(35)写真展「釜ヶ崎盆暮」から
[2019/8/31]

東京・新宿2丁目にある、フォトグラファーズ・ギャラリーに行ってきた。岸幸太の写真展だ。岸は2005年以来、東京の山谷、横浜の寿町、大阪・西成の釜ヶ崎を繰り返し、撮影してきた。
https://pg-web.net/exhibition/kamagasakibonkure/
今回は合計17点が大きなロール紙にインクジェットプリントされて、廊下を隔てたギャラリーの2つの会場に展示されている。特に説明がないが、人物4点が山谷で、あとの物、人物写真は釜ヶ崎だそうだ。
https://pg-web.net/members/kota-kishi/
https://pg-web.net/authors/kota-kishi/
岸の視線はあくまでも感情を抑えた、通行人であり観察者の目だ。それが、いまや高齢化と不況の大波をかぶる、釜ヶ崎や山谷の無縁無音の空気をリアルに伝えている。マフラーがおしゃれに見え、路上に投げ捨てられた花から匂いを感じる。(9月13日まで)

新宿書房が、『釜ヶ崎語彙集1972―1973』を出版したのは、2013年の夏だ。編著者の寺島珠雄(1925−99)さんらが40年前にまとめておいた、いわば「釜ヶ崎労働者事典」だ。長いあいだ眠っていたこの原稿を、編集・校正を担当した前田年昭さんがドヤ街の布団の中からたたき起こし、そして80人を超える刊行サポーターの方々の声援に背中を押されて、ようやく出版できたのだ。
1970年代当時、この釜ヶ崎の街は日雇労働者2万人の活気であふれていた。仕事・食住衣など243項目、800あまりの索引項目、そして、釜ヶ崎今昔絵地図や年表、写真によってよみがえったのが本書である。帯には「大阪釜ヶ崎オンリー・イエスタデー!」とある。写真の多くは中島敏さんが撮影したものである。組版・デザインは赤崎正一さん。
この『釜ヶ崎語彙集』が出た翌年の2014年の1月、前田年昭さんのガイドで、赤崎さんら仲間と釜ヶ崎ツアーをした。街はすっかり静なっていた。介護サービスの送迎車や人口透析に向かう人が乗り込む病院の車が行き交う。阿倍野にはあの超高層ビルの建設が進み、一部がすでに営業していた。釜ヶ崎の北にある新今宮駅の北側には大きな空き地が広がる。それから5年たった今、ここでは大きなホテルが建設中のようだ。

釜ヶ崎は高齢化と人口減少化が進む。それでも元気な子どもたちの声が聞こえてくる。放課後の子どもたちの溜まり場、「こどもの里」の記録映画『さとにきたらええんや』(16)を東中野ポレポレ坐で見たのは2016年の6月だ。この街で走り回る子どもの視線が面白いし、世話をするおばちゃんもすばらしい。

釜ヶ崎を撮ってきた写真家はたくさんいる。古くは井上清龍(1931〜88:1961年「人間百景—釜ヶ崎」で第5回日本写真批評家協会新人賞などを受賞)、そして、『釜ヶ崎語彙集』の中島敏さん。
中島さんは、釜ヶ崎の集大成写真集を2018年に、『定点観測・釜ヶ崎』(東方出版)として出している。
『釜ヶ崎』(写真・中牟田雅央、忘羊社、2017)。これは2001年から17年まで、この街を見つづけてきた記録だ。

『釜ヶ崎のススメ』(洛北出版、2011)は写真集ではないが多数の写真・地図などを掲載した、今の〈釜ヶ崎事典〉だ。

そして、一番新しい釜ヶ崎写真集がこれだろう。庄司丈太郎写真集『貧しかったが、燃えていた 昭和の子どもたち』(南々社、2019)だ。庄司は沖縄から1989年、西成に拠点を移し、自らも日雇労働をしながら写真を撮りつづけてきた。本書は『明日また 釜ヶ崎・沖縄』(1992、現代書館)以来の写真集。釜ヶ崎、沖縄、鳥取、島根、神戸、広島、寿町、山谷の60〜90年代の子どもたちの姿が記録されている。ブックデザインは鈴木一誌さん。

最後に『釜ヶ崎語彙集』からのプレゼント。特別付録「釜ヶ崎今昔對比繪地圖」(A3判カラー表裏:編集・前田年昭/繪地圖・井口美彩貴/装丁師・赤崎正一)を10名の方に差し上げます。ご希望の方は、小社までご連絡ください。