(92)TOKYO NOBODY 東京無人
[2020/10/10]

9月21日のことだったろうか。編集部の同僚・加納千砂子(かのう・ちさこ)さんが、「来週の『情熱大陸』に中野さんが出ますよ」という。中野さんとは、写真家の中野正貴(なかの・まさたか 1955〜)さんのことである。中野さんは、加納さんの弟さん(グラフィック・デザイナー)と美術大学予備校からの40年来の親しい友人なのだ。加納家に出入りする中野さんは、姉の千砂子さんとも長い付き合いだ。そういえば、8月の『朝日新聞』の連載「人と間 コロナ禍の距離」にも中野さんの写真が使われていた。
なんだか中野ブームの到来なのか?いや、その波は2019年の秋からすでに始まっていたのだ。
さて、放送当日である。『半沢直樹』が終わり、しばらくボーとしているうちに、同じTBSの『情熱大陸』(MBS毎日放送制作)が始まった。
中野正貴さんは30年にわたって「東京」を撮り続けてきた。写真家・中野正貴の名前を一躍世の中に知らしめたものは、写真集『TOKYO NOBODY』だ。中野は実に10年という歳月をかけて、誰もいない東京、「無人の東京」の一瞬を1冊の本にまとめた。

中野の写真集を刊行順に並べてみよう。
●『TOKYO NOBODY』(2000.8 リトルモア)2001年、日本写真家協会賞新人賞を受賞。6万部をこえるベストセラーとなる
●『キューバ 昼と夜』(2000.9 求龍堂)
●『SHADOWS』 (2002.8 リトルモア)
●『東京窓景』(2004.11 河出書房新社)*第30回(2004年度)木村伊兵衛賞受賞
●『TOKYO BLACKOUT』(2005.11 ぴあ)
●『MY LOST AMERICA』(2007.11 リトルモア)*2008年、さがみはら写真集受賞
●『TOKYO FLOAT』(2008.11 河出書房新社)
●『亜州狂詩曲 アジアンラプソディ』(2013.11 クレヴィス)
●『新宿ニャン活物語』(2015.5 文=草野正 日刊スポーツ出版社)
●『TOKYO SNAP SHOTS』(2017.6 IBCパブリッシング)
●『TOKYO』(2019.9 CCCアートラボ)
●『東京』(2019.11 クレヴィス)

昨年、立て続けに2冊の写真集が出ている。これは当然のことではあるが、2020年7月22日から予定されていた「2020年東京オリンピック」を意識した、「東京」の写真集の刊行であることは間違いない。しかも集大成として、年末から東京都写真美術館で大規模な[中野正貴写真展「東京」 (2019.11.23〜2020.1.26)]が開催された。
クレヴィスから刊行された写真集『東京』は、この写真展で図録としても販売された。会期中には中野とリリー・フランキーとの対談もあった。『東京タワー オカンとボクと時々、オトン』(2005年・扶桑社、2010年・新潮文庫)の著者であるリリー・フランキーは中野の対談相手として実に素敵な選択だ。
写真集『東京』は7つのテーマに分かれている。今まで中野が撮ってきた「東京三部作」といわれる「TOKYO NOBODY」「東京窓景」「TOKYO FLOAT」などの代表作のほか、新作、未発表の写真も含め、合計100点の写真から構成されている(造本設計=土居裕彰)。
目次のタイトルは次のようになっている。
東京主塔 TOKYO TOWER
東京無人 TOKYO NOBODY
東京切片 TOKYO ELEMENTS
東京窓景 TOKYO WINDOWS
東京刹瞬 TOKYO SNAPS & COFUSION
東京水景 TOKYO FLOAT
東京再甦TOKYO METABOLISM

やはり、どうしても最初に目がいくのは、「東京無人 TOKYO NOBODY」 の章だ。中野の最初の写真集『TOKYO NOBODY』(2000)の世界だ。「TOKYO NOBODY」は今も中野が撮り続けているテーマの一つだ。ここには写真集以後の2016年までに撮影した写真が5枚も入っている。ここに撮られているのは、大きな通りの東京の一部。無人になる瞬間をひたすら待つ。中野が待っているのは、生きた都市が眠る瞬間、あるいは再び起き上がるまでの一瞬だ。もちろん、写真には一切の手が入っていない。中野正貴の「無人の東京」が切り撮った時間はいつ何時なのだろうか?あらためて、写真をよく見る。早朝か。正月元旦か。確かに、街路灯から日章旗が下がり、門松が見える。垂れ幕に「元旦」に字がある。これも正月の新宿駅南東口の階段、そこの時計は「7時23分」を示している。こんな時間に無人とは。

中野はある対談でこんなことを言っている。
「当時もよく言っていたんだけど,無人の街を撮っているからって,人間が嫌いなわけじゃないんだよね(笑)。普段の仕事では人間ばかり撮っているし,すごく人間に興味があるので,『TOKYO NOBODY』の写真を撮っていたときも,無人になる瞬間を待ちながら,道路やビルや橋を作った人のことばかりを考えているわけ。それを作った人や,利用している人の匂いとか想いみたいなものが全部染みついているから,無人の風景でも冷たい空間には見えないんだ。

そうなんだ。この中野の「無人の東京」の写真には、たったいままであった温もりや匂いや音がまだ微かに残っている。東京は眠らない、不夜城だと言われた。いっぽうで都市の空洞化、都心の夜間人口の減少も言われる。しかし超高層のビルの裏には商店街や飲食店もあれば住居もある。新聞配達や牛乳配達の人も現れる。24時間営業のコンビニもあり、ホームレスも眠る。夜間に始まる道路工事やガス・水道工事。野良猫が通りを横断し、ネズミが走る。こんな生きている東京の無人の瞬間を、中野はどうやって撮ってきたのだろうか。
フクシマ原発事故により生まれたゴーストタウンや新型コロナでロックダウンした東京の街の写真と、中野の「無人の東京」の写真はまるで違うのだ。ゴーストタウンやロックダウンした東京は、いつでも誰でもが写真に撮ることができるのだ。
中野正貴は今日も明日も重いカメラを担いで歩く。家族と離れ、都心の古いマンションの一室を事務所・寝床にしている。自分の好きな時間に写真を撮れることを妻と二人の娘に感謝しながら、また「東京」 を探しに外に出かけて行く。

中野正貴の無人の東京の写真をみて、三木卓(みき・たく 1935〜)の処女詩集を思い出した。荻窪の古本屋にたまたまあったので買ってみる。1540円。 『東京午前三時 三木卓詩集 1958〜1966』(1966、思潮社)四六判フランス装134頁で定価600円。表題の「東京午前三時」の詩は、51頁から88頁までを占める長編詩だ。装幀が面白い。当時、電通のデザイナーをしていた大野健一の手になるもので、水平線に境に過去と現在の時間のように見え、空の文字が水面に映っているようだ。そして文字にも濃淡をつけて時間の動きをつけている。このデザイン、中野写真に通じていないだろうか。

「ふと気がつくと
脅えたように見まわしている そんな
夜明けまえのひき潮の時刻」
で始まるこの詩。そして、・・・

「牛乳配達夫が 壜の触れあう音を
ひびかせながら通りすぎていく時刻
つかれた両足は天井からつって
目をあけたまま まどろめ
さあ
まどろめ・・・
ほんのしばらく。
――「東京午前三時」より

三木卓はフランク永井の歌謡曲『東京午前三時』(1957、作詞:佐伯孝夫/作曲:吉田正)を聞いていたのだろうか?この歌は同じ年の『有楽町で逢いましょう』の大ヒットにつられ、ヒットして日活で映画化もされている。映画『東京午前三時』(1958、小杉勇監督)だ。
フランク永井は歌う。
「・・・あぁ あぁ 東京の 夜の名残りの午前三時よ」