(57)この一年・・・
[2022/10/15]

只見線全線運転再開・途中下車
人は駅に集い、そこから動く。かつてはそうだった。高速道路・国道・トンネルが整備されると、人は駅へは向かわず、車やバスで大都市を目指す。新しい道の誕生はかえって更なる過疎化を進めてしまうのだ。豪雨で一部不通だったJR東日本の只見線が10月1日、11年ぶりに全線回復した。しかし回復しても年間3億円の鉄道施設の維持管理はこの只見線沿線の17の市町村が負担することになる。
豪雪に埋もれる冬場、福島と新潟を結ぶ国道252号線は両県境の六十里越(ろくじゅうりごえ)トンネルを挟んで、11月中旬から4月下旬にかけてのおよそ半年間は全面通行止めとなるため、只見線はこの地方の唯一の交通手段になる。しかし、この11年に人口減・高齢化が一層進み、1日数本の列車での通勤・通学の乗車数の増加はとうてい見込めない状況だ。この日、只見線にとってほんとうに厳しい再出発の日となった(当コラム56参照)。
JR東日本は鉄道事業とその他の割合を、今後現在の7対3から5対5に目指すそうだ。つまりさらに廃線がふえ、鉄道離れとなる。また日本の全鉄道会社の9465駅のうち、なんと48・2パーセントの4562駅が無人駅という。ここ只見線でも全36駅のうち、27駅が無人駅だ。
只見線の風景を撮り続け,それを世界に発信してきた写真家・星賢孝(ほし・けんこう)さんはあるラジオの番組でこんなふうに言う。「満員になっても赤字は解消しないんです。只見線の復活は、観光資源の風景、背景として欠かせないと思います。只見線が走る風景や奥会津の四季を世界中の人が観にくるのを期待します。多くの観光客がやってきて地元にお金を落としていってほしいものです」
六角精児が歌う「かなたに広がる心に響く日本の原風景」を見てもらうために、只見線は地元には必要な小道具、貴重な観光文化遺産なのだ。
私もいつか、只見線に乗ってみたい。まず昭和村へ。ここには会津川口駅からバスで向かう。そこにある喰丸(くいまる)小学校跡を見たいのだ。山口昌男さんは1992年にこの廃校になっていた小学校に自分の蔵書5万冊を移し、町と一緒に「喰丸文化再学習センター」を立ち上げた。もうひとつは只見駅近くにある「たもかく本の街」。1994年1月から〈あなたの本と只見の森を交換します〉〈古本を売って森のオーナーになりませんか〉をキャッチに古本の店を開いた。今も健在だ。

後期高齢者2年目に
9月17日に76歳になった。4月22日に両膝の「人工関節置換術」を受けた。3週間の入院をへて、連休明けに退院した(当コラム37~39を参照)。術後の6月、9月とレントゲン撮影と検診があった。結果は両膝関節とも順調だ。手術の跡も平らになり、消えつつある。退院後は近所のかかりつけの整形外科でリハビリを毎週続けているし、9月23日からは、近くの区営プールで「水中歩行」も始めた。体重管理も両膝への負担を考えると大切だ。もうひとつ実は2014年の初めから前立腺ガンの治療を受けている。8年目が過ぎ、3ヶ月おきの点滴・注射、毎朝の錠剤服用はいまも続いている。寛解・完治の診断をいただいていないが、PSAの数値(0.00~3.99が正常)は0.003と最低値を維持している。幸い、敵?いや先方は静かに眠っていてくれているのだろう。

『新宿書房往来記』は眠らない
手元にあるメモを見ると、2021年10月8日、著者校正校了とある。港の人(上野勇治さん)が出してくれた『新宿書房往来記』(2021年12月10日初版第1刷発行)のゲラを、1年前のこの日に校了としている。同年の12月6日から始まった神田・東京堂書店での「新宿書房祭」のことも忘れることができない(当コラム(16)など参照)。うれしい記憶だ。
そんな折、上野さんからメールが来た。「明日10月1日から、紀伊國屋書店新宿本店で、〔港の人創立25周年記念全点フェア〕(150点以上)を開催していただけます(11月2日まで)。また同じく10月に、大阪ではジュンク堂書店梅田店、奈良では奈良蔦屋書店(すでに始まっています)、11月には、広島のREADAN DEATにて、港の人創立25周年記念フェアを開催いただける予定です。フェアの規模は各書店によって違います。同時に詩人北村太郎生誕100年記念を銘打ちます。このように各書店で25周年記念フェアを開催いただけることはほんとうに有り難いことです。」
初日の10月1日、私は電車に乗って新宿の紀伊國屋書店に行ってみた。ディスプレイなどは未完成だったが、「港の人」の25年の素晴らしい出版遺産を一望にみることのできるブックフェアだ。わが『新宿書房往来記』も『荒木陽子全愛情集』の横にチョコンと座っていた。

逝った人たち
コロナ初年の2020年4月14日、パル(ラブラドール:14歳)が亡くなった(コラム「俎板橋だより」67参照)。そして今年2022年1月28日には義母の岡野萬沙子が逝った。享年96だった。萬沙子さんはここ白鷺で12年間一緒に暮らしたが、パルと仲良く留守番をしてくれていたものだ。パルのお墓は自宅の庭にある。植木屋マサキさんが1メートル50センチもの深い穴を掘ってくれて、そこに埋葬した。マサキさんが庭の剪定に来てくれたのが今年6月、その彼が9月6日に亡くなったのだ。享年69。マサキさんは長い間、難病と闘いながら植木屋の仕事を続けていた。
我が庭にはローズ・タワーと建仁寺垣(けんにんじがき:竹垣)があるが、どちらもマサキさんの力作だ。山梨の清里でいただいた中国産の切りバラ(ユキズドリーム)を私が挿木をし、大きく伸びたところを、マサキさんが木製の櫓(ローズ・タワー)を作ってくれた。この春、ユキズドリームはタワーにからみつつ成長し、さらに上へ上へと伸びていっている。
11月に来る時にはこのバラを剪定しようね、と彼は言い残して逝ってしまった。


パルは竹垣の前に眠っている。