(5)翻訳出版の細い道跡ひとつ
[2021/9/25]

先日、ある方からメールをいただいた。「村山さんのコラム、毎回興味深く拝見しています。宇江敏勝さん、斉藤たまさんの本、蘆原英了さんや見世物関係の本など、いろいろ面白い本を出されてきましたね。コラムでもそれらの本のことをたびたび言及されています。しかし、私には新宿書房といえば、ブルンヴァンの『消えるヒッチハイカー』などの都市伝説シリーズをはじめ、興味深いテーマの翻訳出版活動をしてきたことが印象に残っています。いつか、そのあたりの舞台裏の話を聞かせてください」(男性・元編集者)

たしかに、かつて出した図書目録やHPの「書籍リスト」を見ると、【ジャンル別】のカテゴリーでは、アメリカ文学、アイルランド文学、アジア文学、海外文学、海外文化があり、【シリーズ別】のカテゴリーでは、SS海外ノンフィクション、アリス・テイラーの本(アイルランド)、双書・アジアの村から町から、ブルンヴァン都市伝説シリーズ、ハーストン作品集、ブコウスキーの本、ケルアックの本、ステフィとネッリの物語(スウェーデン)、などが掲示されている。
実際にけっこうな点数を出してきている。しかし、この翻訳出版の流れをみても、新宿書房は「雑系の出版社」であることがわかる。また、どれをとっても中途半端で終わっている感は否めない。

翻訳出版は、出版を始めたばかりのものにとって、ある意味でやりやすい手段ともいえる。著者となる人に原稿を依頼したり、原稿を編集する必要がないのだ。もう本がある。いい本を探し、これに合う翻訳者を探せばいいのだ……。
学術系の翻訳は翻訳自体が業績になるし、アカデミズムの構造から、弟子や教え子に下訳をさせて教授が翻訳本を出すことはよくあることだ。海外文学の翻訳者の世界もそうだろう。しかし、中間文化というか、雑なジャンルの海外出版文化の情報は、翻訳者か翻訳エージェントからの情報に頼ることになる。
新参ものの出版社には親しい翻訳者はいないし、翻訳エージェントが「こんな新刊がありますよ」などと言ってくるようなことはまずなく、やって来るのはどれも売れ残りの本だけだ。かれらに連絡するのは、こちらが探してきた本の版権状況(まだどこも翻訳権を取ってないかどうか)を問い合わせることぐらいしかなかった。もちろん、翻訳原稿の編集、特に原語を全く知らない場合の難渋さはまた別にあるが…。

新宿書房のHPのコラムでお馴染みのニューヨーク在住の平野共余子さん。平野さんはニューヨーク大学大学院映画研究科で博士号を取得したあと、ニューヨーク市にあるジャパン・ソサエティに1986年から2004年まで在籍し、多くの若い日本人映画監督の作品をアメリカ社会に紹介するという仕事に携わってきた。
その平野さんに連絡をとり、新聞のブックレビューを読んだり、街の書店をのぞき、翻訳すべきこれという本があったら送ってもらえないか、また、そういうことが出来る人がいたら紹介してもらえないかと頼んでみた。
1980年代、ワープロはあったがネットはまだない。お金のある大手の出版社は週刊の『ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー』などを購読して出版情報を集めている。お金のない零細出版社は、こうやってセンスのある人の目に頼るしかない。しばらくして、平野さんが、このひとなら適任と、ある方を紹介してくれた。
新刊本は私たち小出版社を相手にしてくれないし、ベストセラーの本は著作権も高い。その方には、ニューヨークの書店や図書館で見つけた面白い本、またクチコミの本情報にもアンテナを張ってもらい、ロングセラーの本でなぜかまだ未邦訳の本を探してもらう。まもなく彼から面白い本が次々と送られてきた。彼が送ってくれた本はいろいろとあったが、翻訳して一番評判となり、実際に売れた本は、『ジュリアードの青春 』(1990年)だ。「本探し人」は、その後も何人かにお願いしたが、彼ほどの眼力のある人はいなかった。
彼はニューヨーク大学大学院映画研究科修士課程を卒業し帰国すると、月刊雑誌『イメージフォーラム』の編集長を務め、2003年から2018年まで東京国立近代美術館フィルムセンター(現国立映画アーカイブ)の研究員として、映画の収集・保存・復元の仕事に携わった。現在は日本を代表するフリーのフィルム・アーキヴィストである。
そう、とちぎあきら(栩木章:1958〜)さんのことだ。とちぎさんは新宿書房から『ロバート・ロドリゲスのハリウッド頂上作戦』(ロバート・ロドリゲス著、1999年)という本を自ら翻訳出版もしている。

翻訳裏話のひとつである。