(20)編集という仕事
[2022/1/14]

東京・神田神保町の東京堂書店で開催されている「新宿書房祭」も最終日の1月17日まであとわずかとなった。
今週、本コラム(12)でドキュメンタリー映画『スズさん~昭和の家事と家族の物語~』へ素晴らしいエッセイを寄せてくれた有田寛さん(朝日広告社勤務)が、『新宿書房往来記』(港の人、2021)の読後感を送ってきてくれた。有田さんのご了解を得て、ここに転載させていただく。

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村山様

遅ればせながら昨日(1月11日)、『新宿書房往来記』を読了いたしました。
読み始めてから最後のページにたどり着くまでの間、「うーん」と唸って一度本を閉じ呼吸を整えながら、その瞬間に自分の心に浮かんだ感情を反芻するように確かめる、という動作を、幾度となく繰り返しながら読むことになりました。そうなった理由がいくつかあります。

冒頭、百人社を設立された1980年代初頭の様子が描かれていますが、その頃はちょうど私が読書の楽しみというか「本そのものの魅力」に気づき始めた中学生の頃で、自宅から自転車で行ける池袋の西武ブックセンターに毎日のように入り浸り、大人びた本たちの背表紙を眺めながら時代の空気を胸いっぱいに吸い込んでいた時期でした。当時は小遣いもなかったので買うことはなかなか出来ず、ただただ眺めるだけでしたが、それでもその場所は放課後の私にとって、最先端の情報に触れることができる貴重な居場所でした。
村山さんが独立して出版社を始められる頃に、そのように本の世界に惹かれていた自分を思い出すところから本書を読み進めることになりました。

「編集単行本主義」の項では、村山さんが関わってこられた多くの方々が鬼籍に入られる様子が繰り返し登場し、自分のこれまでの人生と共に、「40年」という時間の重みを感じざるをえませんでした。私にとって初めて名前を知る方も多く描かれていましたが、生前の様子が村山さんの記憶とともに鮮明に語られていて、どれも見事な追悼文として読ませていただきました。

また、ページを繰る手が止まったのは山尾三省さんの項でした。
山尾さんが亡くなった2001年、私はちょうど今の広告会社に転職したばかりの頃で、新たな環境になかなか溶け込めず悶々とする中、書店でたまたま目にした書名に惹かれ、山と渓谷社から出たばかりの『森羅万象の森へ』を購入しました。恥ずかしながら山尾さんがどのような著者なのかは全く知らず、屋久島で執筆活動をしている作家、という認識しかなかったのですが、このエッセイでの静かながら確信に満ちた山尾さんの言葉の数々に、心を動かされたことを今でも鮮明に覚えています。
そんな山尾さんの最期を村山さんが見送られていたなんて、知りませんでした。
久しぶりに山尾さんの本を読み返してみようと思っています。

もう一つ、村山新治氏の訃報に際して私の名前が登場する場面には驚かされました。カットされなかったんですね。気恥ずかしさはありますが、とてもとても光栄に思ってます(笑)。

つらつらと感想を書かせていただきましたが、私が本書を読みながらずっと感じていたこと、それは「編集という仕事の凄さについて」でした。

本書は村山さんが日々書かれていたコラムをまとめたものになる、という認識でしたので、やはり日々のお仕事について時系列に日記的に、新宿書房の社史的なかたちでまとめるのだとばかり思っていました。
それがまさに「リミックス」ともいうべき見事な手さばきで、村山さんと新宿書房が辿られた軌跡、そして作家や装丁家の皆さんとの出会いと別れ、まさに「往来」が表現されていることに、私は「凄さ」を感じずには入られませんでした。
「そうか、編集とはこういうことなのか」ということを初めて体感したような、そんな読書体験だったのですが、その感覚は本書の最後、村山さんのあとがきを読んで確信に変わりました。私が読みながら感じていたこと、まさにそのままが書かれていたからです。思わず膝を打ちました。

編集者であり出版経営者である著者が生み出した素晴らしい素材(文章)を、別の編集者が腕をふるって編集し見事な書籍に仕上げ、素晴らしい装丁とともに出版する。そしてその著者は自分が直接知る方で、いまその方に感想文を書いている・・・。こんな、入れ子構造に入り込んだような読後感が得ることができたのは、私にとって貴重な、嬉しい体験でした。

そして、黒川創さんの最後の文章に私は深い感銘を受けました。《要するに最後は、人生の選択それ自体といっしょで、「いま、これをやらないと後悔するから」、それしかないのかもしれない。出版とは、そういう仕事である》・・・

マーケティング(リサーチ)が無ければ成り立たない広告を生業とする私には、
決して到達できない地平で仕事をされている村山さんと新宿書房に、そして全ての出版人の皆様に、改めて敬意を表します。
私も皆さんの地平に少しでも近づけるよう頑張ります。

素晴らしい本を、どうもありがとうございました。


有田寛

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有田さんも目をとめてくれた「空と声の記憶」の章の「山尾三省」。
ここに出てくるある人に『新宿書房往来記』を送ろうと昨年末から、彼の連絡先を探していた。彼とは三島悟、そう2001年8月28日に行われた三省さんの告別式に出るために私と一緒に屋久島へ行った人だ。この年の7月に三島さんは山と渓谷社を退社し、西武新宿線の東村山駅西口近くで、カレー&バーの店「MARU」を始めたばかりだった。ここには私も何回も行った。2008年にMARUを畳んで、同じ町にあった自宅に移動して「茫々亭」として再開する。ここにもお邪魔したことがある。しかし、2009年に私が保谷からいまの中野の白鷺に引っ越したこともあって、茫々亭から足が遠のいてしまった。久しぶりにお店に電話しても使われていませんとNTTからの音声がひびくだけだ。いろいろ調べていくうちに、三島悟さんが2021年3月に亡くなっていることがわかった。三島さんが創設者で前会長でもあった「北川かっぱの会」の関係者からもメールをいただいた。三島さんは肺がんを発病した後、2017年2月末に店を閉め、息子さんがいる伊豆半島の南端にある南伊豆町に移住したという。肺がんには積極的な治療はせず、家族に見守られ、静かに最期を迎えたという。


東村山駅西口「MARU」


2009年10月31日の「三省祭り」(神田明神にて)

山尾三省生誕70年祭で、三島さんは司会をつとめている。そこに出ている略歴には次のように書かれている。
「三島悟(元・山と渓谷社出版部編集長) 1949年東京生まれ。1970年大学中退後、トカラ列島、奄美、沖縄の島旅を経て74年、山と渓谷社に入社、雑誌、書籍の編集に従事。椎名誠氏のあやしい探検隊シリーズ、 遠藤ケイ、立松和平、山尾三省、ゲーリー・スナイダー氏等 の単行本の編集を手がける。2001年退社。(以下略)」。
三島さんは、椎名誠の第二次あやしい探検隊(いやはや隊)のメンバー(料理人)でもあった。『バーボン・ストリート・ブルース』(高田渡、2001年8月)は、山と渓谷社で彼が編集した最後の本だ。
三島さんにこの『新宿書房往来記』をぜひ読んでもらいたかった。そして私は編集者・三島悟の作った本や書いた文章をあらためて読んでみたくなった。三島流の「編集という仕事」を知るために。