私は鉄ちゃんでもないし、元鉄ちゃんのサビ鉄でもない、いわば人生廃線寸前の人。そんな私が友人夫妻に誘われて1泊2日の大井川鐵道の旅に行ったのだ。
1泊2日の旅の1日目。15時30分、大井川鐵道井川線(南アルプスあぷとライン)の終点の井川駅を出発。帰りも乗客は少なく、行きと同じメンバーか。ここで新たに乗るひとはいない。1日2便に減便されたばかりの、つまりこのトロッコ電車が井川~千頭を結ぶ今日の最終電車となる。井川駅の山向こう、井川湖の対岸にある井川本村(静岡市葵区井川地区:ここに市役所の井川支所がある)には、眺めることも一歩足を踏み入れることもしないまま、帰ることになった。井川本村を含め、このあたりの山間には「奥静岡(愛称:オクシズ)」と呼ばれる静岡市の「奥大井」「安倍奥」「奥藁科(わらしな)」「奥清水」の4つの地域が広がっている。機会があれば、いつか車でまわってみたいものだ。
井川線は下りの速度も遅い。閑蔵駅を過ぎ、関の沢鉄橋をわたる。廃線がつづくなか、この鉄橋はいまや民間鉄道で日本一の高さ(71m)を誇る。乗客サービスのために1分間停車してくれる。恐る恐る窓から顔を出して下をのぞく。次は森の中の尾盛駅。この駅は秘境駅としても名高い。2匹のタヌキ像がわれわれをふたたび迎えてくれる。左手の大井川に下る山林があちこち間伐されていて、倒木が転がっている。線路際の杭をみると中部電力の表札が見える。この井川線は中部電力の社有林の中を走っているようだ。
この日われわれは終点の千頭駅までは行かないで、奥泉駅で途中下車、16時45分着。ここは静岡県榛原(はいばら)郡川根本町奥泉となる。駅舎を抜け階段を上り、バス停に向かう。千頭駅発の大鉄の路線バス、寸又峡温泉行きを待つ。バス停の前には縄文時代の竪穴式住居を模した立派な公衆便所があった。中は清潔な洋式トイレだ。このあたり、縄文時代前期~晩期の集落があったとされ、下開戸(したのかいと)遺跡という。
16時50分、千頭駅から来たバスに乗り込み、いよいよ寸又峡をめざす。バスは大型だ。静岡県道77号川根寸又峡線を走る。山に続く道を上がっていくと、眼下には先ほど井川線の車窓から見た大井川にかかる長島ダムがある。途中の停留所の名前は「うさぎ辻」という。そこから少し歩くと、長島ダムを眺める展望台があるようだ。長島ダムは2002年(平成14)に完成した、治水・用水のためのダム。大井川水系では水力発電を行わない唯一の多目的ダムだという。
「うさぎ辻峠」を過ぎると、途中の県道には狭小なところが何ヵ所もあり、待機するように促す警告灯も数カ所設置されている。大型バスは巧みな運転さばきで、山を越え、カーブをまわり、寸又川が流れる寸又峡へとどんどん下がっていく。途中にはヘリポートもあった。ちょうど30分後の17時20分に「寸又峡温泉入口」に到着。このバスは2駅先の「寸又峡温泉」が終点のようだが、われわれはここで降りる。今夜は、このバス停から近いホテルに泊まるのだ。バス停前には、作業員輸送の黄色塗装の客車や木材輸送の台車が保存されている。
寸又峡イラストマップ
寸又峡温泉はむかし大間(おおま)地区と呼ばれた。上川根村、本川根町、そして現在は川根本町寸又峡、正式の地名は川根本町千頭である。ここには千頭御料林の木材を運ぶ「千頭森林鉄道」が運行されていた。集落の中に大間駅があり寸又川が大井川に合流するところにある大井川本線の千頭駅まで線路が伸びていた。この森林鉄道については、とんでもない廃線紀行のコラムがあるので、興味ある方は覗いてみてはいかがだろう。
また『特選 森林鉄道情景―鉄道・秘蔵記録集シリーズ』(西裕之著、講談社、2014年)という本にも「千頭森林鉄道」が4ページにわたって紹介されている。同書のデータには、「東京営林局千頭営林署、軌間762mm、動力内燃、区間=千頭~栃沢36km、尾崎坂~大間堰堤6km、開始=1938年(昭和13)、廃止=1969年(昭和44)」とある。
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さて、寸又峡温泉というと、今でも「金嬉老(きんきろう)事件」のことを思い浮かべる方がいるにちがいない。1968年2月20日の19時すぎ、静岡県清水市(現・静岡市清水区)のキャバレーで暴力団員ら2人がライフルで撃たれて死亡。犯人は在日韓国人2世の金嬉老(当時39歳)。金は現場のキャバレーから車で逃走。深夜23時半頃に南アルプスの山中の寸又峡温泉旅館「ふじみや」にスコープ付きのライフルと大量のダイナマイトを持って押し入り、経営者や宿泊客13人を人質にして、旅館2階の6畳間に88時間も立てこもったという事件だ。
ここ大間で寸又峡温泉として開湯したのが、1962年だという。その6年後、まだその名も世間であまり知られてない寸又峡温泉。なぜ、金嬉老が逃走先をこの温泉宿を選んだのだろうか。いったい清水からどのようなルートでここまで辿り着いたのだろうか。いずれにしてもこの事件で寸又峡温泉はすっかり有名になったのである。
1968年という時代…。この夜、ホテルの温泉に入りながら、ひとり考える。
(この項つづく)