(65)『肉体の盛装』を観に行く
[2022/12/17]

ラピュタ阿佐ヶ谷までバスに乗って行く。10月26日から始まっている「伝説の美女・魅惑の独演 昭和の銀幕に輝くヒロイン[第103弾]佐久間良子」。お目当ては『肉体の盛装』(1964年、東映東京、カラー、87分)、村山新治監督作品である。今回はニュープリントの上映で、10時30分からのモーニングショーだが、8割ほど座席は埋まっている。
村山新治が自ら作った手書きの作品年表によれば、同作品のクランクインは1964年(昭和39)9月、アップは11月5日、映画の公開は11月21日。


『肉体の盛装』完成記念写真:東映大泉撮影所にて 


新聞広告(11月17日):併映は『牝』(監督=渡辺祐介、主演=緑魔子)
いずれも『村山新治、上野発五時三五分』(村山新治、新宿書房、2018年)から

本作は『偽れる盛装』(監督=吉村公三郎、脚本=新藤兼人、1951年1月13日公開 大映)のリメイクだ。吉村・新藤の近代映画協会コンビが1948年に京都の花街・宮川町(みやがわちょう)で入念な聞き取り取材をしてシナリオを完成させ、1950年9月~10月に撮影した作品(モノクロ・スタンダード、102分)。主演は京マチ子、キネマ旬報ベスト・テン第3位、毎日映画コンクールで監督賞などを獲得した名作だ。
村山(当時40歳)は前年の1963年の監督作品は2作のみで、それも『無法松の一生』『海軍』とリメイクが続き、撮影所の幹部から「半年も遊んでいる」と冷やかされた時期だったが、ここでまたしてもリメイクに挑戦する。村山は、さっそく元脚本の新藤兼人に相談に行く。新藤は千葉の印旛沼で近代映画協会の『鬼婆(おにばば)』(1964年)のロケ中だった。新藤は「京都なんて昔から変わらないよ」「(ホンは)このままでいいじゃないか」と言う。村山は逗子に住んでいた監督の吉村公三郎にも会いにいく。吉村は京都の昔の話をいろいろ教えてくれ、宮川町のお茶屋の女将を紹介してくれたので、そこにも訪ねて行った。村山は主演に佐久間良子(当時25歳)を迎え、新藤脚本を一字一句も直さず、13年前の原作を忠実にリメイクした。「だからいちおう間違いなくやってきた。深いところまでは分からないからね」(村山)

京都の宮川町にあるお茶屋・静乃家の女将きくは、二人の娘とお茶屋を経営していた。二人の姉妹は界隈でも美貌で知られ、姉の君蝶(きみちょう)は立派な芸者となって一家の柱として働いていた。君蝶は「金の切れ目が縁の切れ目」とすべて金勘定が優先するドライな芸者。この君蝶を佐久間良子が演じる。『五番町夕霧楼』(田坂具隆監督、1963年)『越後つついし親不知』(今井正監督、1964年)とふたりの巨匠の作品で受け身の女を演じてきた佐久間良子が、ここでは体を張って熱演している。妹の妙子は市役所に勤め、同じ職場の孝次と恋仲で、結婚話まで進んでいた。妙子には藤純子、孝次には江原真二郎(2022年9月27日歿)が出演。

『偽れる盛装』は未見なので、正確なことはわからないが、村山が変えたのは、映画の題名、そして主題歌(前作=『祇園ブギ』『加茂川夜曲』から本作=『お座敷小唄』マヒナ・スターズ)ぐらいか。本作の京都駅の場面で登場する東海道新幹線は1964年10月に開通したわけだから、旧作にないシーンになる。『村山新治、上野発五時三五分』の巻末の資料編[映画評・関連記事一覧]には10紙余りの映画評と本人談が出ている。このリメイク作品に対し、「時代感のズレに弱さがあり、問題を残す再映画化、B級……」と厳しい映画評が続くが、どれもが芸者・佐久間良子の熱演、現代劇2本目となる藤純子(当時19歳)の好演を評価している。
長くて暗く細い泥沼のような町家路地を抜けて、手を取り合って(明るい)東京に向かう妙子と孝次の二人。その彼らを、かつての男に刺され入院している君蝶が病室の窓から見送るラストシーンが印象的だ。先行作品からわずか13年後にリメイクされた『肉体の盛装』だが、それから半世紀以上も過ぎた。本作品も今や十分な社会風俗映画として鑑賞できる。


シナリオ『肉体の盛装』の表紙

実は『偽れる盛装』はテレビ・ドラマ化もされている。1962年3月13日にフジ・FNN系で放映された(主演=朝丘雪路)作品だ。題名は変わらず、作=新藤兼人、脚色=鳴子京太・神田典之とあるから、どの程度のシナリオの変更があったのだろうか。そして、このテレビ・ドラマを村山新治監督など東映関係者は見ていたのだろうか。

「京の五花街」には祇園甲部、祇園東、先斗町、上七軒、宮川町がある。この花街の違いは私にはよくわからない。ただ、この「宮川町」の名はかつて編集した本に登場したことをおぼえている。『そっちやない、こっちや−−映画監督・柳澤壽男の世界』(岡田秀則+浦辻宏昌編著、新宿書房、2018年)、同書の巻末にある「柳澤壽男年譜」(1968年、52歳)には、「この年、京都・宮川町のお茶屋「大力」の2階で磯田充子(引用者注=女優・京知子)と一緒に暮らし始める」とあった。