(45)見世物学会総会から
[2019/11/8]

見世物学会の第21会記念総会がさる11月4日に、上野の東京芸術大学で開かれた。

当日の上野の森は文化の日の振替休日とあって、大変な人出であった。この人の群れを過ぎ、会場である美術学部の中央棟の会議室に着く。主催はもちろん、見世物学会だが、今年(2019)の総会は、日本人形玩具学会表象遊戯学研究部会と東京芸術先端芸術科・小沢剛研究室の協力で開催することができた。
第一部は見世物学会の総務局長で飴細工師の坂入尚文(さかいり・ひさふみ)さんによる基調提案=「人型の記憶—逸脱と退廃」、第二部はシンポジウムで登壇者は坂入、小沢剛(おざわ・たけし)、川井ゆう(かわい・ゆう、菊人形を中心とする等身大人形研究者)、藤井秀雪(ふじい・ひでゆき、マネキン研究・街の色研究家)の4氏。予定されていた青木茂(あおき・しげる、明治美術学会顧問、見世物学会顧問)さんは体調不良により欠席された。川井さん、藤井さんのお二人は日本人形玩具学会の会員であり、藤井さんは見世物学会の会員でもある。この総会の記録は見世物学会の機関誌や新聞で近々報告されるので、ここでは省略する。


撮影=銭谷均

「油絵茶屋再現」展
シンポジウムの中での報告で大変面白かったのは東京芸大の小沢剛教授の「油絵茶屋再現」展のお話だった。小沢さんは1999年に出版された『美術という見世物—油絵茶屋の時代』(木下直之著、平凡社)から大いに刺激を受け、この油絵茶屋(あぶらえちゃや)を現代に再現しようとした。
油絵茶屋とは何か?以下、福住廉さんの記述を紹介しよう。一部補筆した。
https://artscape.jp/artword/index.php/油絵茶屋

茶(珈琲)を飲ませながら油絵を見せる見世物小屋。明治初期(明治7年=1874)、五姓田芳柳(ごせだ・ほうりゅう)と義松(よしまつ)の親子が、浅草や深川、両国などで催した。展示されたのは、芝居絵や新聞錦絵の主題を、西洋伝来の新技術である油絵によって描いたもの。それらの多くは、他の見世物小屋と同様に、芸人による口上とともに見せられていた。同じく西洋伝来の茶(珈琲)を嗜むことができることもあって、当時の庶民に大きな人気を集めた。美術史家の木下直之は『美術という見世物』において、油絵茶屋を美術館も画廊もなかった時代において一般の日本人が油絵に接した出発点として位置づけている。近代美術の制度化に伴い、油絵は油絵茶屋から美術館に居を移し、口上のけたたましい声が奪われ、代わって静寂と沈黙が支配するようになった。画題も美術の外部にある物語に依存することをやめ、個人の内面に求められるようになった。近代美術は油絵茶屋を母胎としながらも、その出自と由来を消し去ることによって、近代美術の自立性を確立したわけだ。しかし、近代美術が隘路に陥って久しいなか、その限界を乗り越えるには、美術の原点のひとつである油絵茶屋という見世物小屋を直視することにあるように思われる。

五姓田親子は「西洋画工」を名乗り、二度にわたって浅草奥山で油絵を見せた。その油絵は残っていないが、宣伝チラシである引札(ひきふだ)には12枚の油絵の図柄が示されている。そして、末尾にある「新門」とは、かつては松本喜三郎の生人形興行を、そして明治になってもなお、浅草の見世物興行を一手に取り仕切っていた侠客新門辰五郎(しんもん・たつごろう、1800〜75)である(木下『美術という見世物』)。

小沢剛さんらの「油絵茶屋再現」展は東日本大震災のあった2011年の10月15日から11月15日まで、浅草・浅草寺で行われた。五姓田親子による油絵茶屋から実に140年ぶりに浅草寺境内で再現されたことになる。主催はGTS(芸大・台東・墨田)観光アートプロジェクト、制作は小沢剛+油絵茶屋再現実行委員。制作メンバーとして13人の学生の名前が記録されている。
https://blog.goo.ne.jp/harold1234/e/4b97252396444c9d5a・・・
https://oooka.jp/post/13960968338/油絵茶屋再現展チラシ

2011年のこの再現展の記録には、企画者・小沢剛によると思われる文章が残されている。
「美術」という言葉が生まれたのが前年の明治6年のことで、その言葉はまだ珍しく、曖昧で、生まれたての幼虫のようなものだったのではと考えています。だからこそ大きな可能性があったはずです。その時代に一瞬だけ存在した幻の《油絵茶屋》を残された資料から読み解き、想像力と持てる技術と、そして多くの人々の協力のもと再現します。

しかし、会場時間は9時から16時までであり、「見世物小屋としての不徹底ぶり、提灯や幟が明らかに不足していたため、見世物小屋としては地味すぎるし、周囲の騒々しい露店に埋没していた」(福住廉)と評されたが、 「油絵茶屋再現」のお話は、見世物学会総会にとって思わぬ素敵なプレゼントになった。

鵜飼正樹さんが「宮日賞」文化賞を受賞
この見世物学会総会に京都から出て来られた鵜飼正樹さんは見世物学会の会長でもある。その鵜飼さんがニコニコしながら、先日こんな賞をもらいましたと見せてくださったのが、11月1日付けの『宮崎日日新聞』の朝刊。それによると、京都文教大学教授の鵜飼正樹さんは、昭和初期から中期に宮崎市を中心に活動した歌劇団「日本少女歌劇座」を調査し、その功績により第55回宮崎日日新聞賞(宮日賞)の文化賞されたのだ。
鵜飼さんのこの調査研究は、このコラム(32)で〈旅する少女歌劇団「日本少女歌劇座」〉と題して詳しく紹介している。鵜飼教授、会長の受賞をお祝いすると同時に、この少女歌劇団の調査研究が一日も早く上梓されることを願っている。

ところで今年の酉の市は11月8日(一の酉)と16日(二の酉)だ。坂入尚文さんは例年通り、東京新宿の花園神社の三寸(さんずん、屋台)の中で飴細工師として仕事をする。

この日、私は先週末に出来たばかりの『サーカス博覧会記録集』を40部(これは重い!)と新宿書房の見世物関連書12冊を、フーテンの寅さんよろしく、キャリーケースに積め込んでガラガラと上野の森まで持ってきた。大学内では物販禁止なので、100枚ほどの見世物関連書リストのチラシをつくり、これまた持参し、総会受付の横に場所を借り、行商のように本を並べ、来場者にチラシを配る。
「オ―」という声に顔をあげれば、朝日新聞の「寅さん記者」「路地裏記者」の小泉信一さん。なんでもこの総会は途中で抜け出し、『男はつらいよ』シリーズのロケ地のひとつ、信州の小諸に向い、翌日は伊豆七島の式根島に行くという。
さあて、商売、商売!おずおずと声をあげて、本を並べ替えて総会帰りのお客を待つ。