(38)『大道芸アジア月報』
[2019/9/20]

『大道芸アジア月報』という月刊のミニコミ紙をご存じだろうか。大道芸人であり、浅草雑芸団代表である上島敏昭(かみじま・としあき1955〜)さんが編集・発行人をつとめる、大道芸に関する情報紙だ。上島さんが読んでほしい人に送っているフリーペーパーである。発行は浅草雑芸団。創刊は1991年2月号だそうだ。以下は上島さんの説明である。

「これ以前に『坂野比呂志大道芸塾機関誌 ぴょんぴょん』というB4表裏のコピー印刷の月報を出しています。これは1987年1月創刊。最終号が1991年1月号。25号出していました。」

最新号は2019年9月号(通巻334号)である。同紙は2019年6月号からDM便の料金の値上げのため、一部メール配布となった。
毎月の「大道芸案内」は貴重な資料だ。大道芸に特化した情報紙は日本では他にはないだろう。たぶん毎月、上島さんのところに、大道芸情報が集ってきているからできる技だ。
上島さんは、編集者、ライター、大道芸研究家の顔ももつ。新宿書房からは、『見世物小屋の文化誌』(鵜飼正樹+北村皆雄+上島敏昭編著、1999)が出版されている。同書のなかで上島さんは、「見世物の現状」と「見世物研究資料」の章を担当した。
3年前、『見世物小屋の文化誌』を17年ぶりに重版することになった。前回までの重版はフィル厶での製版。そのフィル厶も印刷所(京都の創栄図書印刷)には残っていない。創栄の東京営業所の宗清(むねきよ)さんがカバー、表紙、前・後見返し(ここにも人間ポンプの写真がはいっている)をスキャンし、そして本文も1冊完全にバラしてスキャンする方法を提案してくれた。これで見事に復活。
その際、上島さんにその情報力を発揮していただき、重版本の特別付録「見世物関連書籍目録(抄)2000年〜2016年」(8p)を作成してもらった。

   

上島さんは見世物学会の評議委員でもある。本コラムの(16)(19)(22)(23)でふれた原爆の図丸木美術館での「サーカス博覧会」(2019年4月2日〜5月26日)では、企画の段階からかかわっていただき、5月18日の関連イベントではご夫妻で大道芸を披露してくださった。

 

『大道芸アジア月報』の編集人自らの手になる「大道芸・見たり・聞いたり・演じたり」では毎回、さまざまな公演、書籍、音源、映画などを紹介している。
8月号(その333)、9月号(その334)では注目すべきレポートが書かれている。「あいちトリエンナーレ」(あいトリ)の「表現の不自由展・その後」の企画展示から中止までを丁寧にたどったのが8月号(8月9日現在まで)だ。それを読めば、この「表現の不自由展・その後」は、2015年の1月〜2月の東京・練馬のギャラリー古藤(ふるとう)での「表現の不自由展」を受けて開催されたことがわかる。この「表現の不自由展」開催以降、あらたに公立美術館などで展示不許可になった作品を加えたことや、合計16点の作品、作者名を紹介している。

9月号のタイトルは「表現の不自由展:承前」だ。ここでは9月5日放送されたNHK『クローズアップ現代』が紹介される。「「表現の不自由展・その後」の中止の波紋」だ。
ゲストはロバート・キャンベルと岡村幸宣。岡村さんは、原爆の図丸木美術館の学芸員。新宿書房の『《原爆の図》全国巡回ー占領下、100万人が観た!』(2015)の著者である。上島さんはふたりのゲストのコメントも丁寧に紹介する。

番組の終わりで岡村さんは次のように述べているのが印象的だった。

 「なぜ表現の自由が必要かということですね。自分と異なる歴史や文化から生まれてきた表現に触れることで、これまでこうだと思っていた世界が違って見えてくる、そういう可能性があるわけです。今、国境を越えて多くの人が交流していく時代の中で、そこに橋を架けて対話し、お互いの理解を促していく。その表現の力を信じることがとても大事だと思っています」

上島さんの本領が発揮されるのは、この後だ。大道芸人としての経験からこのように述べる。

 とくに大道芸という表現は、権力者・行政執行者・その場所の顔役などの顔色を横目で見つつ、演じる側面がある。そもそも、街頭で芸を演じてお金を頂戴するという行為は、さまざまな法律に抵触するか、抵触する可能性のある、法律的には「不見識な」行為なのだから、そこを突かれないように、突かれたら上手にかわすようにやることが求められる。じっさい、私の体験でも、依頼されて行っていた大道芸イベントでありながら、警察官がやってきて中止させられたこともある。そんなとき「権力と戦う」とか大見得切って騒ぐという方法もあったのかもしれないが、そんなことしてもその場でなんとかなるとは思えず、結局、泣く泣く中止するしかなかった。

しかし、権力と闘って成果を得た例として、1980年12月7日の銀座の歩行者天国に、突然、猿まわしが出現し、警察がこれを中止させたという事件があった。結局、後日近くの数寄屋橋公演での大道芸が黙認になったいきさつと、これには事前に関係者の用意周到な作戦があったことを、上島さんは紹介している。

もとをたどれば、実は、2019年あいトリの「表現の不自由展・その後」、2015年ギャラリー古藤の「表現の不自由展」も、赤瀬川原平の「千円札裁判」事件の支援のため、「表現の不自由展」という名の展覧会(1967年8月17日〜22日、銀座・村松画廊/赤坂の草月会館)が催されたという、現代美術史では有名な事実にたどりつくと、上島さんは言う。そして、こう続ける。


題字ロゴ(木版):いちむらみさこ
 2015年同展ポスターより

 現実の「千円札裁判」で、被告・赤瀬川原平は有罪となった。そうしたリスクを負いながら、芸術とはなにかというテーマを、これ以上ない方法であぶり出した。これは赤瀬川ばかりでなく、ハイレッド・センターやその周囲の多くの支援者によって、はじめて成立した、非常に高度な、芸術活動であった。
今回の展示(引用者注:あいトリ)は、その名称を借用し、テーマ自体も「千円札裁判」と重なるところは大きい。でありながら、彼らは先例に何を学んだのだろう。私は疑問を持たざるをえない。主催者側は、あまりにもお粗末すぎる。

この最後の上島さんのことばは重い。路上の芸人であるがゆえの発言だ。