(28)越野武さん、十津川移民
[2019/7/5]

札幌在住の越野武さん(北海道大学名誉教授、1937~)から 新刊2冊をいただいた。書名は、『東と西と 続世界建築老眼遊記』と『時と人と 再訪日本老眼遊記』の2冊だ。A5判ソフトカバーでどちらも400ページ近い大著だ。
いただいたお手紙にはこうある。「(前略)10年ほど前に『世界建築老眼遊記』という紀行文を刊行しましたが、旅は病膏肓らしく、その後も毎年のように出かけております。このほど旧著で割愛した旅を含めて、続刊を出すことになりました。5年ほど前に刊行を諦めお蔵入りになりかけていた文字通りの続編と、その後の日本編の2冊になっています。(中略)少冊数ですが自費出版で形ばかりの本になりました。」
越野さんの言われる旧著『世界建築老眼遊記』とは、小社で2008年3月に出版した『風と大地と 世界建築老眼遊記』のことである。越野さんは当時、札幌大学におられ、友人の石塚純一さんの紹介があって小社から出版することになった。石塚さんも当時、札幌大学の教員だった。カラー口絵36ページもあり、イラスト・写真も満載の建築文化紀行である。また同書は札幌大学から学術図書出版助成を受けている。
「5年ほど前に刊行を諦めお蔵入り」させ、その続刊に冷たく手を貸さなかった戦犯のひとりであるにちがいない私は、今回の新刊の登場には申しわけない気持ちで一杯だ。本文体裁は、ほぼ旧著(デザインは赤崎正一さん)を踏襲されている。姉妹本の『時と人と 再訪日本老眼遊記』は2012年以後の毎年10日間ほどの旅が、出雲、瀬戸内、京都、大和などの章になって綴られている。うれしいのは、大和の旅のなかの十津川編だ。熊野の山の作家、宇江敏勝さんの作品や私の名前までもが脚注で記されている。また、森秀太郎著・森巌編『懐旧録 十津川移民』が本文で大きく紹介されている。

『懐旧録 十津川移民』は、1984年11月に新宿書房から刊行されている。前年に宇江敏勝さんの『山に棲むなり 山村生活譜』を出した後に、宇江さんから、これをぜひ本にしないかと強い薦めがあった。森巌(もり・がん)さんは秀太郎の末子で当時77歳。北大鉱山工学科卒、元北見工大・北海道工大教授で、越野さんの大先輩になる。
紀伊半島の真ん中にある奈良県十津川村は、明治22年(1889)の大水害によって壊滅的な打撃を受けた。641世帯、2600余名の村人が故郷十津川を去り、神戸から船に乗り、北海道の小樽に上陸、石狩平野の原野へ移住し、苦難の末に開拓を進め、そこに新十津川村(現・新十津川町)を建設した。2600人が20日間をかけて、大移動したのだ。十津川から神戸港までの間に病死した人もいた。
帯文にはこうある。「明治の常民による驚異の生活記録、第一級の民俗資料」「奈良の秘境から北海道開拓移住へ!」「本書は十津川の山村生活、新十津川の開拓生活を余すところなく描いた常民自身による記録である。」「驚くべき記憶力、記録魔!」
いま読むと赤面の至りだが、当時の真っすぐな意気込みが伝わる。森さんは新十津川町の開拓資料館(現・開拓記念館)に保存されている父親・秀太郎が書いた上下2冊の懐旧録と数冊の日誌を書き直し、札幌の文芸月刊誌『北方文芸』(沢田誠一編集長)に16回にわたり連載した。『懐旧録 十津川移民』の装丁は田村義也さん。カバーには十津川村の、本表紙には新十津川村の、それぞれの明治年代の陸軍陸地測量部(現在の国土地理院)の地図を使っている。
この『懐旧録 十津川移民』の刊行後の翌年の秋だろうか、宇江さんの発案で、出版祝いを兼ねて、札幌から森さんを招いて、かつて十津川移民が歩いた三浦峠越えの道(小辺路)を十数人が一緒になって登った。そして、里に下りたところの三浦口にあった玉屋という宿屋に泊った。
いまや、懐かしい思い出だ。