(72)ガリ版印刷の歴史・文化を刻む
[2020/5/22]

コラム70で、田村紀雄さんの新著『自前のメディアをもとめて——移動とコミュニケーションをめぐる思想史』(SURE、2020)を取り上げた。この本の中で1章をさいて紹介されている『ガリ版文化史——手づくりメディアの物語』(田村紀雄・志村章子編著、新宿書房、1985)は、『明治両毛の山鳴り——民衆言論の社会史』(百人社、発売=新宿書房、1981)の編集途中からから生まれた本である。同書の帯にあるように「日本で生まれたガリ版についての初めての文化史」である。幸い、たくさんの書評もいただき、わずかではあるがすぐに再版(2刷)もできた。

いま在庫があるのは3刷目の本。日付は2002年7月30日、事務所の住所も以前の四谷の三栄町。このときの重版にふれた昔のコラム(一つは私の、もう一つは志村章子さんの)が残っている。
志村章子さんのコラムは2002年9月13日の日付だ。(→こちら
実は二つのコラムが出た後に、大変なことが起きたのである。日本で生まれたガリ版(謄写版、孔版)印刷。これは1894年(明治27)に堀井新治郎が東京・神田鍛冶町に「謄写堂」を創業したことに始まる。謄写堂は1915年(大正4)に謄写版(鉄筆版)の基本特許権が切れ、後発メーカーが大量に参入してきたため、商号を「堀井謄写堂本店」と変更した。その後、堀井謄写堂株式会社となり、1985年にホリイ株式会社となった。
私がコラムに書いたように、この2002年の春だったか、ホリイの総務の方から連絡をいただいて、創業地の神田鍛冶町にそのままある本社にうかがい、『ガリ版文化史』300部の注文をいただいた。初版からすでに17年が過ぎ、当時は「品切れ在庫なし、重版未定」の状態だった。7月に入り、特製箱入りの注文300部を納品し、後日ホリイにうかがって、集金もすんでいた。ところが、ホリイは9月25日に突然倒産したのだ。8月にあったという、その催しとはいったい何だったのだろうか。ホリイ(謄写堂、堀井謄写堂)は創業108年目にしての倒産だった。

『ガリ版文化史』の刊行のあと、志村さんはガリ版史研究家として大いに活躍される。ガリ版印刷は1960年あたりを境に徐々に下降線をたどる。1987年(昭和62)、堀井謄写堂は謄写版の生産を中止した。さらに1989年(平成1)、四国謄写堂は原紙の生産を中止している。この間、戦後に謄写版印刷業として創業した理想科学工業が、1977年に「プリントゴッコ」(感熱式多色簡易印刷器)を発売した。年賀状印刷のため銀座伊東屋の前にこれを求めて多くの人々が並んだのも、毎年歳末の恒例の風景となった。しかし、このプリントゴッコも1987年をピークに、以後はパソコンやプリンターの普及に押され、2008年には販売が終了となった。

1992年 志村章子著『ガリ版文化を歩く——謄写版の百年』(新宿書房)を刊行。志村さんのガリ版研究は、「宮沢賢治とガリ版」、北方教育、戦後労働運動、神田の謄写版店、謄写版原紙の歴史、鉄筆メーカーの研究、さらに「ガリ版切手」、ドイツ兵の坂東俘虜収容所の「ガリ版印刷所」、東南アジアや中国でいまなお活躍するガリ版事情、と広がっていく。本書は各地の資料を発掘してあらたに明らかになった、「語りつがれるガリ版文化」をまとめたルポルタージュである。
書名タイトル文字と奥付文字と装丁は、同書に登場する山形在住のカリグラファー・冬澤未都彦さんの手になるものだ。各文末に参考文献がつき、巻末には「ガリ版印刷文化関係年表」「ガリ版用語集」もついてさらに充実してきた。

1994年 「ガリ版の100年——等身大のコミュニケーションツール」(展示会とシンポジウム開催 6月9日〜12日 主催・東京経済大学)の企画に参加。謄写堂創業100年を記念したイベントだ。
1994年 9月、謄写印刷愛好者の会「ガリ版(器材・情報)ネットワーク」を発足させる。(「ガリ版ネットワーク」についてふれたコラム
1998年 堀井新治郎旧宅(滋賀県東近江市蒲生岡本町)に「ガリ版伝承館」が開設される。
2008年 「新ガリ版ネットワーク」の活動がスタート。
2012年 志村章子著『ガリ版ものがたり』(大修館)を刊行。本書は「志村ガリ版研究」の集大成である。ガリ版とそれにまつわる人びとの物語だ。

「忘れられた“もう一つの”謄写版」は堀井の謄写版から遅れること3年、山内不二門が始めた「山内式毛筆謄写版」についての貴重な記録である。
志村章子さんの30年にわたるガリ版印刷・ガリ版文化研究によって、ガリ版(謄写版、孔版)の100年を超える歩みがほぼ明らかになってきた。ガリ版は戦争(日清、日露、日中、太平洋)や関東大震災の時期には印刷業の代替として、移動可能で簡単な軽便印刷器として大いに使われ、また同人誌や組合運動、教育運動では手作りメディアのツールとして大活躍した。また芸術・芸能の世界でも2000年初めまで、芝居の台本、映画のシナリオやテレビ・ラジオの台本作成には、ガリ版印刷が大いに使われていたのだ。

『ガリ版文化史』からスピンアウトして出版された本が2冊ある。『国会図書館月報』の連載コラム にならえば「本屋にない本」である。『ガリ版文化史』には、伊藤義孝「銀座伊東屋と反乱軍兵士」が、『ガリ版文化を歩く』には「百歳、伊藤義孝さんの謄写版体験」が、それぞれ収録されている。伊東屋も昔は謄写版を売っていた。文房具関係の業界誌の編集者であった志村さんは、伊東屋の伊藤義孝会長はじめ、伊東屋のみなさんとたいへん親しかった。そんな縁で2冊の社史の製作・編集の仕事をいただくことになった。

一業専念 伊東屋80年史』(『伊東屋80年史』編集員会編、伊東屋、1985年4月)これは1984年6月16日に創業80周年を迎えた記念に編まれたもの。非売品。執筆・編集=志村章子、製作・編集=村山恒夫(新宿書房)、造本=中垣信夫。

銀座伊東屋百年史』(『銀座伊東屋百年史』編集委員会編、伊東屋、2004)非売品。執筆・編集=志村章子、製作・編集=村山恒夫(新宿書房)、造本=中垣信夫+豊田あいか[中垣デザイン事務所]。
つまり、同じメンバーが20年後に再結集して『銀座伊東屋百年史』の製作にあたったわけだ。

この『銀座伊東屋百年史』について、2004年12月2005年1月のコラムで書いている。
体裁はA5判、箱入り。詳しい体裁と目次については上記のコラムを参照していただくとして、この中垣信夫さん渾身の造本・デザインをみてほしい。箱は印籠型(いんろうがた)といい、斜めに切った上蓋を取ると書籍が出てくる。製本は松岳社青木製本所(現・松岳社)、製函は箱守紙器。
この『銀座伊東屋百年史』は社史として高い評価を得た。「渋沢社史データベース」や、神奈川県立川崎図書館「すごい社史」(021)でも紹介されている。
1月に急死した評論家・エッセイストの坪内祐三(1958〜2020)。雑誌『本の雑誌』339号(2011年9月号)の特集は「社史は面白い!」だった。ここで坪内は「平成の社史ベスト1は『銀座伊東屋百年史』です」という文を寄稿している。

最後に一つのサイトを紹介しよう。「山形謄写印刷資料館」(山形ガリ版資料館)というサイトだ。村山俊太郎、国分一太郎、無着成恭らが作り上げた山形の教育文化遺産だ。