(35)キッチュ・ジャパン―アメリカ 其2
[2022/4/30]

かつて〈モダン・イコノロジー双書〉という企画を考えたことがあった。これは近代日本を陰刻してきたさまざまな図像をテーマ別に収集してみようという双書、になるはずだった。
しかし結局、1989年に『ノスタルジック・アイドル二宮金次郎』(井上章一・文/大木茂・写真/鈴木一誌・造本)を1冊出したきり、頓挫してしまった。その幻になったタイトルの中に、「キッチュ・ジャパン」というのがあった。*これは日本が開国して以来、欧米で欧米人(あるいはアジアでアジア人)自身の手で描かれてきた日本(及び日本人)に関する戯画、落書き、さまざまな形に作られてきたモノのキッチュな図像を集めようという企画だった。
欧米各国では、かなり前から人種偏見についての研究はさかんで、多民族社会のアメリカでは、さすがにすぐ本がみつかる。『語られざるイメージ―アメリカ映画の中のエスニシティ』(レスター・D・フリードマン編、1991年)、『アンクルトム、ニグロ、ムラート……―アメリカ映画における黒人解釈の歴史』(ドナルド・ボーゲル著、1989年)などなど。
最近、評判になった村上由見子著の『イエロー・フェイス―ハリウッド映画にみるアジア人の肖像』(朝日新聞社、1993年)は、先の欧米の仕事に刺激を受けた映画研究であろう。日本未公開の映画を精力的に観まくるという、ビデオ時代に生きる若い世代の労作である。そういえば、1991年の初めには、東京渋谷で「国辱映画祭」なる催しが開かれているのも、同じ問題意識からかもしれない。
わが『キッチュ・ジャパン』は石子順造の先駆的な仕事の延長上にあった。石子氏とは氏の『俗悪な思想』を受けて、平凡社の『月刊百科』というPR雑誌を舞台に、4年間毎月一緒に仕事をした。「百科事典に載ってないモノ」の研究をしようということになった。石子氏の急逝でこの連載は私のゴーストライトでなんとかあとをつなぎ、後に『ガラクタ百科―身辺のことばとそのイメージ』(平凡社、1978年)という単行本にまとめることができた。この中で取上げた「伝単(戦争ビラ)」「燐票(マッチ・ラベル)」などの項目には、すでにキッチュ・ジャパンへの萌芽が見られるのである。
日本のイメージとして外国人が描くものには、富士山、桜、芸者、天皇、日の丸、社寺、着物などがあるようだが、もっと意図的に描かれてきた図像がある。それらが灰皿や置物の上にどのような絵柄で描かれてきたのか。愚弄、軽蔑、憎悪、笑いの対象としての日本の歴史がある。
敵はさるもの。アメリカには、『敵の顔―敵意のイメージについての研究』(サム・キーン著、1986年)という本がすでにある。⁑

*『新宿書房往来記』(P116)参照。ここには未完に終わったモダン・イコノロジーシリーズの『煙突』のことがふれられている。
⁑邦訳は『敵の顔―憎悪と戦争の心理学』(佐藤卓己他訳、柏書房、1994年)


『ガラクタ百科』表紙