(30)映画『グリーンブック』とガイドブック『グリーン・ブック』
[2019/7/19]

この1週間で3本の映画を観た。渋谷ユーロスペースで『新聞記者』(日本、2019)、阿佐ケ谷ユジクで『グリーンブック』(アメリカ、2018)そして市ヶ谷・記録映画保存センターで『不良少年』(日本、1961)の3本である。今回は『グリーンブック』について書いてみよう。

映画の舞台は1962年。ドン・シャーリー、本名はDonald Walbridge Shirleyは「ドクター・シャーリー」の名でも知られる。天才黒人クラシック・ジャズピアニストで作曲家のシャーリー(1930〜2013)は、カーネギーホールの専属ピアニストであり、同ホールの上層階の豪壮な部屋に住む。ナイトクラブの用心棒をしていた白人トニー・リップ・ヴァレロンガ(1927〜2013)はブロンクスのイタリア系移民の家族の中で育ち、いまもそこに住む。
ふたりは実在の人物で、物語も実話を元にしている。シャーリーは運転手兼用心棒としてトニーを雇い、2ヶ月間のアメリカ深南部(ディープサウス)へのコンサートツアーに出かける。「黒人と白人(WASPではない)」「セレブと庶民」「高学歴(博士号を2つ持つドクター)と無学」。真逆な関係のふたり(バディ)が演じるロードムービーだ。

ツアーのメンバーは、シャーリーの「ジャズトリオ」の面々。ピアノのシャーリーとコントラバスとチェロふたり。彼らは東欧系の白人だ。それに運転手のトニーの合計4人が2台のクルマを連ねて行く。
出発の朝、リップはカーネギーホールの玄関先で見送りにやって来たレコード会社の社員から冊子のようなものを手渡される。

これが旅行ガイドブック『グリーン・ブック』だ。正式名称は創刊当初 “The Negro Motorist Green Book”といい、のちに“The Negro Traveler’s Green Book”(邦訳は『黒人ドライバーのためのグリーン・ブック』)と改題された。
『グリーン・ブック』はニューヨーク市ハーレムの郵便局員だったヴィクター・H・グリーン(1892〜1960)が1930年代にニューヨーク市地域の店舗情報をまとめた冊子を出し、これが好評を呼び、1936年に最初の『グリーン・ブック』を出版した。

この『グリーン・ブック』が登場するのには背景があった。1876年から1964年まで存在したアメリカ南部諸州での黒人の一般公共施設の利用禁止制限をした法律、これを総称して「ジム・クロウ法」と呼んだ。
このジム・クロウ法で、南部では黒人が利用できるホテル、モーテル、レストラン、バー、給油所などは非常に少なかった。『グリーン・ブック』は黒人旅行者に歓迎され、黒人旅行者のバイブルとまでいわれた。1936年の創刊ではニューヨーク周辺が対象だったのが、毎年ごとに南部諸州までに対象を徐々にひろげ、1949年にはバーミューダとメキシコにも及ぶ。そして、1952年には前述のように誌名を“The Negro Traveler’s Green Book”と改名した。
この『グリーン・ブック』の登場するもう一つの背景には、1930年代の、黒人の中産階級の登場と自動車の所有拡大があげられる。鉄道、船舶、飛行機による旅行が依然として人種による制限と隔離がつづく中、自動車の移動は唯一の自由な手段だった。それには各地で黒人が制限なく利用できる施設の「ガイドブック」が必要だった。

1937i版          1940版
1937i版             1940版

この旅行ガイドブック『グリーン・ブック』全冊のデジタル・コレクションがNYPL(ニューヨーク公共図書館)にあるという。
あの映画『ニューヨーク公共図書館』に出てくる、「ションバーグ黒人文化研究図書館」である。
日本にいるわれわれでも、入り口まで入れる。そこで、先日30年間のアメリカ生1962版表紙活から帰国したばかりの知人のH夫妻に頼んで、1962年刊の『グリーン・ブック』の中味を調べてもらった。彼らはいつでもどこからでもNYPLのサイト内にアクセス出来るのだ。
同冊の目次はホテル、バー、イン(モーテル)、レストランなどの16章からなり、形状はパンフレット、総ページ数は128、サイズは12.5センチ×17センチ(ほぼB6判)、たぶん中綴じ。毎号、15000部が発行された。
アメリカでは1964年に「公民権法」が成立、これによって公共施設からの人種隔離が法的に終りを告げた。それを見届けるように、ガイドブック『グリーン・ブック』は、その使命を終え、1966年に休刊した。
映画『グリーンブック』や同映画のパンフレットに登場する『グリーン・ブック』の表紙と、NYPLのデジタル・コレクションで見る表紙とでは、題号のロゴは同じでも背景の絵柄が少し違う。映画サイドが少し加工したのかもしれない。

1962目次    1962ホテル 

この映画のもうひとつの主人公はクルマだ。映画で使われたクルマは、「キャデラック・コンパーチブル 62シリーズ」。車体の色は映画ではターコイズグリーン、実際はブラックだったそうだ。
映画の中に出てくるキャデラックは力強く、大きく、広い。このキャデラック内でのシャーリーとトニーのやり取り。食べた事がなかったケンタッキー・フライドチキンを最初は断りながら、しかし最後は手が脂まみれになりながらも、楽しんで食べるシャーリー。
かれら(そして黒人旅行者)にとって、このクルマの中だけが、唯一くつろげる居間であり、だれにも邪魔されない、彼らの天国であり、楽園だったことがわかる。