(109)街を歩く 新村、千歳・・・

[2021/2/11]

宇江敏勝さんも仲間である文芸同人誌『VIKING』、この最新号842号が送られてきた。この目次を見て、驚き、そしてうれしかったことがあった。なんと、日高由仁(ひだか・ゆに)さんの長編小説「川辺の家へ」(1)が掲載されているではないか。
『VIKING』事務局のデータベースによれば、日高さんの前回の寄稿は、1992年8月の500号だから、実に29年ぶりの登場になる。まさに「日高さん復活!」(842号「編集後記・次号予告」より)だ。長編小説「川辺の家へ」は全358枚もあるそうで、今回はそのうちの75枚だそうだ(842号、同前)。
新宿書房が日高由仁さんの著書、『新村(シンチョン)スケッチブック—ソウルの学生街から』を出版したのは、1989年3月のことだ。これは、シリーズ《双書・アジアの村から町から》の第8冊目(造本=中垣信夫+島田隆)となる。当時は珍しかった女性の日韓同時通訳者の著者が、1981年春から87年秋までの6年半、ソウルの学生街「新村(シンチョン)」で暮らした留学記である。地下鉄の「新村駅」から延世大学までのおよそ500メートルの間に密集する安い飲み屋、市場、銭湯、下宿屋……。ここを舞台に繰り広げられた密な日常生活の記録だ。日高さんの新村滞在が始まる1981年の前年の5月にはあの光州事件が起き、同年9月には全斗煥が大統領に就任している。また新村を離れた87年の翌年の秋には、ソウルオリンピックが開催されている。同書の12章のうちの9章までは『VIKING』の435号(1987年3月)から448号(1988年4月)にかけて掲載された。その出版から32年、ほんとうにご無沙汰してしまった。日高さんのお名前が、『VIKING』の同人名簿から維持会員名簿に移っていたことは知っていたが、日韓同時通訳者として今も元気に活躍されていると思っていた。


本表紙と本扉から

本作品「川辺の家へ」は、スミコという主人公の独白から始まる。前に住んでいた家で雪搔きをしていた際に転んで手首を折り、腰も痛めて病院に入院。そこを退院して市営団地に移る。そして、いまホームに入所するために荷物を片付け、担当の職員2人と団地の部屋でお迎えの車を待っている。季節は花見も近い、春本番だ。
そして、舞台は一転、スミコの少女時代に切り替わる。場所は千歳(ちとせ)、ここには駐留米軍の「千歳キャンプ」があった。父と兄のまあちゃんの3人が家族だ。朝鮮戦争は前年(1950年6月)から始まっていた。小学校2年生の時、米軍キャンプは一気に膨れ上がる。「オクラホマ景気」と呼ばれ、滑走路拡張工事のために集まった労務者の飯場ができ、ツレコミや酒場街は瞬く間に、基地近くから町の中心に向かってどんどん広がっていく。朝鮮半島に出動した米軍部隊を補充するため、オクラホマ州で急遽15週間の訓練を受けた若者たち1万2000名が、「オクラホマ州兵第45師団」としてこの千歳キャンプにやってきた。千歳の町の人口は当時2万人だったという。父親は小学校4年生になるまでこの米軍キャンプで働いていた。連載の第一回目は、この喧騒な米軍キャンプとなった時代の真っ只中で終わる。さて、次回はどんな展開か、楽しみである。

長見義三(おさみ・ぎぞう 1908〜94) という作家がいる。昭和10年代、『早稲田文学』の旗手として活躍し、第一創作集『姫鱒』(砂子屋書房、1939)で第9回芥川賞(昭和14年上半期)の候補となった。新宿書房では、長見さんの著書を2冊出版している。息子さんの長見有方(ありかた)さんとの縁である。
その2冊は『色丹島記』(1998)、『水仙』(1999)で、装丁はいずれも田村義也だ。
長見さんは戦後、文学を離れる。『水仙』に収録されている横川敏晃の解説によると、長見さんと米軍基地とのかかわりは、次にようになる。

1945年10月 米軍千歳基地「キャンプ千歳」の通訳に 37歳
1949年11月 退職 41歳
1952年 復職 44歳
1971年 退職 63歳

長見さんは敗戦後早くから「キャンプ千歳」の通訳として働いていたのだ。日高さん(スミコ)の父親とおなじ、千歳の米軍キャンプで働いていたわけだ。長見さんが退職、復職を繰り返したのは、文学への夢を断ち切れなかったからだろう。しかし、1970年、最後まで残っていた米軍の通信所(「クマ・ステーション」の愛称)が閉鎖され、軍人73名、軍属15名、職員85名を残して在日米軍部隊の大半がここ千歳から撤退することになって、長見さんも正式に退職した。『水仙』には、未発表作品の「ケール中尉とともに」(120枚)が収録されている。執筆は1948年か49年と推定され(前掲、横川)、この米軍基地「キャンプ千歳」での体験をもとにした作品である。


『水仙』P227、P228より

宇江敏勝さんに電話した。「VUKINGに日高由仁さんの小説が載りましたね!」実は宇江さんの紹介があって、あの『新村(シンチョン)スケッチブック—ソウルの学生街から』が生まれたのだ。宇江さんは言う。「そうだね。実は先日、日高さんからハガキをもらったんだ。『狸の腹鼓』を読んだそうだ」