(22)みたびサーカス博の丸木美術館へ
[2019/5/24]

5月18日のお昼すぎ、東武東上線東松山駅改札口に知り合いを誘って集合。7人が2台のタクシーに相乗して「原爆の図 丸木美術館」へ向かう。眼下の都幾川の川原を覆う緑が前回よりもさらに美しくなっている。ダイコンの花だろうか、紫色の海が広がっている。本日は開催中の企画展「サーカス博覧会」の2回目で最後のイベントデーだ。
奥の「サーカス博覧会」の会場に入ると、すでに上島敏昭さんの口上が始まっている。本日のイベントの演目はふたつ。第一部は上島敏昭(浅草雑芸団代表)さんによる大道芸、第二部は写真家・圏外編集者・ジャーナリストの都築響一さんのギャラリートークだ。
2階そして1階手前の部屋には《原爆の図》シリーズ作品が展示されている。奥のスペースが「サーカス博覧会」の会場だ。入り口にはB4二つ折り4pの「出品リスト」が置いてある。第1幕から第3幕までの92点、第4幕(これだけは2階)の絵本原画35点、合計127点である。

観客は70人を超えていた。この日の詳しい経過は展覧会終了後、記録集が出るという事なので、ここでは省略する。
主な来客者を紹介すると、まず鵜飼正樹さん。展示では鵜飼さんの所蔵品が最も多い。この日、関西から東松山に出てこられた。鵜飼さんは大学教授だが、見世物学会の会長でもある。新宿書房からは、執念の著作『見世物稼業―安田里美一代記』(2000)を出版。そうなんです、今回の安田興行社の絵看板は鵜飼さんの所蔵品なのである。そして編著(鵜飼正樹+北村皆雄+上島敏昭)には『見世物小屋の文化誌』(1999)がある。同書には、カルロス山崎の「見世物絵看板師列伝」が収録されている。山崎さんは見世物文化研究家で、見世物小屋の絵看板写真を集めた『オール見世物』(1997、珍奇世界社)を出版している。カルロスさんが亡くなった後に、コレクションの一部を都築さんが引き取られた。今回のサーカス博覧会にはそのいくつかが展示されている。鵜飼正樹さんは都築さんののトークの後に挨拶をされる。

ポレポレタイムス社の社主で、写真家・本橋成一さんは、弟子の写真家の小原佐和子さんと一緒に来場。小原さんは今回の展覧会の第3幕「本橋成一が記録した韓国のサーカス」のプリントを担当している。サーカス博覧会のきっかけになった「本橋成一資料コレクション」については、見世物学会・学会誌『見世物7号』(2018、新宿書房)をご参照ください。画家で見世物学会事務局員の後藤秀聖さんが、昨年本橋さんから「サーカス資料」を譲り受けたことから、今回の展覧会構想が動き始めた。見世物学会からは、後藤さんの他に、飴細工師の坂入尚文さん(総務局長)、美術家の真島直子さん(事務局員)が出席。
洋画家・澤田正太郎のサーカス風景作品を提供してくださった沢田滋野さんのお顔も見える。澤田正太郎は新国劇の創立者、澤田正二郎(澤正=さわしょう、1882〜1929)の長男。

旧知の編集・組版の前田年昭さんが、詩人の筏丸けいこさんを連れて来てくれた。筏丸さんはフラミンゴ社という個人出版社をお持ちで、『人間ポンプ ひょいとでてきたカワリダマ 園部志郎の俺の場合は内蔵だから』(2017)という本を出版されている。もうひとりの人間ポンプ・園部志郎とその芸に浅草の路上で偶然出会ってから、8年間にわたりインタビューを続けてきた。同書はそれをまとめたもの。フラミンゴ社は東松山近くの坂戸にあるという。実は鵜飼さんの『見世物稼業』にも「ライバル意識 園部志郎」という文章(p308〜309)がある。そして、この安田と園部、同じ年(1923)に生まれ、同じ年(1995)に亡くなっている。

都築さんのトークでのネタをふたつ紹介しよう。ひとつは、都築さんが松崎二郎・覚兄弟から引き取った「性器蝋人形」のことだ。この松崎二郎さんの「秘密の蝋人形館」にくっついて3年間あまり「見世物小屋の旅」をした人がいる。彼は東京芸大の彫刻科を中退、いまは飴細工師として全国の高市(たかまち=祭礼)を廻っている。前述の坂入尚文(さかいり・ひさふみ)さんだ。「秘密の蝋人形館」の旅を、坂入さんはご自分の本『間道(かんどう) 見世物とテキヤの領域』(2006、新宿書房)の中で、見事に活写している。名著である。ぜひお読みいただきたい。
もうひとつ、文春の雑誌『TITLE』(創刊2000年5月〜終刊2008年4月)の連載で、都築さんがアメリカ50州の秘宝館を取材した話だ。都築さんはフロリダにある「リングリング美術館」も訪れている。トークの司会「原爆の図 丸木美術館」の学芸員の岡村幸宣さんが驚いたように、なんと《原爆の図》もそのリングリング美術館に展示されたことがあると言う。1970年から71年にかけて、《原爆の図》の最初のアメリカ巡回展が行われているのだ(岡村著『《原爆の図》全国巡回 占領下、100万人が観た!』(p219〜210、2015、新宿書房)。当時、アメリカ留学帰りの若き政治学者・袖井(そでい)林二郎とアメリカのクエーカー教徒たちの協力で、ニューヨークのニュースクール・アートセンターを皮切りに全米8ヶ所(最後のカンザス州ウィチタ美術館は場内改装という理由で中止)で巡回展が行われている。しかし、なぜこのサーカスの殿堂で《原爆の図》展が開かれたのかは、岡村さんもよくわからないという。
なお、リングリング美術館の母体となるサーカス会社、「リングリング・ブラザース・アンド・バーナム・ベイリー・カンパニー」は、たび重なる動物愛護団体からの動物の芸についての批判を受け。ゾウのショーを中止した後、経営が急速に悪化。ついに2017年5月の公演を最後にサーカス興行を中止し、約150年の歴史の幕は降ろされた。

トークも終わり、何人かで森林公園駅前の「やきとり屋」(焼き鳥屋ではない)に行った。東松山名物の「やきとり」は豚のカシラ肉を炭火でしっかり焼いたものに、辛味に効いた「みそだれ」をつける。なんでも日本三大やきとり(東松山、室蘭、今治)のひとつだそうだ。市内には100軒を超えるやきとり屋さんがあるとか。太平洋戦争中末期に吉見百穴の地下に軍需工場建設の突貫工事が行われ、3000人を超える朝鮮人労働者が日本各地から集められた。その彼らの置き土産だと言う。