(12)映画『スズさん』のおかげで40年ぶりの再会が
[2021/11/13]

映画『スズさん』の東京での上映が11月6日(土)からポレポレ東中野で始まった。翌7日の2回の上映後のトークに、この映画のもう一人の主役である小泉和子さん(「昭和のくらし博物館」館長、「小泉和子生活史研究所」主宰)が登壇されるというので、午後2時の上映にあわせ、東中野へ向かった。上映の30分まえに1階のカフェ「ポレポレ坐」に到着。奥のテーブルを探すと関係者らしき4、5人の席のなかにマスク姿の小泉和子さんのお姿が。近づいて、「おひさしぶりです。昔、平凡社でお世話になった村山恒夫です」と声を掛ける。
小泉さんはすぐにわたしをわかって、たいへん喜んでくださった。なんと40年ぶりの再会だ。コラム「俎板橋だより」(120、5月21日) で紹介したように、実は、昨年の夏に電話で、小泉和子さんの昔と変わらぬお声は聞いていた。今月の19日に米寿を迎えるとは思えない、元気で大きな声はマスク越しでも健在だ。40年前、私は平凡社を辞め、小泉さんとは縁遠くなってしまったが、小出版をやりながら、次々に出版される「小泉和子生活史学」の書籍たちを遠くからながめていた。
小泉さんたちは、午前の上映後のトークを終え、ランチも済ませ、2時からの上映を待っているところだったのだ。左側に監督の大墻敦(おおがき・あつし)さん、プロデューサーの山内隆治さん、次兄の村山英世もいる。小泉さんとの久しぶりの会話がおわると、前の席のお二人から、名刺をいただく。ひとりは女性、もう一人は男性。初対面の女性の方は小泉さんの生活史研究所のスタッフだ。男性からは「お久しぶりです」と挨拶をされる。記憶にあるダンディーな青年が今、頭が薄くなっている。もちろん私も頭の毛もヒゲも真っ白だ。「玉井哲雄です」玉井さんの名刺には、博物館と2大学の三つの名誉教授の肩書が並んでいる。いまも小泉さんと伴走されて、生活史研究所を支えているという。玉井さんともやはり40年ぶりの再会となった。
上映後の小泉和子さんのトークはとてもよかった。単なる「家事」の再発見、再現ではなく、地球温暖化や海洋プラスチックごみ問題を少しでも抑え解決するために、家族全員による「家事」の再生のお話をされた。非電化と言わないまでも、洗濯機は洗濯までで、乾燥機は使わないで外に干す、そんなことを言われた。
翌日、小泉和子さんから、さっそくメールをいただく。「昨日はどうもありがとうございました。40年ぶりの再会!人生を感じました。村山さんにお会いして、若いころ(40代)が蘇って胸が痛くなりました。またお会いしたいです。私の家にご飯を食べにいらっしゃいませんか。村山さんが誉めてくださったトイレもあのままです。」
市川房枝さんではないが、小泉和子さん、「87歳の青春」の真っ只中なのだ。

ある親子の『スズさん』鑑賞ツアー
有田寛(ありた・ひろし)さんは銀座にある広告代理店に勤める会社員だ。この新宿書房は有田さんや後任の天野一哉さんには、新聞のサンヤツ(一面下の三段八割の出版広告)や書評欄下の広告の出稿などでいつもお世話になっている。有田さんは映画が好きで、今回の『スズさん』も最初の公開があった横浜シネマリン(5月22日初日)に、駆けつけくれ、いいエッセイを寄せてくれた。そのエッセイはいま発売されている映画『スズさん』のパンフに収録されている(p 27:「あたりまえの生活がいい」)。
有田さんは7日の午前の回に、両親を連れてポレポレ東中野にやってきた。そのことを当日の午後に兄から聞いた私はさっそく、有田さんに連絡して、ご両親の映画を見た感想を書いてくれないかとお願いした。これがすごくいいのだ。監督はじめ、スタッフにも送ったところ、大好評だった。有田さんの了解を得たので、ここに全文を掲載する。

11月7日、両親を連れてポレポレ東中野に映画『スズさん 昭和の家事と家族の物語』を観に行った。

もともとは一人で行くつもりだったが、両親の住むマンションは車で10分もかからない場所だし、何より年老いて足腰が悪く、更にコロナ禍で引きこもり生活が長い二人のいい気分転換になるかもしれないな、と思い立ってのことだった。
「東中野に記録映画を観に行くよ」とだけ伝え、予備知識無しで観てもらった。
途中で眠ってしまうかもしれないな、と思い、上映中に隣の両親の様子をチラチラと見たが、二人ともずっと熱心にスクリーンに見入っていた。

上映が終わり、映画館裏の小さなイタリアンカフェでピザとパスタの昼食をとりながら映画の感想を聞いたのだが、思いのほか二人ともとても喜んでいた。
特に、若い頃から映画館とは無縁だった父が熱心に感想を私に語りかけてきたのが意外だったが、その理由を聞いてなるほどなと思った。
というのも、父の父親(私の祖父)は横浜出身の大工で、世帯を持つ頃に東京豊島区東長崎の小さな土地に木造家屋を建てたという、まさにこの映画の主人公であるスズさんと小泉家にとてもよく似た背景を持っており、父曰く「まるで自分史を映画館で観ているような感覚になった」のだそうだ。特に、戦中にスズさんが3歳の息子を病気で亡くしたエピソードには、同じく戦中に、父の弟である2歳の次男を病気で亡くした自身の母親(私の祖母)を思い出さずにはいられなかった、と静かに話してくれたのが印象的だった。

最近は記憶も衰え気味になってしまった母も、パンフレットのスズさんの家事仕事の写真を見ながら「この道具はこう使うんだ。うちのおはぎはこう作ったんだ。ああ懐かしい懐かしい」と、まるで自分の家の家族写真を見ているような雰囲気で感想を話してくれた。

この映画を観たことは、思いがけず両親の戦中戦後の記憶も呼び覚ましてしまったようだったが、パンフレットに息子の拙文が掲載されたことにも「自分と同じ感想だ。父さんもこう思ったんだよ」と喜んでおり、彼らの単調な隠居生活の中でちょっとした親孝行ができたのかなと、少しだけ温かな気持ちになった日曜日であった。
有田寛(会社員)


高橋美江さんによる上映会と原画展
映画『スズさん』のタイトルデザインやイラストは、わが絵地図師・散歩屋の高橋美江さんの手になるものだ。美江さんがこの映画にかかわった経緯は、「俎板橋だより」(120、2021年5月21日)を読んでほしい。その美江さんから、連絡があった。彼女のプロデュースによる、横浜市都筑区の横浜歴史博物館で『スズさん』の上映会が11月14日の日曜日に開かれるという。そして、この上映会にあわせ、美江さんがこの映画のために描いた挿入画の原画展がひらかれるという(11月14日~23日)。この都筑区(旧・都筑郡の町村)は、1945年5月29日のアメリカ軍による空爆(横浜大空襲)を受けた地域の一つだ。