(47)九段下・耳袋 其のご
[2019/11/23]

NHKEテレ『こころの時代』「山の人生 山の文学」

2019年1月27日、2月2日に放送された宇江敏勝さんの「山の人生 山の文学」が、10月13日、19日に再放送され、ふたたび大反響を呼んだ。1月、2月の放送については当コラム(10)で紹介している。今回の再放送については直前の10月初めに知らされた。たまたま宇江さんの民俗伝奇小説集の新刊、第9巻となる『牛鬼の滝』が刊行される時期(10月21日配本)と重なり、私たちにとってはほんとうにうれしい再放送であった。

『こころの時代』「山の人生 山の文学」のなかで宇江さんは、ノンフィクションから小説への自らの道のりを語る。

「炭焼きとか林業の現場で働いた自分の現場を、体験として書く、と同時に、自分の体験しない点については、年寄りからもっと古い時代の話を聞いて、それを記録しノートに取っていたわけですね。それを本にもしたわけやけども、小説を書くようになると、そういうふうにかつて聞いて記録したことが、まあ小説にそのまま使えるわけですね。それを今まではただ事実として、ありのままに書いていたのを、今度は個性のある人物を登場させて、あるいは周りの人間も創作する、あるいは恋愛も書くと。そういうふうにして登場人物を動かして、なおかつその事実に基づいて書く、それが楽しくなってきた。爺さん婆さん、それから父親母親、それと自分と、だいたい明治以降の世の中というか、世の中の出来事とか様子というのは、自分と血のつながりがあるんですよ。そういう感じで時代をいちおう明治から大正、昭和というふうに考えて書いてきたんです。僕も実際山の伐採も、植林も経験してますから、汗を流している彼らのことがわかるんですね。」

そして最後のシーンで宇江さんはこう宣言する。

「あと2年ほどして(注=番組の収録は2018年秋)、この10巻(民俗伝奇小説集)を書きあげて、まだ気力と体力が残っていればさらに書きます、今度は炭焼きの話を。僕は先祖代々炭焼きですから、先祖から今に至る炭焼きの暮らしを、社会の移り変わりと絡ませて、長編小説を書きたいと思うんですよ、大長編小説。まあ、ホラを吹いているんですけどね、はい。炭焼きの話を書きます。誰も書いていない。それは紀州熊野の山の歴史にもなるし。」

来年2020年には民俗伝奇小説集の最終である第10巻、そして、2021年にはなんと大長編小説が構想されている。さあ、われわれ伴走者も落後しないように、頑張ってついていかないと。

最後にドイツ文学者の池内紀さんのこと。山里の温泉をこよなく愛した池内さんは8月30日に亡くなり、宇江さんの新刊を読んでいただくことはかなわなかった。以前に池内さんは、『サンデー毎日』2016年10月9日号のコラム「今こそ、読みたい」で『流れ施餓鬼』を書評してくださった。ご冥福を祈る。

街頭紙芝居資料から『紙芝居百科』

大道芸の上島敏昭さんの『大道芸アジア月報』2019年11月号が送られてきた。
そのなかで、上島さんの街頭紙芝居の記事が面白い。横浜市歴史資料館では定期的に紙芝居に実演しているという。同館では2010年に「大紙芝居展――よみがえる昭和街頭文化」を開催したそうだ。図録もある。

同記事では、日本各地の街頭紙芝居コレクションの施設が紹介されている。紙芝居といえば、私の頭の中では、加太こうじさんの『紙芝居昭和史』(立風書房、1971年、その後、旺文社文庫、岩波現代文庫)で停まっているので、いまやこの街頭紙芝居が文化資源として各地に保存されていることに、ある感慨を覚える。

近くの図書館をのぞいていたら、『紙芝居百科』(企画製作=紙芝居文化の会、童心社、2017年)という本が目に入ってきた。日本独自の文化の紙芝居(Kamishibai)はいまや、街頭紙芝居から幼稚園紙芝居、そして出版紙芝居と引き継がれ、いまや世界の46カ国の国と地域にひろまっているという。執筆者のなかに、詩人のアーサー・ビナード、紙芝居・絵本作家の長野ヒデ子の名前がある。

同書の「紙芝居の歴史」「歴史年表」がなかなか面白い。

・1930年、日本人の手により、手描きの街頭紙芝居として、紙芝居が誕生。街頭紙芝居は、駄菓子を売るための人集めの道具だった。35年の東京には約2000人の街頭紙芝居屋さんがいた。

・1940年代には戦争宣伝の国策紙芝居がさかんとなる。

・敗戦後、焼け跡から街頭紙芝居は復活。1950年頃、街頭紙芝居屋さんは全国で5万人もいたという。

・戦後の文化運動のなかで教育紙芝居出版が始まる。

・1960年前後、テレビの出現と普及で、街頭紙芝居が衰退。

この『紙芝居百科』の版元の童心社は児童書・絵本の出版社として知られているが、実は同社は1957年に紙芝居の出版社として創立され、出版紙芝居作品の流れをつくってきた。街頭紙芝居が衰退していく中で、公共図書館での出版紙芝居の貸し出しがこの頃から始まったという。この「紙芝居文化の会」は2001年に誕生、2019年10月現在、日本と海外50カ国で、958人の会員がいるという。

紙芝居は街頭紙芝居、国策紙芝居、教育紙芝居と変遷してきたが、では紙芝居の絵はどのように描かれてきたのだろうか?最初は手描きだった、それが印刷へ、と年表には記されている。
ある人に、こんな紙芝居のサイトがあるよと教えられた。それは、名古屋柳城短期大学幼児教育研究所の「紙芝居ネット」、そのなかの「紙芝居の歴史」だ。

この年表の1934年(昭和9)に、「東大セツルメントの校外教育に紙芝居を取入れた松永健哉が謄写版印刷紙芝居『人生案内』をつくる。」とある。謄写版(ガリ版、孔版)刷りの紙芝居もあったのだ。この謄写版刷りの紙芝居は戦争中に大量に作られた。

新宿書房ではガリ版文化史の本(『ガリ版文化史』『ガリ版文化を歩く』(後者は現在品切))を出しているが、この「ガリ版刷り紙芝居」は残念ながら取り上げていなかった。