(5)いつしか新しい灯台に向かっていた外回り社長
[2019/1/18]

 決まって夕方にぶらっと事務所にやってくる。新宿書房が灯台でも港でもないだろうが、定期船のようにやってくる。ただただ笑顔を見せるだけで帰ることも多いが、たまにその日にあったこと、出会った人について、いま計画している画廊での催しなどを問わず語り出す、こちらがすこし興味をしめすといろいろ資料を取り出したりする。晩年(?)は大人のぬり絵の企画の話が多く、知り合いの出版社の名前を出して紹介したこともあった。*1

 この時間の語らいで、彼の実家がこの事務所のすぐ近くのマンションにあり、今は閉校になった九段の小学校の卒業生であること、奥さんとは同窓生であることも知る。たまにお茶を飲みお菓子を食べて帰ることもある。そして彼が私の出た中学校の隣にある都立武蔵丘高校出身で、お父さんが米軍基地出入りの八百屋さん、その縁でグアムの大学に留学したこともわかった。なぜか今、大久保さんを思い出そうとすると、どうしても夏の林間学校の生徒のようなTシャツ姿、麦わら帽子に捕虫網、そして足元は下駄ばきになってしまう。

 昼間、新宿1丁目にある島津デザイン事務所へ打ち合わせや出張校正に行っても、大久保さんに会う事はまずない。たぶんいつもの外回り社長なのだろう。しかし我が社への夕方の定期船での訪問では、「なにか仕事ないですか」「仕事をくださいよ」という声を彼から聞いた記憶がない。
 それでも彼は編集プロダクション、私は小さな出版社の関係だから、大久保さんの手を煩わして何冊かの本の装丁や本文の組版をお願いしたことがある。その中でも一番印象に残るのが、アニカ・トールの4部作「ステフィとネッリの物語」(2006〜2009)だ。*2
 全4巻の上製本を収める美しい箱も作ってくれた。イラストは中山成子さん。2010年の著者の来日を記念したスウェーデン大使館でのイラスト原画展示では、その設営のすべてをやってくれ、4枚の絵葉書セットのオマケまで用意してくれた。イベント後、訳者の菱木晃子さんを交えた横浜中華街での打ち上げもなつかしい。
 オークボさん。彼は尾崎放哉、あるいは小田原の海岸の物置小屋に24年も住んだ川崎長太郎だろうか、いやむしろ高木護だろう。*3
 先日、荻窪駅前の小公園で「似顔絵1枚500円」の小さな看板の前でギターを弾いている大久保さんに似た男を見た。

 彼はいま間違いなく、新しい灯台を目指しているにちがいない。外回り社長からアーティストへと舵を切っている、その予感を覚えた矢先の急逝だった。

 

 *1 『大人のぬり絵 昭和レトロの玉手箱』(大久保友博著、彩流社、2017年4月)
 *2 『海の島』(2006)、『睡蓮の池』(2008)、『海の深み』(2009)、『大海の光』(2009)
 *3 詩人。『放浪の唄』(1965)、『人夫考』(1979)、『野垂れ死考』(1983)など
 *4 本文は大久保友博(1957〜2017)の追悼集(未刊)に寄せて書いた