(34)ウッドストック50周年
[2019/8/17]

今から50年前のまさに今日、1969年8月15日。この日から3日間、ニューヨーク市から北に車で1時間半の、ニューヨーク州サリバン郡の南部の小さな町ベセルにある農場に、50万人(40万人ともいわれる)を超える若者が全米から集まった。
「ウッドストック・ミュージック&アート・フェア」だ。後年、「ウッドストック」あるいは「ウッドストック・フェスティバル」と呼ばれる音楽フェスだ。交通渋滞、食料不足、8月なのにこの寒さ!雨具の用意も着替えも用意していない、しかもトイレなどの基本設備の不足、そして数週間前から続いてきた断続的な雨で軟弱になった農場の地面、さらに会期中にあった豪雨により観客はみな泥だらけになった。しかし、この大混乱の3日間で死んだ人間は、わずか2人だけだった。

翌年の1970年3月には記録映画『ウッドストック 愛と平和と音楽の三日間』、184分、監督=マイケル・ウォドレー、編集=マーティン・スコセッシ)が公開された(日本では同年7月)。

それから20年後の1989年。ひとりのジャーナリストがこのウッドストックの参加した人々を相手に丹念にインタビューした本を出版した。それが、『ウッドストック 1969年・夏の真実』(ジョエル・マコーワー著、寺地五一訳、新宿書房)だ。
新宿書房が本書を翻訳出版したのは、1991年10月だ。A5判上製角背の542ページの大著だ。原稿枚数は1500枚(400字詰め)。原書タイトルはJoel Makower, WOODSTOCK: The Oral History, Tilden Press Inc.,1989。これの全訳である。
〈オーラル・ヒストリー〉という手法を用いてウッドストックの始まりから終わりまでの物語を描こうという試みだ。
巻末に著者にインタビューを受けた人びとをまとめた〈WHO’S WHO〉(人名録)があり、ここにはおよそ130人のプロフィールが収録されている。
著者マコーワーは、この130人に対して長時間にわたってインタビューしたものを、細分化して4章に分けて、全部で18のチャプターに再構成し、この3日間だけでなくウッドストックの誕生と歴史(記憶)始まりを紡いでいる。

「1969年8月に開かれたウッドストック・ミュージック&アート・フェアの背後には無数の物語が――おそらく五十万にものぼる数の物語が――存在している。そのなかで最も本質的な物語は、二十年経過したいま、伝説のように語りつがれている。五十万人余りのエネルギッシュな60年代若者がニューヨーク北部の静かなコミュニティに押し寄せ、肉体と知性と精神と才能がかつて例のない、類いまれな形で終結したのだと。」
「……(本書は)こうした物語にまつわる、詳細な証言であり、〈ウッドストック〉を現出させた人びと、プロデューサー、出演者、医者、警官、地元の人びと、店の主人、電気工、弁護士、ジャーナリスト、映画製作者、そして自らの意思あるいは成り行きであのイベントの一部となったさまざまな一般の人びとを対象に、1988年に行なった対面インタビューからの抜粋である。これらの人びとの話を集大成した物語はいわばひとつの対話のような形を成していて、まるで全員が超自然的な力で大きな居間に集められ、一人ひとりが自分の物語を語るにふさわしい時機を選んで語っているかのようだ。」
――『ウッドストック 1969年・夏の真実』「はじめに」より

「ウッドストック・ミュージック&アート・フェア」はジョン・ロバーツ、ジョエル・ローゼンマン、マイケル・ラング、アーティ・コーンフェルドの4人の若者がプロデュースした。みな20代の若者だ。当初、ニューヨーク州のアルスター郡にあるウッドストックという町で開催する予定だった。しかし町当局が開催に難色を示したことから、急遽会場を変更した。しかし、すでに4人は「ウッドストック・ベンチャーズ」という会社を立ちあげていたため、「ウッドストック」の名前は残し、同じニューヨーク州のサリバン郡ベセル町ホワイトレイクにあったマックス・ヤスガ―の農場で開催することになった。

本書の「解説」(大鷹俊一「ウッドストック―その時代とアーティストたち」)からウッドストックの3日間の出演者32人(組)全員の登場経過がわかる。
フェスティバル初日は8月15日(金曜日)、午後4時の開始は予定より1時間ほど遅れてスタートした。最初の出演はリッチ―・ヘヴンスから始まり、この日の大トリの8番目に登場したのはジョーン・バエズ。時刻はすでに翌日の深夜の午前1時を回り、終わったのは2時だった。
翌日16日(土曜日)は、昼の12時15分から始まる。この日の大トリは13番目のジェファーソン・エアプレイン、時間は翌日の朝8時、終わったのは9時40分だった。
そして最終日は17日(日曜日)午後2時にジョー・コッカ―から始まる。そしてこのイベントの最後の幕を下ろしたのは、この日の大トリ、11番目の出演者、ジミ・ヘンドリックスだ。彼がステージに現われたのは、翌日18日(月曜日)朝の9時だった。多くの観客は疲れ果ててすでに家路につき始めていた。そして、ついに11時10分、ジミの演奏は終わった。

先日、『文藝別冊 ウッドストック1969 ロックフェスの始まり、熱狂の終わり、50年目の真実』という〈KAWADEムック〉が出版された。同書の中で大鷹俊一が「[仮想ドキュメント]ウッドストックの三日間」(p43~p111)という、『ウッドストック 1969年・夏の真実』の「解説」のスタイルを踏襲し、これを大幅にふくらました60ページを超えるドキュメントを記している。

「こうして生まれた物語は、当然のことながら、ある特定の音楽フェスティバルについての物語であるが、同時にそれを大きく超えている。多様な人びとにインタビューした結果から引き出しうる一般的な結論があるとすれば、それは第一に、ウッドストックがスター総出演だったにもかかわらず、ステージの上にいたプロデューサーから聴衆に至るまで、音楽のことを記憶にとどめている人はほとんどいないこと、第二に、ほとんどすべての人が、軽重の違いがあっても、何らかの形でフェスティバルを起点にして人生を考えているということである。」
――『ウッドストック 1969年・夏の真実』「はじめに」より

小社の、『ウッドストック 1969年・夏の真実』は残念ながら現在品切れで在庫なし。この祭典の50周年を祝うことはできなかった。

またアメリカでは2019年8月に「ウッドストック・ミュージック&アート・フェア」の50周年を祝って計画された記念イベントの「ウッドストック50」は二転三転したあげく、結局、中止となった。

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/30747
https://rockinon.com/blog/nakamura/188384