書評関係もかなりこの時期は不利です。あえて外します。
まあ、そんなこともあり、おそらく1月末か2月初めになりそうです。
本文次第です。それでも本文最終入稿はこの21日です。
意外と時間がないのです。いやほんとうに時間がないのです。

書評作戦などはいろいろ考え始めてください。
昨日の毎日新聞の書評欄。
書評委員による〈ベスト3〉。
荒川洋治氏がその1冊に須山さんの『クレバスに心せよ!』を選んでいます。
これはいい話では。

村山


●尾崎さん
校正の室野井さんからゲラが戻ったら、まとめて質問がある?かもしれません。

わたしからはざっと見ての質問です。
なかなか、いですね。(いまさら何を言っている!)
尾崎さんの校正で赤字になっているのもあるとは思います。
もうゲラは手許を離れているでしょう。でも憶えていらっしゃるところばかりです。

順不同です。
1)p119:「清風萬古」、p282「清風万古」。
萬か万、どちら?『月水金』の表記か、玄関にあるものの表記か?
2)p 277~281:〈単独訳〉〈共訳〉〈翻訳提供〉〈そ の他〉での人名表記のゆれ;それぞれの文献の表記に従っているので、ゆれはOKですね?
 フラナリー・オコナー:F・オコナー
3)ユードラ・ウェルテイー:E・ウェルテイ(実際に白水社 の『現代アメリカ短編選集』をみてみると、目次はE・ウェルテイ、本篇はユードラ・ウェルテイになっています。
4)ウイリアム・H・ギャスー:ウイリアム・ギャス(ミドルネームなし)
5)年譜の2011年;先生の納骨された共同墓碑名:「西東京教区キリスト者之墓」→「西東京教区基督者之墓」(これはお墓を管理している小平霊園の田代で確認しました。)まあ吉祥寺の教会等は今風に表記しているのかもしれません。
6)其の三;p19;須山さんのことば;「使い難そうです ね。」;これなんと読みますか?「使い易い」の反対語ですね。「つかいかたそう」?「つかいづらい」「つかいにくい」といいたい。
7)其の五;p49;『秘義と習俗』「小説の本質と目的」:須山 訳とのことですが、巻末の〈翻訳提供〉にはないですが?入れますか?
8)其の八;p75;大橋吉之輔先生が慶応を辞められ、:これは 1990年のことのようですが、大橋先生は定年前に辞職されたん ですね?信用出来ないWikiには定年退職とあります。定年退 職だと、須山先生の「いわば殉ずる形」の文脈とあいません。なにかがあって、定年前に辞められた。
9)其の九:p85;「海燕亭」;東京オペラシテイー→東京オペラシテイタワー。これは音引きなしの固有名詞なので。
10)其の十二;p107;そのことを証しようとされた;「証し」の読みは?
11)其の十三・p111;花ぎれ:これは「花布」にしてルビつきに。わしらの業界用語なので、すみません。
12)其の十六:ボーエンご夫妻;次頁の「涙」の引用文は「ボウエン」。これは尾崎表記と須山表記が違うということでいいですね?最後のp285の〈その他〉では英文表記。これもその文書の表記ですので、もちろんママ。
13)その二十六:『ショーシャ』(Shosha,1978);ここに邦訳(大崎ふみ子訳、吉夏社、二〇〇二年)のことを注記でいれないくていいのでしょうか?
14)本日の最後の質問。これは年譜に出ていないし、出す必要も ないことです。大塚仲町から今の深大寺○○町に引っ越されたのはい つですか?再婚後?再婚前?

では、また。

村山


●村山さん、
校正ゲラですが、本日返送しました。明日の午前中にそちらに到着する予定だそうです。
ところで、メールの中で「なかなかいですね。(いまさら何を言っている!)」と言って下さって、ありがとうございます。こういう一言に、随分励まされるものです。

さて、お問い合わせの件につきまして、順にお答えしていきますね。

1)「清風萬古」は、どちらも「萬」でお願いします。
2)〜3)著作物リストの表記ゆれですが、オコナーとウェルティに関しては目次で確認していますので、このようにしました。ので、このままにしましょう。
4)ギャスに関しては、雑誌の方が「ウィリアム・ギャス」、単行本が「ウィリアム・H・ギャス」です。
5)先生の墓地の名前ですが、私は名保子様が葬儀の参列者全員に出された礼状にあった記載をなぞったので、正式名称は「基督者」なのでしょうね。ここは、正式名称を採用して「西東京教区基督者之墓」としましょう。
6)「使い難そう」は、「使いにくそう」のつもりで書きました。「使いにくそう」という風にひらがなにしていただいて結構です。
7)これは新潮文庫『オコナー短編集』の訳者解説から取ったので、『オコナー短編集』がリストに記載されていますから、別に出さなくてもいいと思います。
8)大橋先生は、選択定年制を利用し、正規の定年の歳より前に慶應をやめられました。ですから、定年前に辞めた、というのが実質だと思いますが、選択定年制が使える年齢ではあったのですから、ある意味では辞めた時点が定年だ、とも考えられるかもしれません。
9)正式名称の呼称・記載法に訂正してください。
10)「証する」は、「あかしする」と読ませるつもりでした。ルビが必要でしたら付けていただいて構いません。
11)「花布」にルビで結構です。
12)Bowen先生の日本語表記ですが、私の「ボーエン」を排し、須山先生流の「ボウエン」に統一して下さい。その方が、実際の発音に近い気がしてきました。
13)うーん、まあ、先生や私は原文で読んだわけですから、邦訳のことは入れなくてもいいんじゃないでしょうか。
14)正確には分かりませんが、多分、1973年ごろだと思います。再婚後です。隆志さんが高校生になるくらいの時です。

ざっとこんなところでお答えになったでしょうか。
発行日の件、了解しました。大体その頃、と思っておけばよろしいですね。ここまでくると、その日が待ち遠しいです。

以上、よろしくお願いいたします。

尾崎俊介


●尾崎様
さきほど、郵便が届きました。
じっくり見ます。著者としてはこれをもって責了でよろしいですね。
「ちくま文庫」は筑摩書房、「角川文庫」は角川書店に変えましょう。
ひとつ質問が発生。「こごめ桜」問題。
尾崎さんのこの本では:
p117:其の十四
p135;其の十七
尾崎さんは、玄関の大樹を「こごめ桜」とあらわされています。
先日のロケで、奥さまから、この樹は「大島桜」であると教えてい ただきました。
なんでも近くに親の樹があって、鳥の糞から実生で育ったとのこと。これについて、本日あらためて奥様にお聞きしましたら、尾崎さんの文章でも気にはなっていたがあえて申し上げなかったとのこと。
ただ、困ったことに、S先生も本書p222で「こごめざくら」(『墨染め』p404からの引用)の満開シーンを描写されています。これは庭の別の樹をいっている のかもしれませんが。いずれにしても、「大島桜(おおしまざくら)」でうまく整合させる必要があります。
なぜ、いま言い出したかと言うと、先日のロケで撮った玄関先の大 木の写真を使うので、すこしキャプションを入れようと思い、ここで「こごめ桜」「大島 桜」問題が出てきたのです。(注=本書p268〜269の見開き写真)

村山


●村山さん、
「こごめ桜」の件、了解しました。それでは両方とも大島桜に直しましょう。
須山先生の文中の「こごめ桜」は、まあ、小説中のものですから、どうとでも言えるわけで、そこはそのままにしておくということでよろしいのではないでしょうか。
ところで、以前、ダミーとしていただいた表紙の案にA案・B案とありましたが、あれはどちらかに決定しましたか?

尾崎俊介


●尾崎様
> 村山さん、
>「こごめ桜」の件、了解しました。それでは両方とも大島桜に直しましょう。
了解です。大島桜にしましょう。
>須山先生の文中の「こごめ桜」は、まあ、小説中のものですから、どうとでも言えるわけで、そこはそのままにしておくということでよろしいのではないでしょうか。

この箇所の描写は大塚仲町の庭のことのようです(名保子さん談)。この「こごめ桜」は箱に植え替えて、調布に持ってきたそうですが、そのうち消えてしまったとか。
>ところで、以前、ダミーとしていただいた表紙の案にA案・B案とありましたが、あれはどちらかに決定しましたか?

添付します。引用した文章は少し、短くしています。
なにか間違いがあれば、言ってください。

お送りするのは、
カバー、
表紙、
帯、
です。

村山


●村山さん、
表紙の件、分かりました。前に送っていただいたもので言えば、B案ではなく、A案を採用したわけですね。
A案・B案、どちらも気に入り、どちらがいいだろうかと、自分なりに随分考えました。
最初に見た時、直観的にはA案が良いと思ったのですが、B案の方が書店で棚に並んだときに目立つかなとも思い、甲乙つけがたいような気もしてくる。
しかし、時間を置いたりして、何度も何度も見返した結果、やはりA案の方が美しく、また秘めた迫力があるなと結論付けたのです。
ということで、最終的にA案が採用されたと伺って、ほっとしました。

尾崎俊介


●尾崎俊介さま
校正者との突き合わせが終わりました。
単純な表記乱れがまだまだあって、これはこちらで行ないますので、お任せください。 ただ、尾崎さんにお聞きしたいこと、別のようにまとめました。
ほんとうに細かいことばかりですみません。
ザッとみてください。
刊行日のこと、年末年初に入り、なかなかうまくいきません。
2月刊行とお考えください。
もう少し、リアルなことは1月になってお知らせできます。

村山恒夫


●村山さん、お問い合わせの件、順にお答えしていきますね。

1)「聴く」と「聞く」の件ですが、「聞く」に統一して下さい。
2)「物の見方」「モノを見ろ」の件、漢字の「物」に統一しましょう。
3)赤字によるご提案のようにして下さい。『オコナー短編集』ですが、初版は昭和49年発行ですので、「1974年」ですね。
4)『賢こい血』『賢い血』の件、ご提案のようにして下さい。
5)「一旦動き出した」「一旦こうと決めたら」の件ですが、後者、すなわち「一旦こうと決めたら」の方の「一旦」をトル、というのでいかがでしょうか?
6)ここは両者の違いを無視して、ママで。両方先生の文章ですので。
7)私は須山先生の書かれた「Herman Melville, Moby-Dick or The Whale (1851) ---『白鯨』10の訳」という文章からそのままとって、それぞれの訳の出版年を出しておりまして、自分で確認したわけではありません。ということは、須山先生ご自身が、それぞれの版の初版まで確認したわけではない、ということですね。
ここはご指摘の通り、初出の年に変え、適宜、順序も変えて(=出版年の早い順に並べ替えて)下さい。
「磯野」→「幾野」の件、ありがとうございました! 見落としていました!
8)「送和器」の件、ご指摘のように、誤植のまま「送和」にして、その上でルビの「ママ」としましょう。
9)「特別研究生」「特選研究生」の件、『墨染め』212頁には「特別研究生」とあり、また『墨染め』222頁には「特選研究生」とあって、須山先生ご自身もごっちゃにして使われていたようです。
それで、ネットで調べたところ、明治大学の学則に「特選研究生制度の廃止」という項目がありましたので、大学としては「特選研究生」が正式な名称だったようです。ということで、本文・年譜とも「特選研究生」で統一して下さい。
10)「ひと月あまり」と「一ヶ月」ですが、ここはママにしておいてください。
11)「奮闘」の件、了解しました。ママということで。

以上で、お答えになっているでしょうか。もしさらにご確認されたいこと、お尋ね になりたいこと等、ございましたら、遠慮なくお申し越し下さい。

それにしても丁寧な校正をしていただき、感謝、感謝です。一つ間違いを潰す度に、一歩、パーフェクトに近づくようで、本当にありがたいです。
どうもありがとうございます。
出版は来年2月頭くらいですか。楽しみです。早く生まれてくる子供(本)の顔が見たいです。杉山さんの装丁が、どんな形で完成するか、楽しみです。

尾崎俊介


●尾崎さま
素早いご返事、ありがとうございました。
下版するまでまだまだ細かいこと、お聞きすると思います。

村山


●尾崎さま
再掲載のお願いを各出版社に出す件です。
きわめて形式的な礼儀作法ですが。

1)白水社(『闇の中に・・・)
2)冨山房(『八月の光』)
 以上は済ませています。訳者が須山さんですし、問題ありません。
3)オコナー著、上杉明訳『秘義と習俗』(春秋社)は、上杉さんの連絡先がわからず、遅 れています。元日大の先生?
上杉さんは、学会名簿でわかりますか?
それと引用では「一部改訳」という表現をされています。具体的には何を意味するのでしょうか?
先生方に再掲載をお願いする手前、ちょっとそれも確かめたいのです。

村山


●村山さん、
上杉明さんの件ですが、元日本大学の先生ですね。
しかし、最近のアメリカ文学会や英文学会の住所録を見ても、掲載されていません。1938年生まれですから、もう75歳ですか。ひょっとして10年くらい前の住所録には載っているかも知れませんので、明日、調べてみます。(ひょっとすると研究室に古い住所録があるかも知れませんので・・・)
ちなみに、一部改訳したのは、引用文中の、
「この種の、人々に受け入れられ易い現代的な憐みの情に流されれば、」
という部分で、これは原文では「in this popular pity,」となっているのを私が訳したものです。なぜ改訳したかと言いますと、この部分の上杉訳は、
「この瀰漫した哀れみに落ちこめば、」
となっていて、「瀰漫(びまん)」って何だよ?と思ったからです。最初、読み方すらよく分からなかったですが、「はびこった」というような意味なんですね・・・。
もし手続きが面倒なようで、びまんでもいいんじゃない?と村山さんも思うのでしたら、元の上杉訳に戻してもいいです。

尾崎俊介


●村山さん、
尾崎です。研究室にあった古い学会住所録で調べたのですが、
上杉明さんの住所&電話番号は、
〒181-0016 三鷹市深大寺0-0−0
電話00000-00-0000
のようです。

尾崎俊介


●尾崎さん
尾崎さん、訳うまいですね。変える必要はないと思います。
春秋社に知り合いがいますので、まず訳者の住所を聞き、上杉さんに了解をとって、次に春秋社に了解を取りたいと思います。

村山恒夫


●尾崎俊介さん
自宅から。家族のPC経由です。
ご返事は新宿書房までお願いします。
一つ質問があります。
これは一度お聞きしたかもしれません。なんどもすみません。
巻末の著作物リストの「著作」の〈論文〉のひとつです。
p280:明治大学メルヴィル研究会の『Sky-Hawk』(イタリック体)第3号の特集号タイトル。[Clarel研究特集号]。今の最終ゲラでは、このClarelの下にアンダーラインが入っています。
これは;1)このままでオーケー、これが正しい表記、2)これはイタリック体にしろという指定であり、イタリック体にしないといけない。
どちらでしょうか?

村山恒夫


●尾崎さま
春秋社からの返事です。
上杉先生は亡くなられていました。
春秋社の担当者の話しでは引用許可は不要とのお話でした。

村山

お申し越しの件ですが、上杉明先生は亡くなられておりました。
ご遺族のかたの連絡先は次の通りです。
(略)
取り急ぎまして。
春秋社編集部 高梨公明拝
PS)先日12月14日、中野先生が逝去されました。葬儀は17日に済ませました。お知らせまで。
こちらで調べた古い住所録のものは以下の通りですが、かなり古いようです。
(略)
ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いいたします。


●村山さん、
ううむ、そうでしたか。上杉先生はもう亡くなられていたと。
人の一生も儚いもんですな・・・。

尾崎俊介


●村山さん、
下記のお尋ねについてのお答えですが、「Clarel」の下のアンダーラインは、そのままの表記でOKです。イタリックにしてくれ、という意味ではありません。
現物がそうなっているのです。ですから、アンダーラインのままが正しい表記です。

尾崎俊介


●尾崎さん
著者校正にもそう書かれていましたね。
最終段階になると疑心暗鬼になります。もう少し、おつき合いください。

村山


●村山さん、
尾崎です。「疑心暗鬼」、大いに結構。最後まで気を抜かずに行きましょう。私はいくらでもつきあいますよ。どうぞお気軽にお尋ねください。

尾崎俊介


●尾崎さま
誤解しないでください。この「疑心暗鬼」はわれわれ自身の仕事への不安です。
実は尾崎さんのこの本作りで、初めての経験をしています。
一度もお会いしていない、一度も声も聞いていない。
私のいままでの基本は、屋久島だろうが、沖縄だろうが、作家の現場にまず行ってみることでした。
年もとってズボラになったんでしょうか。
あるいは、久しぶりにきちっとした手紙やメールをいただいたからでしょうか。
メールと手紙のみ。
まるで、手紙と電報で作者とやり取りをして本を作ったという、1960年代までの出版のよう。
これは面白い、最後まで尾崎さんに会わずにいよう。
1月の下旬か2月の初めに見本が出来たら、それを持って新幹線に 飛び乗り、
どこでしたっけ、岡崎か三河安城でしたっけ、その改札口で尾崎さんにお会いし、本を手渡そうと企んでいます。
新宿書房は日本でのブコウスキーの紹介ではかなり早いと思います。
Bは死んでからは大手出版社ですが、生前は出版元で苦労したようです。旅回りのような夫婦がやっている出版社(ガレージプレス以下で しょうか)に原稿を渡して、トンズラされ騙された話を書いています。
まさか今回はそんなことはないですが(笑)、久しぶりに信頼関係の所産 である本造りの原点を楽しんでいます。尾崎さんとの仕事を楽しんでいます。
杉山さんは、名古屋の建築の先生がやっている山林再生の家作りに参加していて、月に一度は万博跡地?あたりに行っているとのこと。
彼女(Q)もいつか、尾崎さんに会いたいと申しています。
村山


●村山さん、
なるほど、そうでしたか。
そう言えば、一度もお会いしないまま、そして特に根拠もないまま、今日までお互いへの信頼だけを頼りに仕事を進めてきたというのも、賭けみたいなものですね。
本が完成した暁に、結局、どういう人物と仕事をしてきたのか、それをようやく知るというのも面白い。
その時は是非お会いしましょう。ひょっとして想像していたのとはまるで違う人間かもしれませんよ。でもそれはお互い様ということで。

尾崎俊介/p>


●尾崎さん
いよいよ、明日から2013年。
いま、本文は、白焼きのステージ。
面付して、最終チェックをしています。もう質問はないかと思います。
新年は7日からです。

村山


●村山さん、
「白焼き」ですか!鰻みたいですね!
この押し詰まった中、最終チェック、ありがとうございます。
私の方は、出た途端に、各方面に宣伝や書評のお願いを出そうと準備しております。
世間に認知されれば、それなりに評価されるものと自負しますが、認知されなければ黙殺されるでしょう。
それを避けるための努力を最大限、やっていくつもりです。

今年は本当にお世話になりました。良いお年をお迎え下さい。
そして来年も、よろしくお願いいたします。

尾崎俊介


(この項、つづく)
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[幕間]戸田ツトムと杉浦康平
先日、赤崎正一さんから、新刊の『ビジュアルデザイン 1.』
http://sayusha.com/catalog/pisbn:9784865282542(制作・発売=左右社)をいただいた。同書の奥付の発行日は2019年3月31日になっているが、左右社の上記のサイトでは2020年6月1日である。特集の一つはTztom Toda Editorial Design 2001ー TZTOM TODAーEditorial Design-2017.10.31-11.10 Reportだ。戸田ツトムさんは、2020年7月21日に病死されている(享年69)ので、本書は戸田さんへの追悼の書になっている。書棚にあった『デザインの種(たね)』(鈴木一誌+戸田ツトム著、大月書店、2015年)を取り出してみる。『ビジュアルデザイン 1.』の中で一番面白かったのは、「杉浦康平×宇野亞喜良 50年、一瞬の閃光!  ―――時を、とく(解く、溶く、融く••••••)」だ。実に50年ぶりに再会したふたりの記憶が記念写真のようによみがえる。いまもお元気なふたりだが、この対話の収録は今から5年ほど前と思われる。