『キャメラを持った男たちー関東大震災を撮る』の上映が8月26日から全国各地で始まっている。私のところには知り合いの方から映画評が送られてきている。前回のコラム94に、今回4本の映画評を追補しました。
『キャメラを持った男たちー関東大震災を撮る』ポスター
デザイン:桜井雄一郎
映画評 1
100年前に、それも大災害時に動画を撮っていた人がいたことにびっくり。
検証の映像とセピア色の映像から今の東京のこの辺りかぁと思っていると終盤に東日本大震災の画が出てセピアからカラーに一変。女の子の泣き声も聞こえ現実に戻され、あー、この記録も残されていくのか、100年前が続いているのになぁと、腑に落ちたような感覚に。
記録を撮っておくということ、それを検証して役立てていくこと、それもまた亡くなられた方、つらい思いをした方々に心を寄せる一つの形なのだなと思いました。
(編集者・ガリやの夜やせ)
映画評 2
この間、「映像の力と本の力」あるいは、ビジュアルなものと言葉の力、ということについてあれこれ考え、人間の歴史と個人のドラマということを、改めて考えさせられました。
さて、『キャメラを持った男たち』ですが、確かに、大変な労作で、記録としての価値はどなたかが仰ったとおりだと思います。
最初のシーンの、古い撮影機に人間の太い指が一心に、これも古そうなフィルムをかけて行く場面が、とても印象に残りました。この映画を創り上げていく困難さを象徴していたと思います。
3人のカメラマンの肖像や御家族の顔もありましたが、関東大震災の逃げ惑う様子は、意外に私にはなぜか既視感があり、中で、ハッとしたのは、縁側のような所で老婆が座り込んで、いくらかはだけた着物の胸から、首をこちらに向けて笑っているような場面です。ほんの数秒かもしれません。しかし、とても心に残りました。
以前見せて頂いた、『注文の多い料理店』と『夜明けの焚き火』(注:どちらも桜映画社の作品)も、とても良い映画だと思いました。後者は短歌の連作を創ったほどでした。
私は元々、過去の歴史より、今を生きる人間のドラマに興味があります。でも、その人間は個人一人では生きられず、周りの人びとの中、社会の中、国の中、つまりは、中村桂子流に言えば、「地球の中の、私たちの中の私」なのですね。
(編集者・怜子)
発見された震災キャメラに現在のフィルムを装填する
映画評 3
『キャメラを持った男たち』、横浜シネマリンで観てきました。
今年は関東大震災から100年という事で、テレビ報道でも取り上げられ、詳しく知りたいと思っていたところでした。
大量なフィルムアーカイブから撮影者を確定し、遺族たちの証言によって構成されたフィルム物語に、引き込まれました。
手回しの重いキャメラと三脚での撮影は、決して容易いものではなかっただけに、記録された猛火の画像には胸を締めつけられる思いでした。
このアーカイブとは比較にもなりませんが、私が1985年から90年代に撮影した宮古島の祭祀の写真展も、多くの宮古市民の方々に観ていただけました。
台風襲来によって展示期間は6日間に短縮されましたが、宮古島市教育委員会の教育長から、展示再開を考えたいとお申し出を頂きました。現在、展示パネルは市で保管されております。
地元の元神役達も、この写真展が盛り上がることで、祭祀復活につながるように願っていると、新聞のインタビューに答えていました。
この度のドキュメンタリー映画は、私自身のことにも重ね合わせながら、感慨深い時間になりました。
(沖縄文化研究者・久子)
映画評 4
映画、冒頭で昔のカメラで現在の東京を映すシーンがすごくよいなと、まず思いました。あのシーンが入ることで、「過去」が区切られた昔ではなく、現在とつながっていることがとても印象的に届くと思います。
3・11を撮ったカメラマンのエピソードもそういう意味ですごく生きている。
人間には、記録する本能(のようなもの)があって、それは単に“悲惨な体験を後世に伝える”義務感や責任感(もちろん、それらも大切なものですが・・・特に今、現在、この時代において)というものを越えた、とても大きなものだなあと実感しました。言葉であれ、映像であれ。
東京都慰霊堂で上映したのも、すごく良かった。ちょっと音声が聞き取りにくかったのは、難でしたけれど、それがむしろ、空調の効いたきれいな映画館で見るよりも、迫りくるものがありました。
震災を生き延びたのに、東京大空襲で亡くなられた方がいた事実も、データとしては知っていたけれど、やはり肉声で遺族の言葉で聞くと、身につまされるものがあります。最後に、会場と映像の中の慰霊堂がタブって、映像には“朝鮮人の虐殺を忘れるな”というプラカードがさり気なく、でもハッキリ撮られていて、そういう濃やかさにも心を打たれました。
(小出版社主宰・瑞可)
映画評 5
きのうはありがとうございました。
大変意義深いドキュメント映画をつくられた制作スタッフのみなさまに、深い敬意を表したいと思います。
最後の質疑応答(7月24日、日本記者クラブでの試写会)で、監督さんがおっしゃっていたことなどから、沖縄の「1フィート運動の会」のことを思い出していました。
沖縄戦の模様は、日本軍が撮影した映像はロクなものしかなく、片や、アメリカ軍によって撮影されたものがよく捉えられているということで、アメリカ国内に収蔵・保管されていた沖縄戦の記録映像を、1フィートずつ買い集め、それをつなぎ合わせて、沖縄戦の実相を伝えていこうとする市民運動でした。
いま、会は所期の目的を達成して、解散していますが、完成したドキュメント映像はYouTubeでも見ることができます。
今回、関東大震災を命がけで撮影した3人のカメラマンたちに焦点を当てながら、震災を描くという、特異なコンセプトでつくられたドキュメント映画は、フロアの方もおっしゃっていましたが、これまでにない試みだと思います。
(編集者・いつ子)
映画評 6
過酷な現場で危険を顧みず撮影に挑むキャメラマンとはどういう人たちなのだろう?単なる野次馬根性や一攫千金を狙っただけの動機で出来る仕事ではない。この映画は関東大震災当時の単なる映像記録ではなく、それらの映像を通して「写されたもの」と「写したもの」双方の事情を丁寧に紐解き、「写したもの」の心の底に迫る上質なミステリードラマであった。そして、すべての職業キャメラマン達に向けた尊敬と愛情に溢れたメッセージとなっている。映画を愛する人にこそ観てほしい映画だ。
(広告会社勤務・有田寛)
映画評 7
100年前の9月にキャメラを持った男たちが撮った映像に、朝鮮人虐殺に関わるものは見つからなかったという。だが、映画の終わり近くでは朝鮮人犠牲者追悼式で舞う女性の姿と、ヘイト反対行動の人々の様子が映し出されている。それについて演出の井上実氏は「映像がないことは虐殺がなかったことを意味しない。100年後を生きる私たちはその事実を知っている」と語った。
「ないこと」の意味を見出す――。貴重なフイルムの発見から作られたこの映画の、重要なシーンのひとつだと感じた。
(編集者・まゆみ)
映画評 8
最近のTVニュースでは視聴者がスマホで撮った映像が多く流れる。撮っておきたい、残したい、伝えたい、というのは人間の本能的行動なのだろうか。
ましてや一般人にはなんの術もなかった100年前、映像、キャメラを生業にしていた3人の行動は、考えるより先に身体が動いたにちがいないと思った。その行動力に感嘆するが、そのフィルムが現存し、この映画が制作されたことに、より感動を覚えた。映像の保存や撮られた時間や場所を特定してゆくのは大変な作業である。こうした地道な仕事があってこそ、残された映像を次世代に伝え、防災にも役立てることができる。
当時の手回しキャメラを使って、現在と繋げた演出がとても良かった。
(編集者・千砂子)
映画評 9
なにより、映画のチラシを見たときに、『キャメラを持った男たち』というタイトルと、そこに掲載されている写真(手回しカメラをまわしているキャメラマンと、そのようすを物珍しそうに見ている群集たち)の組み合わせ、さらに「こんな時に撮影してんのかよ!」というコピーが絶妙で、映画への興味を誘われました。
じっさいに映画を見てみれば、カメラに記録を残すということがどれだけ重要なことなのか、映像のひとつひとつを情報として拾い上げながら歴史をたどっていくことがどれだけ貴重なのか、「ドキュメンタリー映画」および「フィルムアーカイブ」にたずさわっている人たちのご苦労に、感謝の気持ちが湧きました。製作スタッフのみなさま、ありがとうございました。
(編集者・ニノ)
映画評 10
関東大震災の映像は、断片的に観たことがありますが、このように撮影者の視点で観ていくと、当時の人々が生活していた日常が存在し、被害が広がっていったことを、撮影者とともにリアルに観ているような気がしました。
貴重な映像をまとめるという大変な作業が、歴史を残す!ということを再認識できました。
それにしても、撮影した地域を絞り込みながら撮影日時と場所を地図に落とし込んでいく、という作業の緻密さと途方もない時間が圧巻で、感動しました。
「フィルムアーカイブ」の必要性と価値を初めて、知ることができたような気がします。ありがとうございました。
(清水くみこ)
映画評 11
現在よく目にする震災の画像は、彼らが撮ったものであることを知り、あの状況の中、迷うことなく記録して後世に残そうと行動した彼らにメディア人としての強い意識と使命感を感じた。
また、写真から撮影場所やキャメラマンの当時の歩いた道筋を特定する分析は、地道な作業ではあるが貴重な震災資料として、非常に興味深いものであった。
(孝治)
映画評 12
最近テレビでは災害時に視聴者提供の動画が頻繁に登場しています。
私なら逃げたい、目を背けたいと思う場面なのに撮影している人がいる、その人は一体どんな心境で撮影しているのか見るたび気になっていました。
ましてこの映画の主人公は撮ることを生業としているキャメラマン、100年前の震災時に重い機材を携え何を思っていたのか、私には想像もつきません。
もし私が100年前の震災に遭遇していたら「こんな時に撮影してるのかよ!」と思った一人だったでしょう。しかし近年、東日本大震災などの災害にふれ、記録を残すことの重要性は感じています。
上映後のトークショーで、キャメラマンがなぜその場面をフレームに切り取ったのか?というようなお話がありました。
その時気づいたのは、私は今まで歴史の教科書やドキュメンタリーを見るとき写真や映像だけにとらわれフレームの外の世界ことをほとんど想像してこなかったことでした。
写真や映像は貴重な資料だけれども、そこから切り取られてしまった外の世界や人々の日常があること撮影されていない出来事も起きていること、もっと知りたいと感じました。
東京都慰霊堂にも近々訪れてみたいと思います。
(会社員・宮山真弓)
映画評 13
辺りが騒然とする中、重い機材を持ち運び、限られたフィルムの中で撮影を行ったキャメラマンたちの覚悟や思いを考えさせられる作品でした。
今まで震災の映像といえば、映像そのものに目が行きがちでした。しかし映像には撮影者がいる、そしてその映像には撮影者が注ぎ込んだ思いが詰まっている、こうした視点が欠けていたことを思い知りました。
また、撮影地や撮影日時の分析作業から、残された映像が歴史的な資料として大変貴重であることやアーカイブ活用の意義を学ばせていただきました。
(学生・宮山朱理)
映画評 14
三人の撮影技師やカメラマンが残した関東大震災の映像を、彼らが当時携わっていた仕事と職場、彼らの周辺にいた梅屋庄吉や溝口健二など著名人とのエピソード、彼らの孫など家族の証言を通じて、三人それぞれが使命感を持って撮影したかけがえのない映像として重層的に明らかにしていく面白さがありました。
当時のカメラを携えて現代の東京を撮影する冒頭のシーンや、さりげなく挿入された朝鮮人虐殺慰霊の日の映像など、演出や構成の工夫も印象に残りましたが、私が特に素晴らしいと思ったのは、とちぎあきら、芦澤明子、田中傑といった専門家たちのお話です。とりわけ田中さんが当時の地図と映像とを対比させながら撮影場所を特定してゆくシーンは圧巻でした。
(炭都三池文化研究会・鵜飼雅則)