(23)黒子的な仕事の編集者に脚光が当たることはたまにはいいですね
[2022/2/5]

一緒に暮らしていた妻の母親の岡野萬沙子(まさこ)が1月28日の早朝に自宅で亡くなった。老衰だった。誕生日は1925年(大正14)5月4日だから、享年96ということになる。同居してから十数年、多少の病気をかかえながらもずっと元気だった。このコロナ禍が始まった2020年4月にほぼ14歳で死んだパル(ラブラドール・レトリバー、イエロー)とはいつも一緒に仲良く留守番をしてくれた。


2018年4月17日のふたり

葬儀は家族葬として31日の午前中に、「西荻南イエス・キリストの教会」で松元保羅(まつもと・ぽうろ)牧師の司式で執り行われた。
岡野萬沙子の夫・岡野三郎と萬沙子のふたりの名前は『新宿書房往来記』に登場する(「小さな映画会」p 217~)。岡野三郎は映画『号笛(ごうてき)なりやまず』(監督=浅野辰雄、1949)の製作助手をつとめていた。助監督は村山新治(わたしの叔父)だ。しかし、撮影中に製作会社の新世界映画社は倒産、撮影は中止となるが、岡野三郎の機転で母校の日大芸術学部の江古田校舎に持ち込み、なんとか録音・編集をすませ企画の国労に納品することができた(p 221)。実はこの新世界映画社には父の村山英治もいたのだ。岡野三郎はその後、映画から離れた。
そして萬沙子の末弟の小林寛(ひろし)。彼は映画俳優だった。今井正監督の『真昼の暗黒』(1956)に出演し、その後、村山新治の映画の常連となる。それらのことは「俎板橋だより」(116)に書いたことがある。不思議なファミリーヒストリーの一コマだ。


『警視庁物語 上野発五時三五分』(1957)の新聞広告
(『村山新治、上野発五時三五分』p 263より)。出演者名に小林寛の名前が見える

『新宿書房往来記』(港の人)が刊行されてから、ひと月以上が過ぎた。この本には、取り上げていない人も本もまだまだたくさんある、あくまでも途中経過の本と言い張っても、本人は75歳の立派な後期高齢者、いまや両膝関節の痛みで歩行も困難の身だ。その往来記にさまざまな反応、反響が届いきていて、まるで生前葬の様相を呈してきた。(笑)
以下は往来記雑記である。

装丁は長田年伸さん、挿画はニアさん。これがすこぶる評判がいい。真ん中を流れる川は千曲川ですかという読者がいた。ところで長田さんが撮ったと思われる書影がSNS上にあった。表紙とカバーをつなげるとこういう絵になる。なるほど、そうなるのか。

『東京新聞』(1月31日夕刊、『中日新聞』の夕刊にも同時掲載)昨年末に東京日比谷で『中日新聞』文化芸能部の宮崎正嗣(まさつぐ)記者からインタビューを受けている。書評のタイトルは「一冊の本 出来上がるまで 新宿書房・村山恒夫さん 編集者人生つづる新著」。私が呟いたつたない話をうまくまとめていただいた。「一冊の本ができるまでに関わっている多くの人たちの素顔をつたえたかった。」それは、なんとか読者に伝えることができたのだろうか。
◆ある映画評論家のコメント:「黒子的な仕事の編集者に脚光が当たることは、たまにはいいですね。」ややきついが、温かいエール。
◆顔写真(それもカラー)の載ったこと:「意外に若いじゃん」
◆『東京新聞』の広告部にいた方で、書評が出ると必ず、律儀に『東京新聞』や地方紙の掲載紙を届けてくれたM氏。いまは社内独立して専属の代理店を経営されている。M氏が突然事務所にやってきて、この掲載紙と顔写真のカラーの紙焼きを届けに来てくれた。
◆『東京新聞』は、けっこう読まれている(失礼)。望月衣塑子記者ファンが多いのか、女性からの反応多し。昔の犬仲間や妻の仕事仲間からも。杉浦康平さんの奥様からも、「東京新聞夕刊の文化面は面白い記事が多く、真っ先に見るのですが、今日は、村山さんの写真が目に飛び込んできたのでビックリしました。これもとてもいい記事ですね。これまでの記事もそうですが、村山さんのお人柄と新宿書房でのお仕事が高く評価されていて、わがことのように嬉しいです。もちろん杉浦も喜んでいます。」
◆元写真家で今はビルの警備員をしているS氏は「警備員室には全部の新聞がきている。夕刊見ていたらびっくりしたよ。すぐに港の人に注文したぞ」。
◆熊野の山中に住む作家の宇江敏勝さんからも電話がきた。「山の仲間から『中日新聞』が届いたよ。昔、室野井洋子さんらと大塔山にのぼったことをおぼえていますか?その時のひとりだよ」宮崎記者は2021年8月に、宇江さんと田辺市本宮町の奥番という集落を一緒に取材をしている。そして、宇江さんは「紀伊半島豪雨10年 消えた集落を思う」というエッセイを『中日新聞』に寄せている(「しらさぎだより」(4)参照)。

『映画芸術』(1月下旬発売、478号)発行人で脚本家・映画監督の荒井晴彦さん。彼から書評で取りあげるぞと連絡があったが、まさか岡村幸宣さん(原爆の図丸木美術館学芸員)とは。さすが名監督、キャスティングが素晴らしい。岡村さんは、新宿書房の2冊の本、『《原爆の図》全国巡回―占領下、100万人が観た!』『未来へ―原爆の図丸木美術館 学芸員作業日誌2011-2016』の著者だ。書評タイトルは「自由への渇望と抑圧に抗う姿勢」。映画雑誌を意識した書評を書いてくれたようだ。
◆あるデザイナー:「一度捨てられた原稿を拾う編集者」これがポイントですね。
◆ある映画評論家のコメント:村山さんの人となりがよく出ている評です。お父様の歴史も素晴らしいです。村山一族の昭和から令和まで。山本薩夫なら映画にしていたかもしれません。
◆ある友人:1冊の本にすること、本をつくりあげること。それは原作を脚色(シナリオ化)し、演出する、まるで映画の製作に似ているな。

『サンデー毎日』(2月13日号)エッセイストの平松洋子さんが連載書評「今こそ読みたい」の1ページで取り上げてくれた。タイトルは「社会の、時代の深層に分け入り活字を遺した出版人を描く」。平松さんはいままでたくさんの新宿書房の本を書評してくれた。今回も丁寧に読みこんでいただいた。ところで、平松さんが如月小春さんと同じ大学の2年後輩だったとは知らなかった。