(125)九段下・耳袋 其のにじゅうに

[2021/6/5]

コラム(63)で「100年前のパンデミック、スペイン風邪」をアップしたのが、2020年3月20日だ。熊野の山の作家、宇江敏勝さんが文芸同人誌『VIKING』(神戸・東京)に「牛車とスペイン風邪」を書き下ろして掲載したのが2020年9月だ。そして、この作品を収録した「民俗伝奇小説集」(全10巻)の最終巻『狸の腹鼓』(たぬき・の・はらつづみ)が刊行したのが、2020年11月20日だ。それから、さらに半年を過ぎたが、いまだこの「新型コロナ」のパンデミックが収まる気配はない。

さて、今回は最近いただいた1冊の新刊書を紹介しよう。

明るい夜・かもめの日  女たちと男の話』(春陽堂、2021)
著者の黒川創さんから。四六判上製で452頁の大部の本だ。黒川さんは、昨年、同じ春陽堂から、『もどろき・イカロスの森  ふたつの旅の話』も出している(どちらも装幀は南伸坊さん)。これも四六判上製で312頁という本だ。
2冊の表題になっている4作品とも、ある運命をたどってきている。『明るい夜』は単行本として2005年に文藝春秋から刊行、『かもめの日』は2008年、また『もどろき』は2001年に、そして『イカロスの森』も2002年に、それぞれ新潮社から単行本として刊行されている。多分2つの出版社では近年「品切れ」あるいは「絶版」の状態になっていたのであろう。さらに『明るい夜』は刊行の3年後「文春文庫」に、また『かもめの日』は刊行の2年後「新潮文庫」に入っている。これらの文庫もまた10年が過ぎて、多分品切れ状態になっていたのだろう。とすれは、黒川さんのこれらの作品たちは本当に幸せな再デビューを果たしたことになる。この20年近い時間に何度も姿を変えて世に出るとは、ほんとうに生命力ある作品たちなのだ。
文庫の親本を刊行した出版社は2年、3年過ぎると、大手の出版社や著者から、文庫入りの攻勢を受けることがよくある。著者は出版契約書を盾にとって主張することもあるし、低価格の文庫にし、部数を伸ばす夢もみるのだろう。著者の期待を裏切り、宣伝もできず、大した売り上げを出せない零細出版社だから強い抵抗はできないが、「小社では今後とも品切れにはせず、長く大切に売っていきますから、どうか文庫入りだけはやめてください」と当然、お願いする。そしてある殺し文句を用意する。「文庫入りは墓場入りを意味しますよ。文庫で品切れ、絶版になった本は2度とこの世に帰ってくることはありません!」いまやこの殺し文句はあまり効かないが、実際文庫入りした本で、その死後(文庫の品切れ・絶版)に、全集や選集などで収録される以外に、単行本として再び生還した例はあまりないと思う(もっとも最近は電子書籍という選択もあるのかもしれないし、長い年月の後、他社の文庫に転出したという例もあるが)。もちろん、親本出版社としては、長く品切れになっていた本の新しい旅たち(文庫入り)は、うれしいことである。
2冊の春陽堂本、これはひとえにひとりの編集者の企画と熱意によって実現したものだろう。その圧巻は『明るい夜・かもめの日』の巻末の2段組で40頁におよぶ「著作年譜」だ。黒川さんも書いている。「担当編集者の堀郁夫さんが、ただならぬ労力を傾け、著者の過去50年近くにわたる著作年譜をまとめてくださった。」1973年4月(当時、12歳!)から2021年5月までの、あらゆる著作・インタビューなどを整理分類して並べた大労作だ。黒川さんの単行本の著作は太いゴシック体になっている。そのため膨大な文字の海の中から、容易に6冊の新宿書房刊の本も探すことができる。黒川さんにメールでこの本のお礼とともに、この著者年譜は大変な力作ですね、と書いたら、「年譜には、要所要所に新宿書房の本が出てきますね。50年間、同じようなことを書いているな、とも思いました。」との返事があった。

この「黒川創著作年譜」を見て、坪内祐三著『慶応三年生まれ七人の旋毛(つむじ)曲がり  漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』(講談社、2021)を思い出した。親本は2001年にマガジンハウスから刊行され、その後2011年に新潮文庫に入っている。今回はこの新潮文庫版を底本にした講談社文芸文庫版となった。
坪内祐三(1958〜2020)は博学の雑文評論家だ。昨年の1月13日に急逝している(本コラムの78と103を参照)。この講談社文芸文庫版の巻末に収められている「年譜 坪内祐三」(佐久間文子編)は2段組で33頁に及び、つづく「著書目録 坪内祐三」(作成・佐久間文子)も2段組で5頁もある。佐久間文子さんは坪内祐三のパートナーで、元朝日新聞記者であり、同紙書評欄の編集長も務めた人だ。この年譜はジャーナリスト魂を持つ妻が、雑の世界をこよなく愛した夫に捧げた贈り物なのだ。1996年の11月のところでは、「妻(神藏)美子が家を出て末井昭と暮らし始める」、また1998年10月のところには、「佐久間文子と暮らし始める」とさりげなく記すところもいい。未読だが、佐久間文子さんの新刊(2021年5月)に『ツボちゃんの話  夫・坪内祐三』(新潮社、2021年5月)がある。