(25)南伊豆、二本松、筑豊、そして探訪記者
[2022/2/19]

◆三島悟さんが遺した文を読み始める
コラム(20)の後半でふれたヤマケイ(山と渓谷社)の元編集者、あるいはMARU、茫々亭の店主だった、三島悟(みしま・さとる)さん。ようやく三島さんの奥様の住んでいる町、伊豆半島南端の南伊豆町の住所がわかり、『新宿書房往来記』をお送りすることができた。しばらくして、奥様の元子さんから丁寧なお礼状をいただいた。そのお手紙で東村山から南伊豆に移ってから亡くなる昨年までの5年にわたる三島さんの暮らしの様子がほぼわかった。亡くなったのは、2021年3月14日だった。1949年生まれというから、享年72ということだ。
病気が判明してから、最後は海の近くで暮らしたいと、2017年2月に店をたたみ、4月には東村山から南伊豆に移った。見事な下山の判断をしたことになる。南伊豆での暮らしは静かだが、豊かな毎日だったようだ。海にランチと本を持ち、泳ぎ、カヌーを出す。お酒を飲みながら、本を読み、疲れると温泉に行く。北海道や沖縄にも旅をしたという。
編集者・三島悟がつくった本や彼が書いた文が読みたくなった。近くの図書館には、沢野ひとし著『てっぺんで月を見る』(角川文庫、1992年)があった。これは、雑誌『山と渓谷』に1987年から88年にかけて「沢野ひとし山の劇場」として連載され、翌年1月に山と渓谷社から単行本(『てっぺんで月を見る:山の劇場』と改題)として刊行されたものだ。角川文庫版には三島さんの文が掲載されている。「解説 沢野ひとしのふたつの涙 三島悟」だ。これが実にいい、10頁にわたるこの解説はみごとな沢野ひとし論である。そのほか『休息の山』(沢野ひとし、初版:山と渓谷社:1994年、文庫版:角川書店:1997年)や『ハーケンと夏みかん』(椎名誠、初版:山と渓谷社:1988年、文庫版:集英社:1991年)など探して、三島さんの文をこれからもっと読んでみようと思う。


『てっぺんで月を見る:山の劇場』カバー

◆二本松の菊人形の女性菊師が引退
『朝日新聞』2月9日夕刊に、「菊人形づくり 情熱50年超」「福島・二本松 催し支えた〈菊師〉引退」という記事がカラー写真2葉とともに掲載されていた。2021年に引退した女性菊師の斎藤ナツイさん(82)を取材したものだ。福島県の「二本松の菊人形」はコロナ禍のため、2020年、2021年とも中止となっている。
新宿書房では、日本唯一の「菊人形文化誌」の本を刊行している。それは『わたしは菊人形バンザイ研究者』(川井ゆう、2012年)だ。著者の川井さんは菊人形研究で博士号をとったひとだ。さっそく、川井さんに連絡してみる。しかし、この記事は東日本のネタなのだろう、大阪版では掲載されていなかったようだ。「新聞記事のこと存じませんでした。お教えいただきましてありがとうございます。二本松の斎藤さんとは長くおつきあいいただいております。『バンザイ』にも登場しています。久しぶりに『バンザイ』を開いてみました。25ページの、駅でのエピソードです。今年の年賀状で引退のことを教えていただいておりました。大きな記事に驚きました。」とご返事をいただいた。新聞記事によれば、二本松の菊師は3人いたが、斎藤さんを含め2人が引退し、今は見習い菊師2人がいるという。今年こそ「二本松の菊人形」展がなんとか、再開されてほしいと。

◆『追われゆく坑夫たち』
続いて、これも『朝日新聞』の記事との関連話となる。2月9日朝刊の「時代の栞(しおり)」の欄。この「時代の栞」は2019年頃から始まった週1回の連載。時代を画した1冊を取り上げる文化誌。編集者にとっては見逃せない連載だ。今回は上野英信(1923~87)。「『追われゆく坑夫たち』上野英信 1960年刊―会社にも国にも労組にも見捨てられ 地の底から問う 犠牲の構造」だ。一人息子の上野朱(あかし)さん、写真家・本橋成一さんらの証言が続くなか、記事には登場してこないある人の不在が気になる。この岩波新書『追われゆく坑夫たち』の担当編集者、田村義也(1923~2003)の影だ。田村義也さんと上野英信さんのことは、『新宿書房往来記』の「ふたりの編集者」(p 67~)、「上野英信展余聞:谷川雁の影」(p 75~)に詳しい。新聞記事から、「深掘り」ならぬ、小さな「横掘り」をしてしまった。

◆『探訪―ローカル番組の作り手たち』(隈元信一、はる書房)
最新刊の本(奥付の発行日は2月11日)が送られてきた。

隈元信一(くまもと・しんいち 1953~)はジャーナリスト、元朝日新聞記者。いま末期がんで闘病中だが、本書はその隈元さんを励ます有志の支援で刊行された。組版・装丁は桜井雄一郎さん。カバーのデザインの色と格子は古民家の壁と障子をイメージしたのだろうか。桜井さんは見てもいないだろうが、私の手元には『風土記日本』(全6巻、平凡社)がある。奥付をみると、初版は昭和35年で、昭和45年の9版の並製本だ。装丁者の名前がないが、私が平凡社に入社した時に社内購入したものと思われる。
それにしても、若い桜井さんが風土、土壌(ソイル)につながる茶色を引き出すとは!


「風土記日本 5 東北・北陸篇」

わたしと隈元さんの出会いは古い。旧谷中村(いまは栃木市藤岡町)の片隅に田中正造の分骨と夫人を祀った田中霊祠(たなかれいし)がある。1981年4月4日の田中霊祠の例祭日に、前月にできたばかりの『明治両毛の山鳴り―民衆言論の社会史』(田村紀雄、百人社)を東京から車に積んで行き、境内の地面に本を並べ売ったことがあった。その時、例祭を取材に来た朝日新聞前橋支局員だった隈元信一さんに初めて会うのだ。百人社の最初の本『明治両毛の山鳴り』のことについては、『新宿書房往来記』(p 28~)の「自前のメディアをもとめて 明治両毛の山鳴りから」を読んでいただければ嬉しい。