(42)安田春子さん、亡くなる
[2022/6/25]

新宿書房は「見世物」関係の本をいろいろ出している、日本でも珍しい出版社のひとつかもしれない。
最初の本は、『見世物小屋の文化誌』(鵜飼正樹+北村皆雄+上島敏昭編著、1999年)。本書は見世物についての初めての本格的な文化誌だ。装丁者の谷村彰彦さんが、当初の発行予定だった出版元との不調から編集が止まり、その相談にやって来たのが始まりだった。巻末には映画『見世物小屋~旅の芸人・人間ポンプ一座』(監督=北村皆雄、ビジュアルフォークロア、1997)のシナリオが再録(撮影は1994~1995)されている。本作は最後の見世物小屋芸人といわれた人間ポンプこと安田里美さん(当時71歳)と奥さんの春子さんを含めた一座9人の秩父夜祭りでの興行記録映像だ。ここでは春子さんの客寄せ(タンカ)の名調子を聞くことができる。安田里美さんはこの興行の翌年の11月に亡くなった。
次の本は、『見世物稼業―安田里美一代記』(2000年)だ。『見世物小屋の文化誌』の編者のひとりの鵜飼正樹さんが、最後の見世物小屋の芸人といわれ、碁石、50円玉、鎖、安全カミソリの刃、金魚などを次々に飲み込んだり、ガソリンを飲んで火を吹くなど「人間ポンプ」の芸で知られた安田里美(1923~1995)に大阪・住吉神社の境内で出逢う。その後およそ12年間にわたり安田さんと伴走し、千数百時間に及ぶ聞き取りから再現し著した安田里美一代記だ。

そのほかの新宿書房の見世物関連書を並べてみよう(順不同)。
『見世物3号』(見世物学会・学会誌、2005)
『見世物4号』(見世物学会・学会誌、2007)
『見世物5号』(見世物学会・学会誌、2012、品切れ)
『見世物6号』(見世物学会・学会誌、2016)
『見世物7号』(見世物学会・学会誌、2018)
『間道(かんどう)―見世物とテキヤの領域』(坂入尚文、2006)
『現代風俗・興行』(現代風俗研究会編、2005)
『現代風俗・娯楽の殿堂』(現代風俗研究会編、2006)
『現代風俗・プロレス』(現代風俗研究会編、2010)
『サーカス研究』(蘆原英了、1984、品切れ)
『サーカスのフィルモロジー―落下と飛翔の100年』(石井達朗、1994)
『異装のセクシュアリティ―人は性をこえられるか(新版)』(石井達朗、2004)旧版は1991
『女剣一代―聞書き「女剣劇役者・中野弘子」伝』(伊井一郎、2003)
『わたしは菊人形バンザイ研究者』(川井ゆう、2012)

実は『見世物小屋の文化誌』(1999年10月)を出版した同じ年に、「見世物」にとって大きな出来事が2つあった。まず、5月29日~30日にかけて東京・新宿の西向(にしむき)天神で「見世物世紀末大放談会」が開かれ、そして11月には「見世物学会」の設立総会がお茶の水の中央大学講堂で開催されたのだ。見世物学会は見世物研究者と見世物興行関係者が対等に参加・構成していることが特筆される。当時、見世物を興行できる興行社は五指に満たず、単独で興行できたのは2社だけだった。そんな状況から、なんとか見世物の研究をしなくてはという危機感が「見世物学会」の誕生のきっかっけになったのだろう。安田春子さんも総会のパネラーとして、3度も4度も参加されている。初代会長は田之倉稔(演劇評論家)、理事長は西村太吉(五代目松坂屋一家総長)。現在は会長・鵜飼正樹(京都文教大学教授)、理事長・西村太吉だ。1999年以後、毎年学会の総会が開かれてきた。『見世物5号』『見世物6号』に記載されている各総会のテーマを拾ってみると、「大阪の盛り場」「油絵は見世物である」「説教節」「生人形」「天井桟敷と見世物の復権」「オートバイサーカス」「追悼 種村季弘・小沢昭一・山口昌男」「見世物と土方巽」「女相撲」「小沢昭一に捧ぐ日本のストリップ」などが並び、それらの報告は見世物学会・学会誌『見世物』(創刊号は2001年、第2号は2003年、3号の2005年から新宿書房発売に)に収録されている。

上島敏昭さん(大道芸人・浅草雑芸団代表、『大道芸アジア月報』編集・発行人)からのメールで、安田興行社の安田春子さんが、6月14日に亡くなられたことを知る。春子さんは夫で「人間ポンプ」こと安田里美さん(1923~1995)が72歳で亡くなった後、ひとり安田興行を支えてきた。享年89。見世物学会の理事でもあった。上で紹介した『見世物稼業』には里美さんと春子さんの出会いも記されている。『見世物小屋の文化誌』の「シンポジウム・見世物小屋の文化誌【荷主の世界】」(p 86)に安田春子さんのプロフィールがあるのでここに再録しよう。
[安田春子(やすだ・はるこ)]
「安田里美興行社。岐阜県大垣市に本拠を置く。人間ポンプ(故・安田里美氏)未亡人。1933年、長崎で被爆し、終戦をきっかけに黒川興行に入ったのが、この世界へ本格的に入る第一歩。サーカスに出演中、指導係としてやってきた安田里美(本名・山本丑松)と知り合い、1948年結婚。以後、里美さんの片腕として、自ら舞台出演、呼び込み(タンカ)、興行の手配などすべてをこなす。1995年、安田里美さんが没した後は、実弟の梅田陸男さんと共に興行社の中心として、全国を飛び回っている。」
見世物の興行は各地の寺社の祭りや縁日、盛り場で行われる。寺社の境内や盛り場の興行権をもつ歩方(ぶかた)と見世物の太夫元あるいは荷主(にぬし)と呼ばれる、興行師二者によって行われ、興行のあがりは、歩方と荷主の間で一定の歩合で分けられる。
『見世物小屋の文化誌』には上島敏昭さんの貴重な調査が記載されている(p20~22)。1998年だから、安田里美さんはすでに亡くなって、春子さんひとりで安田興行社を差配している時代だ。この年の1月から12月まで、安田興行は全国22ヶ所を巡っている。その内訳は見世物2ヶ所、遊戯(射的、スマートボール)3ヶ所、ヤブ(お化け屋敷)17ヶ所だ。
鵜飼正樹さんは、昨年12月5日、岐阜県博物館(関市)で講演会「岐阜の見世物稼業 安田里美と安田興行社」を行なっている。その資料によれば、安田興行社は現在もお化け屋敷を巡業しているが、見世物小屋はもう見ることができないという。しかも、コロカ禍でこの2年あまりは、ほとんど商売はできなかったに違いない。


ナキタンカで呼び込みをする安田春子さん。昭和40年代。

参考文献
『サーカス博覧会記録集』(サーカス博覧会実行委員会、2019年11月)
原爆の図丸木美術館で開催された「サーカス博覧会」(2019年4月2日~5月26日)の記録集。本書には、同博覧会で展示された安田興行社の絵看板が多数収録されている。


安田興行社の絵看板

なお、この「サーカス博覧会」については、『新宿書房往来記』(村山恒夫、港の人、2021)の「サーカス博覧会が丸木美術館にやって来た」(p 275~)も読んでいただければ嬉しい。

参考サイト
「開封!安田興行社大見世物展」(銀座・ヴァニラ画廊:2014年8月24日~9月6日)