(76)山根貞男さんの映画渡世
[2023/3/11]

2月22日の朝刊を見て、驚いた。編集者で映画評論家の山根貞男さんの訃報記事が出ていた。胃がんのため20日に亡くなった。1939年生まれで83歳だった。『朝日新聞』夕刊の映画評は30年以上も担当していたという。新宿書房では、山根さんの本は1冊も出したことはなかった(いや出させてもらえなかった)が、石子順造(いしこ·じゅんぞう1928~77)さんとの縁で、長い、長い付き合いをさせてもらった。

今から半世紀近く前、私が平凡社の社員であった時になる。1977年の7月ごろのことだ。当時、私は30歳。『百科年鑑』の編集部にいた私は、4月に『百科年鑑』(1977版 表紙はロッキード事件の流れ図 デザイン=杉浦康平+鈴木一誌+渡辺冨士雄)を出してほっとし、秋から始まる次年度刊年鑑の原稿発注·編集作業を前にして、比較的ヒマな毎日を送っていた。
『月刊百科』という百科事典のPR誌があった。石子順造さんに「ガラクタ百科」という連載をお願いし、毎月取材で都内を一緒に回っていた。百科事典に載っていない項目、いや載る機会さえない、その起源や歴史の考察もされることもない、キッチュで俗悪といわれた事物を毎回取り上げていた。この連載は1973年4月号(蝋人形)から始まり1976年12月号(デコレーション·トラック=デコトラ)まで、ほぼ3年間続いた。石子さんが亡くなった翌年の1978年に単行本『ガラクタ百科』(装丁=谷村彰彦)になった。我々は普段だれも見向きもしない、しかし生活の中にしっかりと生きてきたガラクタな項目を取材し、これをあつめた事典を目指していた。連載途中、なんと「ガラクタな(平凡社の)百科事典」と誤解した平凡社の重役のひとりが怒ってクレームにきたこともあった。


『ガラクタ百科』表紙

ちょうどその頃、山根貞男さんとは忘れられない出来事があった。飲み仲間であった山根さんと、ただ一回だが一緒に仕事をしたことがあるのだ。ある晩、高円寺の赤チョーチンで飲んでいたら、その店に会社から電話があった。この飲み屋がどうしてわかったのだろう、それも会社から電話とは何事だ?相手は上司の編集長Tさんだった。彼とは何回かその店で飲んでいる。私の毎日の行動は単純で完全に読まれていたのだ。なんでも明日、相談があるから、少し早く来てくれという。なんだかあせっている様子だ。
当時Tさんは、生涯監督作品数270本といわれる映画監督·マキノ雅弘(1908~93)の回想録・自叙伝『映画渡世』の編集・製作を担当していて、その作業の真っ最中だった。平凡社には珍しい大掛かりな単行本作りだった。

久しぶりにその『映画渡世』を開いてみる。

『映画渡世』平凡社
A5判 ソフトカバー
マキノ雅弘著
編集協力=山田宏一+山根貞男
「天の巻」 460頁 1977年6月20日
  造本=杉浦康平+鈴木一誌+郡幸男
「地の巻」 476頁 1977年8月30日
造本=杉浦康平+鈴木一誌+谷村彰彦+郡幸男


『映画渡世』

刊行された「地の巻」の「あとがき」で、マキノ監督はこう書いている。
「……とにかく、これまでの自分の人生を自分なりに一所懸命、文章にしてみた。(中略)こんな風に一所懸命書けたというのも、正直のところ、山田宏一、山根貞男という若い映画評論家の両君の熱意と支持があったからこそだとつくづく思う。ほんまに御苦労さんでした。(中略)東京·渋谷道玄坂上の旅館「及川」に3ヶ月近く閉じこもって、その間、山田君がべったりくっついてくれて、私が書き散らした下手な文章を清書してくれたり、私が書きくたびれて指が動かなくなった時には「口述筆記」を引き受けてくれたりした。(中略)山根君は、映画でいえば、主としてプロデューサーの仕事を引き受けてくれて……(中略)こんなやくざな本を出版して下さった平凡社さんの御親切に心から御礼を申し上げます。」
『映画渡世』は山田·山根組による、マキノ雅弘の回想の聞き書きなのである。この3ヶ月におよぶ旅館での缶詰の最中に、まじめなTさんはプロデューサー役の山根さんといろいろあって、うまくいかなくなったらしい。なにしろ、映画界のレジェンドであり大御所、たくさんの訪問客もあり、連日宴会だったかもしれない。交際費もかさみ、Tさんはこれについて山根さんにクレームを言ったのかもしれない。
「地の巻」の刊行のメドがようやく立った頃、二人の間はさらにこじれる。山根サイドはとうとうTさんを外さないと、この仕事を止めると言い出したようだ。「天の巻」は6月に出ている、「地の巻」はなんとか8月末には出したい。毎日出版文化賞に応募するには8月末刊行が必須条件だ、それまでには、どうしても出版したい。だれか代わりがいないか。そうだ山根さんと知り合いの村山にやらせよう、先方もあいつなら、あの村山ならいいと言っている。ご指名なのである。
そんなことでTさんからの電話の翌日から、私は渋谷の三業地円山(まるやま)町にあった旅館に通い出した。夏休みも吹っ飛んだ。まあ使い走りだ。ご用聞きだ。そうしてなんとか、8月末までには無事に刊行することができた。しかし、毎日出版文化賞にはカスリもしなかった。これは、缶詰組の仕組んだ巧妙なシナリオだったかもしれない。いずれにしても、私は山田·山根さんからはたいへん感謝された。それにしてもすごい本になった。『映画渡世』は編集·デザインからもいままでにない画期的な映画の本と言われ、後々の映画本のあるスタイルをつくった。

実は2月22日の山根さんの訃報記事に驚いたのはもうひとつわけがあった。山根貞男さんの新刊『映画を追え—フィルムコレクター歴訪の旅』(草思社)をちょうど読んでいるときだったのである。装幀者は鈴木一誌さん、編集担当は木谷東男(はるお)さん。山根さんの「あとがき」は2022年11月、奥付の発行日は2023年2月2日となっている。果たして、山根さんはこの本を手にしていたのだろうか。木谷さんは、平野共余子さんの『天皇と接吻—アメリカ占領下の日本映画検閲』(草思社、1998)の編集担当者だ。今も草思社にいるようだ。平野さんの出版記念会で木谷さんに会っている。大昔のこと、私のことは覚えてはいないと思ったが、思い切って電話をしてみる。木谷さんのお話では、「見本は間違いなくご覧になったが、その晩か翌日に体調を崩された」という。『映画を追え』は企画から32年たってようやく出版できたのだという。
実は、山根さん、もう一冊、本を残している。

『日本映画作品大事典』三省堂
2021年6月10日刊
本体価格 43,000円
B5判 函入り
頁数:1072頁
山根貞男編著
執筆者:50人余
監督名項目:1300項目(1908~2018年までの映画が対象)
作品名項目:19500項目
ブックデザイン:鈴木一誌

なんと、この大事典も22年かかったという。映画の事典でありながら、一切写真はなく文字のみ、重さは2078グラム、よくやったものだ。

参考サイト:『日本映画作品大事典』
https://dokushojin.com/reading.html?id=8266

山根貞男さんは、もうひとつ文章を残していた。『みすず』(みすず書房)2023年1·2月合併号「2022年読書アンケート」だ。山根さんは5冊の本を丁寧に紹介していた。たぶん締切りの年末までに書かれたのだろう。実はこの号は、長谷正人さんという方(映像文化論·早大教授)がわが書『新宿書房往来記』(港の人、2021年)を取り上げてくれたことを知り合いから教えてもらった。開いてみると山根さんもお書きなっているのを知った次第だ。

なお、このPR誌『みすず』は2023年8月号(8月1日発売)で休刊するという。