一泊2日の鉄道旅をして来た。帰ってきた翌日の金曜日は朝から激しい雨、午後からは強い風も加わって来た。飯田線はこの日終日運転見合わせとなった。
今回も旅の設計・お膳立ては、前回の大井川鐵道・寸又峡の旅同様、すべてM夫妻がやってくれた。朝一番のバスに乗り、荻窪駅に向かう。東京駅でベンチに座り朝飯の駅弁を食べながら、相方が来るのを待つ。いよいよ飯田線の完全乗車を目指し、8時33分のひかり635号新大阪行きに乗車する。水曜日だからか、自由席も空いている。
豊橋で下車して、昼飯用にご当地名物の稲荷寿司を買い込み、いよいよ飯田線に乗るのだ。10時42分発の岡谷行だ。2両連結の電車はガラガラだ。ホームで出会ったご夫妻が後部の席にいる。われわれは、運転席近くの座席を独占する。雨を心配していたが、よく晴れている。この電車は愛知県豊橋を出て、豊川から20の駅を過ぎると静岡県に入り、長野県飯田を過ぎ、辰野の先の岡谷まで行く。辰野まで全長195キロ、全部で94の駅がある。辰野までがJR東海の飯田線で、辰野から岡谷はJR東日本の中央本線の支線に乗り入れる。
愛知県内では奥三河(おくみかわ)と呼ばれる地域を通る。ここ奥三河は民俗学者の柳田國男や渋沢敬三や折口信夫らの紹介や早川孝太郎(1889~1956)の調査・著作などで知られるようになった、民俗芸能「花祭(はなまつり)」と呼ばれる霜月神楽(しもつきかぐら)があり、私はずっと行きたいと思っていた。祭りの季節は過ぎているが、その花祭の懐を通るのだ。
村山英治(私の父。『新宿書房往来記』港の人刊、2021、参照)が、かつてこんなことを書いていた。父が「長野県教員赤化事件」(「二・四事件」とも、昭和8年)に連座し、教員の職を追われ、映画の世界(芸術映画社)に入ったころのことだ。
もう一つ流れた企画に、民俗学の早川孝太郎氏の「花祭」があった。早川氏には既に美しい画を添えた大著『花祭』があった。映画というような生きた形で記録できるということで、早川さんは柳田國男氏を引っ張り出されて、「エーワン」というレストランで話し合いをしたことがあった。それから早川さんに連れられて私は愛知県北設楽郡の山村に花祭り(引用者注:「花祭」「花祭り」両方の表記がある)を見に行った。大きな湯釜の周辺を踊る鬼を囲んで、村びとも夜どうし踊り狂って、翌日も昼ごろまで踊っていた。おわって近くの町の旅館に折口信夫氏を訪ねた。折口氏も大学の学生たちを連れて花祭りを見に来られたのだった。そのあと私は峠を越えて長野県側の雪祭りの村(引用者注:下伊那郡旦開村[あさげむら]新野[にいの]=現・阿南町新野)も訪ねた。
「花祭」はどうして実現しなかったか思い出せないが、長野県も関係した名作『小林一茶』が東宝系で上映されたのが昭和16年だから、花祭りの企画は昭和17年ごろではなかったか。祭りそのものが、もうこれが最後かといわれていた。民俗学的にいかに貴重なものでも、戦時下の映画館で上映する文化映画ではなかったのであろう。(「流れた企画の思い出」『来し方の記 7』信濃毎日新聞社、1984)
電車は緑深い奥三河に入っていく。そして愛知県下の飯田線の最後の駅、東栄(とうえい)駅に到着。ここが国の重要無形文化財「花祭」の里、北設楽郡東栄町なのだ。立派な駅舎だが無人駅だ。駅前にはなにもない。街の中心にはここからバスで10分かかるそうだ。
ホームの駅名標 鬼面をイメージした駅舎
村山英治がこの駅を降りたのが1942年(昭和17)とすれば、当時は本郷町という自治体で三信鉄道の時代だった。この駅は「三信三輪駅」といった。翌年1943年(昭和18)に4つの私鉄が国有化され、飯田線が誕生する。駅名はその後「三河長岡駅」に、そして現在の「東栄駅」になる。
この旅から帰って、図書館に行き、「花祭り」のにわか勉強に励む。幸い2冊の本があった。
早川孝太郎(1889~1956)の『花祭』(民俗民芸双書2、岩崎美術社、1966)と民俗学写真家・須藤功の『早川孝太郎―民間に存在するすべての精神的所産―』(ミネルヴァ日本評伝選、ミネルヴァ書房、2016)だ。早川孝太郎は、早くから柳田國男、折口信夫に師事し、1930年(昭和5)4月に民族・民俗・考古学専門の岡書院(店主は岡茂雄[1894~1989]、著書に『本屋風情』平凡社、1974、がある)から、『花祭』を刊行している。上巻719頁・図版38枚、下巻870頁・図版17枚、という大著だ。
さて東栄駅を過ぎると、飯田線が静岡県浜松市に入る。出馬(いずんま)から秘境駅の小和田(こわだ)までの13駅が浜松市内なのだ。それゆえこのあたりを「三遠南信」(さんえんなんしん)あるいは「三遠信」というそうだ。愛知県の東三河地方、静岡県の遠州地方、飯田市を中心とした南信州地域、これら3つのいわば行政的・人為的な県境を跨いだ、歴史の時間が重なった文化・方言地域を指すようだ。その中をわれわれは飯田線に乗って進んでいく。
(この項つづく)
参考文献・サイトなど
1)映画『信濃風土記より 小林一茶』は亀井文夫監督作品(東宝文化映画、1941)。撮影は白井茂。白井は、あの関東大震災(1923)を撮ったキャメラマンだ。
https://kirokueiga-hozon.jp/movie/camera/
2)早川孝太郎の年譜
http://yanenonaihakubutukan.net/hayakawa-koutarou.html
3)東栄町の「花祭」サイト
http://www.town.toei.aichi.jp/hana/top/top.html
4)阿南町新野の「雪まつり」
http://www.town.anan.nagano.jp/tourism/niino_yukimatsuri/
5)花祭を記録した映像作品
戦前では民俗学者の宮本聲太郎のよる花祭の記録映像があった。岩波映画製作所では、『奥三河の花祭り』(1954)、『花まつり』(1959)の作品がある。また桜映画社には『舞うがごとく 翔ぶがごとく―奥三河の花祭』(1992)という作品がある。また岩波書店から『DVDブック 甦る民俗映像』(2016)が出版されていて、ここには「花祭」の貴重な記録映像5本が収録されている。
https://websv.aichi-pref-library.jp/event/jyoei.pdf
http://sakuraeiga.com/products/568/
https://www.vfo.co.jp/miyamoto.html
https://www.iwanami.co.jp/book/b264745.html