(111)村山新治、三鷹発二〇時二二分

[2021/2/26]

東京・三鷹に住む映画監督・村山新治の奥様(洋画家=村山容子)から電話あった。「昨晩(2月14日、日曜日)の午後8時22分に村山は亡くなりました。葬儀は家族だけでしますので、ごめんなさい。」密葬は17日に行われた。
村山新治は1922年(大正11)7月10日生まれだから、享年98だ。1週間前まで食欲があったとのこと。静かに自宅で亡くなった。死因は老衰ということになる。コロナのこともあり、新治叔父(父・村山英治の弟)に最後に会ったのは2019年12月の頃だろうか。その年の6月には、自分の本が「キネマ旬報映画本大賞2018」の第2位に選ばれたことも喜んでくれた(たぶん)。映画本大賞の選評には次のような文章があった。

「東映東京撮影所の中軸監督として『警視庁物語』シリーズ(57~61)、実録犯罪映画の傑作『七つの弾丸』(59)、佐久間良子の女学生が神々しい『故郷(ふるさと)は緑なりき』(61)などを残した村山新治(1922〜)の回想録。職人わざを発揮し、娯楽映画を作り続けた人生は、そのまま撮影所の歴史でもあった。出版には親族が関わり、敬愛をこめた丁寧な編集にも心うたれる。(尾形敏郎)」

『村山新治、上野発五時三五分―私が関わった映画、その時代』(2018、写真・複写撮影=大木茂、デザイン=桜井雄一郎)が出版されるまで、第一部の原稿執筆から、なんと20年の歳月が流れている。この間の経過は本コラム(3)に詳しく書いた。まず2000年から2001年にかけて雑誌『映画芸術』に、著者の回想と解説座談会(村山新治+深作欣二+澤井信一郎+荒井晴彦)が4回にわたって連載された。
その後10年間の空白があって、2011年にわれわれが参加した出版編集が始まる。年末までに行なった5回の著者インタビューをまとめた原稿を整理し、著者のチェックも済んだところで、その内容構成に対して著者から強い不満が出た。当時89歳だった本人にもいろいろな葛藤があったに違いない。しかし、ここからまたおよそ5年間の中断が始まるのだ。
著者の不満はいくつかあったとおもわれる。第二部の監督デビュー以降の部分を本当は自分で書きたかった。1957年、35歳で劇映画監督デビュー、それからわずか17年後の1974年、52歳で映画からテレビへ完全に舞台が移った自分の監督人生とその無念さ。それ以後のテレビの仕事には触れたくないし、実はあまり表に出したくない。一番残したかったのは、第一部の「私が関わった映画、その時代」だけだ。それにあえて仰々しい市販本にしたくない……などなど。
5年後の2016年に編集再開するにあたって、ますます頑固になった著者から防衛(笑)する意味で、今後一切を編集者にゆだねるとの委任状をかわした。にもかかわらず、それからまた2年、編集に手間取った。今度は監督本人からいつ出るのかと苦情がくる。また事情を知らない関係者から、なんでこんなに時間がかかるんだとの質問を何回もいただいた。製作日程、公開上映日絶対厳守が身上の興行世界の映画人からすれば、このモタモタぶりが理解できなかったのだろう。

村山新治の訃報を、いろいろお世話になった方々にお知らせした。まずは雑誌『映画芸術』のオーナーで脚本家・映画監督の荒井晴彦さん。その際、雑誌連載の後10年の間に、何か出版するような話がなかったかどうか、を聞いてみた。
「そもそもは澤井(信一郎)さんだったか、深作(欣二)さんだったか、こういう原稿が有るんだけど、『映画芸術』で載せないかと。じゃ、応援で解説座談会やってくださいよと。本になればいいとは思っていたけど、どこからも話は来ないし、具体的にはならなかった。本にするには、監督デビュー後が必要だと思っていました。しかし、村山(新治)さんはもう書けないみたいで。インタビューするには力量不足で、誰かインタビュアーを探せばよかったのかもしれないが……。だから、『村山新治、上野発五時三五分』に第二部インタビュー自作を語るがあって、ちゃんとした立派な本になったなと思いました。」(荒井晴彦)
澤井監督、深作監督も東映で村山新治のもとで助監督を務めたいわば弟子。しかし、そうか、やはりどこも手を挙げなかったのだ。結局、われわれ甥たちが本を出したのも運命的なことかもしれない。

次に東京杉並の阿佐ヶ谷駅近くにある映画館「阿佐ヶ谷ラピュタ」の支配人の石井紫さん。当館はこれまで東映現代劇映画を積極的に特集上映してきている。先月の1月にも『七つの弾丸』(1959)が上映されたばかりだ。石井さんにいままでの村山新治監督作品の上映記録をお聞きすると、たちどころにお答えをいただいた。

「過去の上映履歴は当館HPのアーカイブから辿ることができます。
抜けがあるかもしれませんが、ざっと調べた限り↓このような感じでした。
2006年11月『孤独の賭け』
2006年12月『旅路』
2008年9月 『孤独の賭け』
2009年7月 『警視庁物語 遺留品なし』
2010年1月 『夜の歌謡シリーズ 伊勢佐木町ブルース』
2010年5月 『孤独の賭け』
2011年9月 『旅路』
2011年12月『故郷は緑なりき』
2012年1月 『夜の歌謡シリーズ 伊勢佐木町ブルース』
2013年9月 『おんな番外地 鎖の牝犬』 ※ニュープリント
2014年10月『警視庁物語 遺留品なし』
2015年7月 『故郷は緑なりき』
2015年7月 『七つの弾丸』※ニュープリント
2015年8月 『警視庁物語 顔のない女』
2016年4月 『無法松の一生』
2016年4月 『警視庁物語 遺留品なし』
2016年5月 『東京アンタッチャブル』
2016年5月 『おんな番外地 鎖の牝犬』
2017年9月 『七つの弾丸』
2017年9月 『白い粉の恐怖』 ※ニュープリント
2017年9月 『無法松の一生』
2017年9月 『東京アンタッチャブル』
2018年1月 『警視庁物語 顔のない女』
2018年1月 『警視庁物語 遺留品なし』
2018年8月 『おんな番外地 鎖の牝犬』
2018年8月 『夜の悪女』
2018年9月 『故郷は緑なりき』
2018年9月 『草の実』 ※ニュープリント
2018年10月『孤独の賭け』
2018年10月『旅路』
2020年6月 『いろ』 ※ニュープリント
2021年1月 『七つの弾丸』
「警視庁物語」シリーズ前半はネガの状態が悪くリプリントできないので残念ですが…。
『警視庁物語 12人の刑事』『海軍』『肉体の盛装』、また個人的に東映の風俗ものが大好きなので『夜の牝犬』『赤い夜光虫』『柳ヶ瀬ブルース』『夜の手配師』なども折をみてニュープリントにできればいいなと思っています。 」

村山新治の本のデザインをしてくれた桜井雄一郎さんにも。彼からもすぐに返事が来た。
「村山さま お知らせ、ありがとうございます。お悔やみ申し上げます。村山新治監督の本にかかわることができて、とてもうれしく思います。
このタイミングで、梅宮辰夫主演の「夜の青春」シリーズが、DVDセットで発売されます。3月10日発売です。
村山新治作品では、
『いろ』(1965年6月公開)〈夜の青春シリーズ2〉、
『夜の悪女』(1965年12月公開)〈夜の青春シリーズ5〉、
『夜の牝犬』(1966年2月公開)〈夜の青春シリーズ6〉、
『赤い夜光虫』(1966年6月公開)〈夜の青春シリーズ7〉、
『夜の手配師』(1968年4月公開) 、
とすべて、初DVD化ではないでしょうか。」
さすがに映画情報通だ。

2月24日(水)の『朝日新聞』朝刊の訃報欄(おくやみ)に「村山新治」が掲載された。村山の故郷の長野県の『信濃毎日新聞』や他の地方紙の一部にも訃報が出たようだ。朝日の「おくやみ」記事を見た朝広(朝日広告社)の有田寛さんが、『週刊文春』の小林信彦さんのコラムは知っていますかと、電話をくれた。知らなかった。それは同誌2021年2月4号のコラム(小林信彦連載「本音を申せば」第1096回)だ。
小林はある日、郊外のデパートの中にある本屋で『村山新治、上野発五時三五分』という厚い本を買う。「この本で面白いのは、実は(失礼!)深作欣二、沢井信一郎、村山新治による座談会[司会は荒井晴彦]であり、これがないと、わかりにくい。東宝と東映の人脈のまざり方、人間関係が、一応、分るようになっている。〈中略〉村山新治という新人が東映に現れた……というので、ずっと読んでいたら、いつかテレビの方に行ってしまっていたがそのいきさつ・・・・はこの本を読まないとよく分からない。」
褒めていただいていますよね。

最後に『村山新治、上野発五時三五分』に関連する画像を紹介しよう。


表紙の見開き:『故郷は緑なりき』(村山監督の使用台本)。台本の書き込みから映画の画面ではわからないロケ地が、信越本線・来迎寺(らいこうじ)駅だとわかる。これが川本三郎さんらの鉄道映画ファンを喜ばせた。


前見返し:村山容子(新制作協会)『風の詩‘16-11』(2016)




村山監督の撮影台本の表紙から(撮影=大木茂)『警視庁物語 上野発五時三五分』の最初の題名は『私製拳銃』だった。

    
編集時のスナップから(撮影=大木茂)インタビュー風景(村山新治、村山正実、村山恒夫)2011年10月6日

参考サイト:
本コラムの(3)(6)(7)(8)(11)(20)(24)(53)(60)