(45)四谷軒牧場逍遥
[2022/7/16]

今日も歩け、歩け、歩行訓練だ。雨があがった昼過ぎ、近くの図書館に本2冊を返却するために出かけた。杖はもたないが、傘が杖代わりになる。いつも利用している杉並区の図書館だ。ほぼ西に向かってまっすぐ歩き、およそ20分で到着。本を返したあと、「杉並区の資料」と名付けられた小部屋に入る。何冊か見て、参考になるところをコピーして外に出た。ちょっとある目的もあって、行きとは違うコースで家まで帰ろうと、今度は南に向かう。妙正寺川に出会うと、左に曲がり川の側道を東へ、つまり下流に向かって歩いて行く。ほどなく旧早稲田通りにぶつかり、ここを渡る。川の橋名は「松下橋」とある。
そこに3階建てのモダンなマンションがあり、通りに面した南角は牛乳販売店になっている。その目の前が関東バスの「銀杏稲荷(いちょう・いなり)」という停留所だ。この牛乳屋さん、前から気になっていたのだ。入口のガラス戸が半分開いていたので、思い切って入ってみる。しかし店の中は真っ暗で、だれもいない。こんにちはと声をかけても静かだ。牛乳さんは早朝の商売だ、もうみな引き上げているのかもしれない。
店を出て、妙正寺川沿いの道を下り、家に戻った。牛乳屋さんの店の名称は、以前は「明治牛乳宅配センター四谷軒」だったような気がしたが、今の表札は「明治牛乳向井町販売所」になっている。ここ杉並区下井草で、なぜ「四谷軒」なのか?ずっと疑問に思っていた。今日こそ、と勇気を出して訪問したのに空振り。しかし、マンションの玄関入口には「Grand Pal四谷軒」と四谷軒の文字がしっかり残っている。
帰宅後、パソコンで調べてお店に電話をしてみた。今度はご主人と思われる男性が出てくれた。「近くの者です。先ほどお店にお邪魔して声をおかけしたのですが、ご不在でした。じつは四谷軒牧場のことに興味があって、お話をうかがいたいし、もし資料があるようでしたら、見せていただけないでしょうか」その方はやさしく、どうぞいつでもと言われる。さっそく、2時間後に再度うかがうことになった。ご主人は「ササクラです」と名乗られた。

『牛乳と日本人』(新版、吉田豊著、新宿書房、2000年)にも、たびたび引用されている『大日本牛乳史』(乳業新聞社編、乳業新聞社、1934年)に「四谷軒の舎名は我が東京市乳界の老舗」とあり、牧場は四谷花園町に1887年(明治20)に開設されたという。四谷は、外国人、官吏が多く住んでいた番町、麹町、市ヶ谷地域の後背地だ。新宿歴史博物館には花園町の四谷軒牧場、四谷軒牛乳搾取所や麹町の四谷軒牛乳製造販売所の写真が残っている。
しかし四谷軒などの牧場は関東大震災や都市化の波に押されて、四谷、牛込から郊外に移転する。世田谷区の赤堤に移り、最後まで残っていた四谷軒牧場は1985年に閉鎖された。その跡地には「牛魂(ぎゅうこん)碑」があり、このような由来の記が残されている。

四谷軒牧場由来の記
四谷軒牧場は 明治初年越前国・福井県出身
佐々倉伝吾と弟仁太郎が東京四谷麹町に開いた
牧場兼牛乳店「牛乳搾取所」を以ってその始めとする
乳牛を飼育し新鮮なる牛乳を供するこの経営は 
やがて都市化の波との闘いの命運を持つこととなった
かくて二代目弥之吉は 杉並井草に新天地を求め 
初代伝吾の甥清二・良治は共に協力して 
大正初期代々木初台にてこの経営を継いだ
良治は艱難辛苦斯業の発展に努めるとともに
斯業を通して社会に役立つことを思い昭和五年勇躍牧場をこの地に移転した
この世田谷の四谷軒牧場は、一時は面積一三〇〇〇平方米
飼育する乳牛一二〇頭を擁し併せて学術研究 
畜産技術教育の場として利用され 急速な都市化の中で自然を求める
人びとの憩の場として朝夕親しまれてきた 
しかし大都市に残る最後の牧場四谷軒牧場も時の流れに抗しえず 
開牧の願いを他に求め 昭和六〇年一月二十日惜しまれつつその幕を閉じた

四谷軒牧場主
  三代目 佐々倉敏雄
 昭和六十年八月七日 建之

この文にある杉並井草の新天地、これがいろいろ調べてもわからなかった。そこがずっと気になっていた下井草の四谷軒牧場なのだ。「明治牛乳向井町販売所」のご主人のお名前はやはり一族の「佐々倉」さんだ。「なにも資料はないよ」と電話でおっしゃっていたが、貴重な写真を用意して待っていてくれた。四谷軒牧場関係の写真と家族写真だ。牧場の写真は以下の6枚だ。
1)「杉並区向井町四谷軒第一牧場」の看板のある外景
2)牧場の塀 「東京都杉並区向井町146」のネーム
3)牧場にいる乳牛3頭 「杉並区向井町 四谷軒牧場」のネーム
4)牛舎をバックに多くの乳牛たち 「杉並区向井町 四谷軒牧場」のネーム
5)牛舎をバックに2頭の乳牛 「杉並区向井町 四谷軒牧場」のネーム
6)「四谷軒牛乳搾取所」の看板のある門 「東京都杉並区向井町146」のネーム
どれも貴重な写真だ。佐々倉さんによれば、ここ向井(むかい)町の四谷軒牧場は1927年(昭和2)に開設されたようで、閉鎖は1958年(昭和33)だった。向井町四谷軒第一牧場には当時50頭ほどの乳牛がいたという。向井町は1963年12月に下井草2丁目に町名変更されたので、この6枚の写真はそれ以前の1950代のものかと思われる。私が世田谷区深沢からここ中野区鷺宮(現・白鷺)に引っ越してきたのは、1955年(昭和30)の春、小学校3年生の時だ。私の頭の片隅にある乳牛のいた風景がふと甦ってきた。あれは向井町四谷軒牧場だったのかもしれない。


「大日本東京牛乳搾取業入一覧」(1888年[明治21])『牛乳と日本人』(p182)より。番付の東の前頭には「麹町五丁目 佐々倉」がいる。まさに四谷軒牧場の佐々倉さんだ。